光明寺について

旧大日堂

被災前の大日堂.jpg

応永の兵火で真言時代の旧光明寺が焼失した時、焼け残った本尊大日如来を安置するために建てられた最初の草庵は三間四方であったという。その後、浄土教の光明寺が開基され、大日如来はこの場所にあったお堂で守られていた。しかし平成22年夏の歴史的な豪雨によりお堂(大日堂)は被災し、今はもう見られない。

旧大日堂

在りし日のそのお堂は間口二間奥行き三間半であった。解体の際に発見された棟札によると、このお堂は明治の代に建て替えられていたことが判明している。

豪雨被災直後の大日堂

豪雨により大日堂が被災した直後の内部も灯籠や燭台などが倒れてバラバラになっていた。しかし、かつて応永の戦火の際に難を逃れた大日如来は、今回も奇跡的に無傷であった。実に強運な如来である。現在は光明寺の本堂に安置されており、その姿を見ることができる。

被災直後の大日如来

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