こだわり住職のよもやま話

2010年

続く時には続くものです

2010年07月13日

夏期の荘厳.jpg

先日息子が無事お葬式デビューを果たしたので、「機会があればまたそのうちに」なんて思っていたら一週間後に実現しました。続く時には続くものです。今度は少々遠方でした。新仏は地元出身の方です。山寺の古くからの檀家さんで、先祖代々のお墓が今も寺の近所にあります。博多(福岡県)在住だったので、お葬式会場は市内の葬儀会館でした。山寺からだと少々距離がありますが、高速を走れば一時間半で到着出来ます。これは行かねばなりません。

葬儀は日曜だったので今回も息子を連れて行く事にしました。先週すでに経験しているので、スムーズにお役目(鉢担当)を果たしてくれました。師匠としては大変満足出来るお葬式でした。その後も火葬場への同行、収骨、初七日法要、精進落しとフルコースで終日付き合わせました。都市部では僧侶がそこまでお付き合いすることは珍しいでしょうが、山寺ではこれが普通です。息子にとっては良い経験になった事でしょう。ただし山口に戻るのがずいぶん遅くなったので、葬儀当日の夜に塾で受けることになっていた模擬試験はキャンセルさせることになってしまいました。本来息子の本分はお勉強ですから、申し訳ないことをしました。まったくもってひどい親父ですが、この貴重な機会を優先したかった。模試は今後も機会はいくらでもあるでしょうが、お葬式がそうそう都合良く土日に入るものではありません。ましてや、こんな立て続けに機会が得られるなんて奇跡です。これも阿弥陀様のお導きかもしれません。それで今回は少々無理を承知で同行させたのです。

妻には叱られました。息子の持病「アレルギー性紫斑病」が再発しかねないからです。まだ完治していないのに強引に連れて行って、おまけに長時間付き合わせたのです。実際、息子の下肢には少々紫斑が出始めていた。大事にはなりませんでしたが、かなり危ない橋を渡ったのです。今の息子の健康状態では少々酷だったかもしれません。しかしいずれ彼も社会人となり世間の荒波にもまれる事になるでしょう。父としては「男は無理を承知で頑張らなければならない時があるものだ」と無言の教訓を与えたつもりなのですが、そうは言っても「本当にこれで良かったのか?」と自問すると、少々迷いが生じるのも事実であります。

息子がお葬式にデビュー

2010年07月07日

光明寺の鉢.jpg

2日に山寺はお葬式がありました。ちょうど日曜だったので高3の息子を葬儀に連れて行き火葬場にも同行させました。2年前から施餓鬼会には参加させていましたが、お葬式に出席させたのは初めてです。息子はまだ僧侶の資格を取得していません。しかし、そろそろ経験させてもよい時期なので、思い切ってデビューさせました。意外にも本人は嫌がる様子もなく、ひょうひょうとしています。彼にもしっかり役目を与え、鉢(はち・シンバルのような楽器)を叩かせました。父は大袈裟な帽子(水冠)をかぶり、馬のしっぽみたいな妙なもの(払子)を持って、意味はよく分からないけど、厳粛で格調高い引導の儀式を行います。威厳に満ちた父親の姿(?)を目の当たりにして、はたして彼はどんな感想を抱いたのでしょうか。

息子はこれまで葬儀の際に父がどんなことをやっているのか見た事はありません。ある意味新鮮だったでしょう。「親父もやるときにはやるんだ」なんて思ってくれたら大成功(?)なのですが、自宅でくつろいでいる普段の姿とギャップが大きすぎるので、そうそう都合良くはいかないかもしれませんね。

翌日に息子が言いました。「父さん、お葬式が沢山あったらいいのにね」です。確かに今日のお寺は葬儀と法事で食ってるのが実情ですから、まったくその通りです。我が家の家計を気にする様に(?)なったとは、彼も随分大人になって来たものです。いやいや、ひょっとするとお葬式の手伝いをすると、父から臨時の小遣いを頂けるのが念頭にあるのかも?(笑い)まあ良いか。深くは追求しないでおこう。いずれ彼も私と同じ道をたどることになるのかもしれません。それまでは父として師匠として「恥ずかしくない生き方をしなければ」と思います。男の子は「父親の背中を見て育つ」といいますが、今後も機会があれば同行させたいものです。

備えあれば憂い無しですか?

2010年06月27日

豪雨の光明寺.jpg

本日はひどい雨です。山寺は昨日から雨が降り続いており、本日午後からは雷を伴ったゲリラ豪雨にみまわれました。今は小康状態ですが今夜は厳重な警戒が必要です。昨年7月21日の悪夢(防府市の大水害)が頭をよぎります。その日山寺は本堂の背後にある大日堂広場の排水が間に合わなくて、写真右下に写っている石段を雨水が滝の様に流れ落ちました。どしゃ降りの中で目にしたあの光景は今も脳裏に焼き付いています。江戸中期に造られたその石段はかろうじて倒壊は免れましたが、登るのは危険な状態になりました。元々かなり傷んでいたので結局これを機会に補修工事になりました。それから歴代住職墓所の背後の斜面が崩れて一部の墓石が土砂に埋まってしまったのには驚きました。幸い檀家さんから機械を借りることが出来た(今も借りっぱなしである)ので、土砂は自分でかたづけることが出来ました。しかし倒れた墓石を再び元の位置に据える作業は私一人では出来ません。そちらは石段の補修工事の際にプロにやってもらうまで、申し訳ないけどしばらく倒れたままでした。

山寺は防府市のような大災害ではありませんでしたが、それでも結構ひどい目にあったので、さっそく大日堂広場の排水経路の追加工事や、本堂南側駐車場の排水溝の新設工事等を行いました。とどめは先日書いた調整池の造成です。自分なりに手は打ったつもりなので「今年の梅雨は大丈夫だろう」と思っていましたが、いざゲリラ豪雨となるとやはり心配になって来るものです。

山口県が豪雨に見舞われるのは昨年のように梅雨の末期が多いのですが、今年はどうも様子が違うようです。今からこんなにどしゃ降りになるなんて予定外です。本来梅雨といえば雨がしとしと降る情景が浮かぶものですが、近年はまるで熱帯雨林のスコールみたいな激しい降り方が多くなりました。これも地球温暖化の影響なのでしょうか?何はともあれ本日午後の豪雨は大丈夫でした。調整池の雨水が勢い良く水路に流れ落ちているのを目にすると、「あー造ってて良かった」とつくづく思いました。「備えあれば憂い無し」って言葉がありますが、まさにその通りです。でも梅雨が終わるのはまだまだ先ですから安心はできません。あっ、また強烈に降ってきた。ブログなんて書いてる場合じゃないのかも?今夜は本堂に泊まり込んで夜間の見回りが必要かもしれません。

向德寺の精進は一級品です

2010年06月25日

大橋家開眼法要.jpg

本日は大橋正明さん宅新墓所の開眼法要を行いました。お墓の前に道具一式を設置して、私は準備万端いつでも始められる状態で皆さんの到着を待っていました。すると悪いことにお天気はどんどん怪しくなって来て、やがてぽつぽつと雨が落ち始めたではないですか。約束の時間をせめて30分繰り上げておけばよかったなと後悔しましたが今さら遅い。「あーやっぱり降ってきたか、こりゃまずいなー」です。これでは洒水器に取り付けてある紅白の飾りがダメになってしまいます。それで飾り無しの略式(携帯用の洒水器)に交換しようかなと迷っていたら、施主が到着されたので結局そのまま強引にやっちゃいました。みなさんに傘をかざして頂いて、本式の洒水器できっちりお清めの儀式を行いました。考えて見れば開眼法要は希少な機会ですから可能な限り丁寧にやりたいものです。幸い雨脚は大してひどくはならなかったので結果オーライでした。

向徳寺のアジサイ.jpg

開眼法要の後はお食事にお招き頂きました。会場は山寺から車でなんと1時間あまりの移動です。長門市の向津具半島にある曹洞宗の向德寺で精進料理のコースを頂くという粋なプランです。先日アジサイ寺として有名な阿弥陀寺のことを書きましたが、こちらもアジサイで有名なお寺です。私は新聞の記事かなにかで知って数年前に妻と見に行ったことがあります。精進料理が頂けることは知っていましたが、今回大橋家のご配慮でそのお料理を初めて賞味する機会に恵まれました。

ところで光明寺は大橋家から3年前に大量のアジサイを頂いています。ご主人は今回訪問する向德寺のご住職からアジサイの苗を頂戴して自宅で増やしておられたのです。そのアジサイの大部分が今は光明寺の境内にあります。いわば光明寺のアジサイの故郷がこちらのお寺です。大橋家からやってきたアジサイは本堂の南側にある駐車場の花壇にずらりと並んでいますが、今では見事な花を咲かてくれるようになりました。こちらのお寺はご住職が長年こつこつとアジサイを植え続けられて、今では観光客が多数訪れる見事なアジサイ寺になっています。私も見習わないといけませんね。そんなお話を車中でご主人から伺いながら向かいましたので、時間のたつのはとても早く感じました。

向徳寺精進料理.jpg

さて、頂戴した精進料理は実に素晴らしいものでした。私はこれでも京都で立派(割高?)な精進を頂いた経験が少々あります。それらと比べても全然負けていません。内容はもちろんのこと食事会場のロケーションも実に良かった。写真は開始時の配膳で、後からいろいろ出てきました。これはぜひ恵美ちゃん(妻)を連れてきてあげないといけませんね。このブログを見られたら「お父さんだけいい思いをしたのね」って、きっと言われるでしょうから。今日は大変良い機会を頂きました。大橋家のみなさま本当にありがとうございました。 合掌

南無あきら菩薩様

2010年06月24日

林道延長工事
今月はじめに境内の排水対策(調整池の造成)がうまく出来たので、調子に乗って梅雨の晴れ間に霊場の森で再び「にわか土建屋」をやっています。今年の春先には登り側に林道が完成しています。それで今度は「下り側へ伸ばしてみようか」って魂胆です。春に造った林道の途中から分岐させてどんどん伸ばして行きました。昨日の午後に遂に下り側の八合目付近(五十二番)へ到達しました。ちようど燃料も乏しくなったので、機械を霊園の所まで降ろし、エンジンを切ってタバコに火をつけようとしたその時、私は重大な事に気づきました。「あれっ携帯が無い。どこかで落としたんだ」さあ大変です。私はすっかり青ざめました。携帯を紛失すると日中の連絡が取れなくなりますから大変困ります。それから、なぜかそういう時に限って急ぎの用件が発生するものです。(それがお葬式だったら最悪である)手帳代わりに法事の予定なども全て携帯に登録してあるので至急探し出さないとマズイことになります。下りの八合目まで林道が到達した達成感なんて一瞬で吹っ飛んでしまいました。あわてて林道を引き返して目を皿のようにして探しましたが発見できません。もしかしたら土に埋もれているのかもしれません。ひょっとすると機械の下敷きになって「もうバラバラになっているのかも?」なんて不吉な思いも浮かんで来ます。「あー今日は最悪だ」私は肩を落として大日堂の広場まで引き返すしかありませんでした。

ふと眼下の駐車場に目をやると軽トラックがちょうど入って来たところでした。「誰だろう?」と思って石段を下って行くと、以前「藤井家の荘厳」の記事で登場して頂いた責任総代の藤井 昭(あきら)さんでした。荷台には自走式の草刈り機があります。寺の休耕田の草を刈りに来て下さったのです。ありがたい事です。実にありがたい事なのですが、私の心はとってもブルーなままでした。

「昭さん、今日僕に電話されました?」「うん、昼から何度かしたけど住職出んからどうしたんやろかと思っとった」「ちゃんと電話かかりました?」「ああ、ずいぶん呼んだけど住職出んかった」「実は携帯を山の中に落としちゃって行方不明なんです。お昼前に一度使ったきりでさっき気づいたんです。昭さん今日は携帯持っておられます?」「あー持ってるよ」昭さんの携帯でさっそく自分の携帯にかけてみました。するとしっかりコールしています。よかった、まだ電話は壊れていません。電波が入る状態でどこかに落ちている様です。これなら呼び出し音を頼りに発見出来る可能性が出てきました。まさに希望の光がさして来た瞬間でした。「携帯ちょっと借りますね。探しに行ってきます」. 私は昭さんの携帯を握りしめて林道を再び登りました。どこで落としたのか解らないのですから見落さないように慎重に進みました。ずっと鳴りっぱなしにするとバッテリーの消耗が心配なので5~6回のコールで確認しながら少しずつ移動です。そのやり方で結局到達したばかりの五十二番の所まで登ったのですがダメでした。電話をかけると確かに呼び出しているのですからどこかに有るはずです。すぐそばでないと聞こえないのかもしれません。バッテリーが切れないうちに発見しないとアウトです。さすがに焦りを感じて来ました。なんだかとても追い詰められた心境ですが、まだ日没には時間があったので落ち着いて可能な限り丁寧な捜索を続けるしかありません。

キズだらけの私の携帯.jpg

待望の呼び出し音に気づいたのは少々弱気になりかけた頃でした。そこは頂上から50㍍位引き返したところでした。聞き覚えのある音がかすかに聞こえるではないですか。耳を澄まして必死で音の出どころを探ると、どうやら林道の谷側に機械で広げた竹や雑木などが混じった土砂の下からです。「土の中で電波が届くんやろか?」と不思議に思いましたが、発信源を慎重に絞り込んで行くとやはり間違いありません。それで狙いをつけた場所をスコップで掘り返すと、なんと見事に出て来ました。愛用の携帯はキズだらけにはなりましたが、アウトドア向けの防水携帯ですから水洗いで見事に生還です。あーよかった。

それにしても昭さんの訪問は絶妙のタイミングでした。ご本人は「携帯を忘れて出かけることが多くてね」ってよく言われてましたが、昨日はしっかり持参でした。おかげで私は行方不明の携帯を発見することが出来た。おまけに自走式の草刈り機で広い休耕田の草を黙々と刈って下さったのですから、ありがたくって後光がさしてました。前回の記事(「藤井家の荘厳」)では奥さんが菩薩さんだったけど、今回は間違いなく昭さんが菩薩さんに見えましたねー。あーありがたや。ありがたや。南無あきら菩薩様。 

開眼供養はお天気しだい

2010年06月23日

開眼供養用の仏具一式.jpg

大橋家の新しい累代墓が霊場霊園に完成しました。それまでのお墓は山の中腹にある共同墓地だったので、お墓参りはそりゃ大変でした。これからは車で横着け可能ですから、きっとお墓参りの頻度も上がることでしょう。よかったですね。新しいお墓が出来たのですから近日中には開眼供養を行うことになります。せっかく立派なお墓が建立されてもこれをきっちりやらないと意味がありませんからね。私は本山が発表している標準ルール(?)で法要を行いますが、これがけっこうくせ者なのであります。開眼法要では大日祭りの際にも行う「洒水」というお清めの儀式を行います。それでそのお道具一式と読経のための木魚やリンなどを並べるテーブルが必要になります。疏(しょ)あるいは表白とよぶ、神事の際に神主が読み上げる祝詞 (のりと)みたいな文書も読みますので事前に用意しなければなりません。それと忘れちゃならないのが朱色のローソクです。通常は白いローソクですが、お墓の建立や仏壇を更新した時などは、いわば仏事におけるお祝い事なので朱のローソクを使用します。仏壇の更新やお墓の建立は一生に一度あるかどうかの行事ですから、一般の方がこのローソクを目にすることはめったにないでしょう。仏壇の場合は心配ありませんが、墓石の建立となると法要は屋外となります。だから当日のお天気はとても気になります。お天気次第では延期しなければならない事だってあり得ます。開眼法要は年回忌法要などと比べると時間的には大したことないのですが、もろもろの道具を現場まで運ばないといけないので準備が大変です。ついつい簡略化したくなるものですが、施主にしてみれば一生に一度あるかどうかなのですから、やっぱり手抜きはしたくないものです。

さて、その開眼法要のための秘密兵器(?)として、専用の折りたたみテーブルを制作してみました。開眼法要を行う際にはいろんなお道具が必要なので、墓石の前にテーブルを設置してその上に並べることになります。しかし、墓石の前に設置出来るテーブルのスペースは限られます。それで木魚とリンを置くスペースを最小限にする工夫をしました。いつも屋外の開眼供養で使用している折りたたみテーブルにドリルで穴をあけ、小型の木魚とリンをポルトで固定してみました。これならころげ落ちる心配もありませんし場所もとりません。中央の洒水器もゆったりと置くことが出来て誠にめでたしめでたしであります。あとは当日雨が降らないことを祈るのみですね。

アジサイの季節到来

2010年06月21日

山寺裏庭のアジサイ.jpg

遅れていた梅雨がついにやってきました。連日じめじめした日が続くのは誰だって遠慮したいものですが、私にとっては待ちに待ったチャンス到来です。アジサイの挿し木をするには実に都合が良いからです。山寺は小寺のくせに、寺所有の土地は不釣り合いに広くて管理が大変です。雑草が生え放題なので草刈りでへとへとになります。それで少しでも範囲を減らしたくてアジサイを植えて来ました。ご存じの通りアジサイは挿し木で容易に苗を育てることが出来ます。素人でも簡単に増やせるので金がかかりません。そういう意味では貧乏寺の救世主かもしれませんね。本当はいかにも寺社仏閣の境内らしい気の利いた樹木を植えて行きたいところではありますが、背に腹は代えられませんので毎年アジサイを挿し木で増やしてきました。今年で4年目になるので最初の頃に植えたアジサイは随分大きくなりました。ここまで成長すると雑草対策の目的をしっかり果たしてくれますから、草刈りは随分楽になりました。

アジサイといえば、山口県の防府市にはアジサイで有名な阿弥陀寺があります。それはもう圧倒的な量です。伽藍が立ち並ぶ周辺はもとより、山の中腹まで登ることになる参道の周囲も一面アジサイだらけです。地元の有志や商工会等が何十年も植え続けて来たので実に見事なものになっています。これだけアジサイがはびこっていると草刈りをしなくて済みますし、アジサイ目当ての観光客も沢山来てくれますので寺も潤います。山寺の坊主にしてみれば実に羨ましいことこの上なしであります。「あそこまで立派にならなくても良いけど、せめて草を刈らなくていいようにアジサイがはびこってくれたらナー」なんて思いながら、今年もせっせとアジサイを挿し木しています。

さて、毎年梅雨の頃になると園芸店にはさまざまな品種が並びますが、一般的な大輪のアジサイは西洋アジサイです。これらは日本原産のガクアジサイを改良したもので、主に海外で品種改良されて日本に戻ってきたものだそうです。その昔シーボルトがアジサイを新種として登録した学名は(Hydrangea otakusa)でした。後に植物学者の牧野富太郎氏が(otakusa)はシーボルトが日本での妻であった「お滝」にちなんで命名したのであると指摘した話は有名ですね。花言葉を調べると「移り気」「高慢」「辛抱強い愛情」「元気な女性」「あなたは美しいが冷淡だ」「無情」「浮気」「自慢家」「変節」「あなたは冷たい」などと、少々イメージが良くない。でも雨上がりに眺める姿は実に日本的な美しさを感じさせてくれます。花言葉は「ちょっと違うんじゃない」と感じるのは私だけでしょうか。

山歩きしてきました

2010年06月15日

安蔵寺山.jpg

サラリーマン時代にお世話になった上司(加納 豊さん)と、島根県の山奥をうろついて来ました。近年中高年の登山が盛んになっていますが、そんな本格的な登山ではありません。車で行ける所まで行き、それからは林道を散策するお手軽な山歩きです。加納さんとは会社にいた頃から毎年恒例行事として島根の山奥を訪ね歩いていました。今年も「そろそろ行ってみようか?」とのお誘いがあったので、山口県・島根県・広島県の県境付近の山奥へ向かいました。写真に写っているのは島根県益田市匹見町にある安蔵寺山(1263㍍)です。県境であれば同じく匹見町と広島県安芸太田町の境界にある恐羅漢山(1346㍍)が島根県の最高峰ですが、山頂が完全に島根県内となるとこちらになります。南側の無名の峰にある林道から撮影しましたが、この場所でも900㍍近くになると思います。美祢市の田舎育ちがさらに山奥を訪ねるというのですから物好きですよね。「何が面白いの?」と問われると返答に困りますが、このあたりの山はいずれも千メートル級で美祢とは景色が全く違うので新鮮です。本格的な山登りをされる方から見れば千メートル級なんてまだまだでしょうが、地元の山は大して標高がありませんので比べちゃうと丘みたいなものです。だから私にとっては充分なのです。島根の山奥の魅力は自然のままの状態が残っていることです。杉やヒノキが植林された山が少ないので自然を満喫できます。それらの山で森を形成している樹木はブナやコナラなどの落葉樹です。今は新緑が素晴らしくて秋には見事な紅葉が見られる所です。安蔵寺山の北側には匹見峡があり南東側には長瀬峡や寂地峡があります。いずれも渓谷の美しさは別格です。上流にほとんど人が住んでいませんから人工的なゴミがありません。山口県にも長門峡というちょっと有名な渓谷がありますが、上流に人家が多数あるのでどうしてもゴミが目に付いてしまいます。そういうわけで訪れる度に「これが本当の山奥なんだよなー」と納得することになります。

夏ツバキ.jpg

加納さんは奥出雲の出身です。実家は松本清張の代表作「砂の器」の舞台として世間に知られるようになった、島根県仁多郡奥出雲町にある木次線の亀嵩駅(かめだけえき)の近くです。(正確には一駅となりの出雲三成の近所でしたっけ?)私はサラリーマン時代に職場の旅行でこの亀嵩駅を訪れたことがあります。加納さんのガイドで中国自動車道の三次インターから中国山脈を越えて松江へまで北上したことがあります。2月の中旬だったので、スタッドレスを履いた10人乗りのワンボックスと乗用車の2台で行きました。美祢では雪なんてもう見られない時期ですが、まだ雪の残る中国山脈を越えて宿泊地である松江に抜けるという、今思えばとんでもない冒険旅行でした。しかもまっとうな経路の国道はあえて避けて、好き好んで地元の人間でないと知らない道や大規模林道・広域農道などを利用して山越えでした。道路の除雪作業はかなり徹底していたのですが、それでもスタッドレスでないと絶対に走れない箇所がけっこうありました。道路の両側にはまだ1メートル近い雪が残っています。亀嵩駅の周囲も雪が強烈に残っていて別世界でした。こんなに雪深いところを訪れたのは初めてなので、驚きを通り越して感動したものです。ある意味とても記憶に残る旅であり貴重な体験でした。実におもしろかったな-。

さて話を山歩きに戻します。安蔵寺山がよく見える林道を散策するとあちらこちらにシャラの木(たぶん姫シャラ)がありました。シャラの木あるいは姫シャラの木はツバキ科ナツツバキ属の花木です。花の少ないこれからの時期にツバキによく似た小ぶりの白い花が咲きます。最近庭木として人気が出ていますから園芸店に行くと「夏ツバキ」の名前で出回っています。もとは山に自生している雑木なのですが、園芸店で購入すると結構なお値段なので驚きます。それで「掘って持ち帰ったら?」なんてつい思いがちですが、やっぱりドロボウはよくありませんよねー。それで寺の裏山を探し歩いたことがあるのですが、今のところ発見出来ていません。光明寺の裏山は八十八霊場の森なのですが、カシ・シイ・シキミ・サカキ・ツバキ等の常緑樹が主体です。花木となるとツバキか三つ葉ツツジ又は山ツツジくらいです。その他は今年の春に発見した山桜が例外的に見られる程度で少々面白くありません。ですから落葉樹の森は花木が多く見られるので「いいなー」なんてつい思ってしまいます。光明寺にもシャラの木(姫シャラより花が少々大きい)が境内に一本植えてあります。昨年園芸店で買ってきたものでが、すでに白い花が咲いています。一方島根の山奥は標高が高いのでまだまだ小さなつぼみでした。

深谷橋.jpg

安蔵寺山の周囲の林道をうろついた後は、島根と山口の県境になる深谷渓谷に掛かる橋を渡って山口県の岩国市(錦町)へ入りました。この橋は谷底から80メートルの高さがあります。今は欄干の上部に申し訳程度に大雑把な囲い(?)が追加してありますが、以前は写真の赤い欄干だけでした。歩いて渡ると実にスリル満点です。高所恐怖症の私は思わず足がすくんでしまいます。

錦川鉄道トロッコ列車.jpg

橋を渡った錦町にはこれまでじっくり見る機会が無かった未完成の旧岩日線が残っています。岩国から島根県の日原町(益田市)まで北上させて山口線と接続させる計画だった旧岩日線は、現在錦川清流線として岩国駅から錦町駅まで第三セクターの鉄道として運営されています。錦町駅から先は線路スペースが舗装道路になっていて、雙津峡温泉駅(そうづきょうおんせんえき)まで観光用のトロッコ列車(実際はトロッコ風の連結バスだな)が走っています。ロケーション的には京都の嵐山と亀岡間の保津峡に沿って走る旧山陰本線を活用したトロッコ列車(嵯峨野観光鉄道)などと遜色ないようにさえ思えます。岩国が始発なので乗客には米軍基地の関係者家族の姿が目立っていて予想外に好印象でした。始発駅の岩国がもっと大都会だったらかなり有望な観光スポットでしょうね。こんなに素晴らしい環境があるのに残念ながら人口密集地が近くに無い。惜しいなーってつくづく思います。

旧岩日線廃線区間.jpg

さて、今回私にとって一番惹かれたのは雙津峡温泉駅の先に残っている旧岩日線の遺構(廃線部分)です。まさに「強者どもが夢の跡」状態です。話には聞いていましたが「すごい計画だったなー」と改めて思います。完成しても絶対に赤字必至の路線だったでしょうが、山陽側から中国山脈を貫いて日本海側の益田市まで貫通させようと考えたのですから「すごいなー」の一言です。写真のように立派な橋が今も残っているので、その上を歩いて来ました。中国山脈を横断する鉄道ですから長いトンネルも沢山あります。この橋を渡りきったところが写真のトンネルですが、そうとう長そうでした。残念ながらここから先には進めません。このトンネルが廃線区間の終端部分になるのかもしれません。線路が走るはずだった部分が舗装道路になってはいますが、現状では特に使い道も無くて放置されたままの状態です。なんだか少々哀しい景観でした。世間では廃線跡を好んで訪れる鉄道マニア(廃鉄)のジャンルが確立していますが、彼らにとってはまさによだれもののスポットかもしれませんね。

旧岩日線のトンネル.jpg

調整池完成しました

2010年06月04日

調整池工事.jpg

芥川竜之介の短編小説に「蜘蛛の糸・くものいと」という作品があります。大正7年に児童向けの文芸誌で発表されているので、分類上は児童文学作品なのでしょうが、仏教的な示唆に富む内容は大人が読んでも考えさせられます。私も大昔に読んだ記憶があります。ご存じの方も多いことと思いますが、カンダタという罪人とお釈迦様が登場する物語です。カンダタは生前に様々な悪事を重ね地獄に転落していました。それでも彼は一度だけ良いことをしたことがあります。小さな蜘蛛を踏み殺そうとしたのを思いとどまり命を助けたことがあったのです。それを思い出したお釈迦様は、地獄の底のカンダタを極楽へ導こうと極楽の蓮池から一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろしました。極楽から下がる蜘蛛の糸を見たカンダタはそれにつかまって懸命に登り始めました。やがてふと振り返ると彼に続いて多くの罪人が登ろうとしています。これでは重みで糸が切れてしまうかもしれません。それでカンダタは「この蜘蛛の糸は俺のものだ。下りろ、下りろ」と大声でわめき散らしました。するとその瞬間、蜘蛛の糸はカンダタのすぐ上で切れたのです。その様子を見ていたお釈迦様は悲しそうな顔をして蓮池から立ち去られたのでした。

「自分さえ助かればよい」と利己的で無慈悲な行動をとったカンダタは罰を受けたのです。しかし彼の行為を我々は責められるでしょうか?同じ立場になった時、かならずや彼とは違う行動がとれると言えるでしょうか?私には自信がありません。今でこそ山寺の坊さんではありまが、すっかり中年オヤジとなった自分の人生を振り返ると、後悔や反省すべきことは山のようにあります。子供の頃なら素直に受け入れることが出来たかもしれませんが、大人になると実に怖い物語に思えて来ます。

例によって前置きが長くなってしまいました。実は訳あって山寺の空き地に大きなため池(調整池)を造りました。いずれ蓮池にしようかと考えています。それで、つい「蜘蛛の糸」の話になってしまいました。申し訳ありません。本題に入ります。私は山寺に首を突っ込んで以降、境内の整備で様々な土木工事を行って来ました。確かにずいぶん良くなりましたが、一連の土木工事により境内の排水(雨水)をどうにかしないといけないと言う新たな問題も生じて来ました。昨年7月21日に山口県はとんでもない豪雨に見舞われ、防府市では大規模な災害が発生して多くの方が亡くなりました。全国ニュースで大々的に報道されたので良く知られているところですが、山寺がある美祢市も記録的な集中豪雨に見舞われて、その際には背後の山から大変な量の出水がありました。整備前の草ぼうぼうの昔の状態のままであれば、状況は変わっていたのかもしれませんが、背後の大日堂や霊場の参道そして墓地や駐車場等と広範囲に整備を進めていたので、雨が降ると一挙に雨水が流れ出します。それなりに排水対策は行っていましたが、さすがにあそこまでの豪雨となると半端ではありません。排水溝からあふれた雨水が境内に流れ出て大変でした。一番困ったのは激しい豪雨により赤土混じりの泥水が用水路に流れ出て、近所の水田に迷惑をかけてしまった事です。

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山寺の周囲はのどかな田園風景です。ほ場整備が行われて大部分の水田は専用の用水路を供えていますが、なぜか寺の前の水田は旧来の用水路から水を引いています。大昔からあるこの水路に境内の雨水も排出されます。境内や背後の山は土壌が赤土なので、土木工事を行うと雨が降る度に赤土混じりの雨水が流れます。それで「方丈さんよ、寺をきれいにするのは結構じゃが赤土が流れんように考えてくれんにゃー」と、すぐ隣の岩本のおじさん(檀家)に、やんわりいやみを言われる訳です。お金があれば本格的な工事をやってそういうことが起こらないようにすることも可能でしょうが、いかんせん貧乏寺の坊主がにわか土建屋で工事を行うのですから、雨水対策は難しいのです。(それじゃーいけないのですが)それをきっちりやるとなると、とてもお金が掛かるので実に悩ましいのです。それでいろいろ考えた末に思い切って大きな調整池を造成することにしました。

山寺には境内に隣接した休耕田(寺の土地)があります。かなり広いのでここを掘ることにしました。境内の排水をこの池に受けてから水路に落とします。これなら赤土の流出は防げるでしょう。調整池なら私でも工事が可能です。我ながら良いアイデアではないでしょうか。造成工事は借りっぱなしとなっている例のバックホーが大活躍しました。まずは二日かけて大きな池を掘りました。その次は太いパイプで境内の排水を引き込む工事です。完成した調整池はすでに充分な大きさだと思いますが、その気になればもっと大きくすることも簡単に出来ます。いずれ一部は蓮池にするといいなーと思っています。本日一応完成したので後は大雨が降るのを待つだけ(?) の状態です。「よーし、これでもう岩本のおじさんに叱られんで済むぞー」であります。

息子の入院騒動

2010年05月27日

ステーキ.jpg

先月末に大日祭・花祭が無事終了してほっとしたせいか、今月初旬に不覚にも少々体調不良になりました。連休中は好天に恵まれましたが、その後は急に寒くなったり再び暑くなったりしたので季節外れの風邪に見舞われたようです。私は病院嫌いなので(カゼくらいでは行く気になれないのである)自然治癒するのを待ちました。幸い一週間程度で復活できたのでやれやれと思っていたら、今度は長男が体調不良です。息子の場合はテストが近いというので近所の病院に連れて行きました。たぶん「風邪だろう」という事で、おみやげ(薬)を沢山もらって帰りました。「若いんだからドーピング(投薬)やったら一発で元気になるだろう」なんて思っていたのですが、これが容易には回復しません。それで今度は違う病院へ行き抗生物質を処方してもらたのですが状況は一向に好転しません。そうこうしているうちに長男はテスト週間に突入してしまい、毎度おなじみの一夜漬はままならずテストの出来はさんざんだったらしい。「赤点にならなければ良いが」と心配していたら、やがてそれどころでは無い騒ぎになりました。

その日はテストの全日程が終了して長男は休みの日でした。テストが始まる前から下痢や腹痛でお腹の調子が悪いとは言っていましたが、自宅で寝ていたら午後から腹痛がひどくなったそうです。妻が仕事から帰った時には痛みで転げ回っていたらしい。発熱は無いのですが下肢には赤い斑点が無数に広がっていました。お腹の痛みは本人にしか解りませんが、派手な斑点は誰が見てもびっくり仰天です。驚いた妻は息子を救急外来に連れて行き、病院から連絡して来ました。私は寺から慌てて病院へ駆けつけることになりました。人気のない病院のベンチで妻と二人、息子の検査が終わるのを待ちました。やたらに時間の経過が遅かった。こういう時の親というものは「大変な病気でなければ良いが」と、そのことばかり考えるものです。実際こんな紫斑が発生する症例で重大な病もありえます。

医師の診断によると息子はどうやら「アレルギー性紫斑病」だといいます。この病は合併症がなければ基本的に無治療で経過観察であるという。要するに自然に治るのを待つのです。当面の治療はあくまでも対処療法になります。それを聞いてとりあえずほっとしました。血液検査の結果はおおむね正常でありながら、派手な斑点(紫斑)が出現するのがこの疾病の特徴です。小さな子供にみられる病気だといいます。担当の医師によると高校生がこの病気を初めて発病する例はめずらしいらしい。「うちの息子はまだ幼児なのか?確かに身体は成長したが精神は幼いかもな」などと妙に納得する父親でした。ただしアレルギー性紫斑病は腸重積・腸閉塞・腎炎等の合併症が出ることがあります。この点には充分注意しなければなりません。息子の場合も腸重積により激しい腹痛を起こしていたのです。この疾病も赤ちゃんや幼児が発症するものだといいます。典型的な症例は小腸の末端である回腸が大腸に食い込んで腫れ上がり腹痛を起こします。長男のレントゲン写真を見ると見事に腸が腫れていました。気づくのが遅れると腸が壊死を起こして大変なことになります。息子の場合は大事には至りませんでしたが、もし翌朝までほっといたら緊急の開腹手術になっていたかもしれません。まさかこんなに激しい腹痛になるとは本人も思っていなかったのでしょうが、妻が仕事から帰ってくるまで我慢していないで、遊び人みたいな親父に(山寺は暇だから)早くSOSを発信すればよかったのに。よく言えば我慢強いのでしょうが裏返せば実にのんきな性格です。緊急入院となった長男は三日間の絶食・点滴のみになりました。昨晩よりおかゆが出されるようになったのですが、今朝病室を訪れると開口一番に出たセリフは「肉食いてー」です。それで私の返した言葉は「退院したらた腹いっぱい食わせてやるわー」(ただし安いところではあるが)でした。

我が息子はお釈迦さんの説いた四大苦 (生老病死)の一つをひさしぶりに体験中ですが、「苦」としての意識はいたって薄いようです。腹痛でのたうち回っていたくせに実にけろっとしています。彼にとって病とは苦と言うよりも、ただ「肉が食えないこと」なのかも。ある意味うらやましい性格です。もっとひどい目に遭わないと実感が湧かないのかもしれません。親としてはこの程度で済んで安堵していますが、せっかくの機会ですから生老病死につてじっくり解説しておくべきでしょうね。

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