光明寺について

御本尊石碑

山門石碑.jpg

山門の前に建つ石碑には光明寺本堂と旧大日堂の御本尊名が刻まれている。正面には「當山御本尊地主大日如来者行基菩薩之作」と「當山御本尊阿弥陀如来者安 阿弥之作」の文字が確認できる。前者は平安末期に村内の真言伽藍より移転された大日如来が、奈良の大仏の建立で勧進を務めた大僧正行基由来の如来であることを示し、後者の「安阿弥」とは、鎌倉時代を代表する佛師「快慶」の別称であり、厚氏の菩提寺より移された阿弥陀如来像が快慶作であることを示している。

右側面には「浄土真宗西山流曼陀羅山光明寺」とあり、初めてこの表記を発見した時「この寺は昔は真宗だったのか?」と不思議に思ったものである。 今日の浄土真宗本願寺派(西本願寺)あるいは真宗大谷派(東本願寺)など、親鸞の流れを伝える一派のように受け取れる表記である。天正年間の開基時より、證空上人(西山上人)の流れをくむ浄土宗の一派であったはずの当寺に、なぜ浄土真宗という表記があるのであろうか?すこぶる疑問に感じてあれこれ調べてみると次のようなことが解って来た。

浄土真宗西山流の石碑

浄土真宗(もしくは真宗)という呼び名は、明治五年に現在の真宗教団の宗名として公称が認められるのだが、それまでの真宗教団は一般的には一向義もしくは一向宗と呼ばれていたのである。本来「浄土真宗」という語は宗名を示すのではなく、かつては「浄土門の真実の教え、法然によって明らかにされた浄土往生をとく真実の教え」の意で用いられていたのであり、特定の宗派を指すものではなかったという。従って開基当時あるいは江戸初頭の建立と考えられるこの石碑にある「浄土真宗」の文字に対し て、今日我々が連想する「浄土真宗=親鸞の宗派」の解釈は的外れも良いところであった。光明寺の石碑にあった表記の意味するところは、正しくは「浄土門の真実の教え(法然の教え)を伝える、(浄土宗)西山流の曼陀羅山光明寺」である。これなら納得である。知らなかったとはいえ西山派寺院の住職として恥ずかしい話であった。

法然上人の直弟子で後に彼らが流祖となって後世に残った浄土教の宗派は、現在光明寺が所属している證空(西山上人)の西山流(今日の浄土宗西山三派)と、弁長の鎮西流(今日の浄土宗)、そして親鸞の一向義(今日の真宗十派)である。また證空の孫弟子であった空也が開いた一派が現在の時宗である。これらは全て法然上人を源流とする浄土教(浄土門)の宗派である。日本の各宗派については別のコーナーで解説しておりそちらも参考にして頂きたい。

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