光明寺について

旧本堂の柱(赤松の柱)

旧本堂赤松の柱.jpg

旧本堂外陣の天井を支える巨大な桁を目にすると「あの時代にこの重い部材を持ち上げて組んでいったのか」と、驚きを隠せなかった。内部の柱を観察すると二百四十年を過ぎようとする今も表面に染み出たヤニが確認できて、素人目にも松が多用されていることが解る。これらはみな赤松である。この本堂が建築された当時は太い柱材として赤松がよく利用されていたのであろう。

もともと山口県はもとより、広くは中国地方全般の山において赤松は豊富にあったと聞いている。 しかし戦後の杉や檜の植林推進で県内の赤松の山は次々に姿を消して行った。残った山も松食虫により壊滅的な被害を受け、一部に残る松茸採取の山以外では赤松はほとんど見られなくなっている。

地元で生まれ育った私は幼少のころ山に入って遊ぶことが多かったが、当時わずかに残っていた赤松の巨木には、軒並み切り傷の様な不思議な跡が多数残っているのを眼にしている。父に尋ねると「戦時中に燃料として利用するために松ヤニの採取が行われたのだ」と教わった記憶がある。

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