こだわり住職のよもやま話

2010年3月5日

塔婆ってなんですか?

2010年03月05日

本山霊園.jpg

真宗王国に住んでいると塔婆(とうば)というものを目にする機会は限られます。なぜなら浄土真宗には塔婆というものがありません。私の実家も真宗ですから、子供の頃より塔婆を地元で見ることはほとんどありませんでした。私にとって塔婆とは、時代劇の墓地などに出てくる「不思議な文字(梵字)や漢字が書かれた細長い板」程度の認識でした。塔婆とは卒塔婆(ストゥーパ)のことです。古代インドの公用言語であったサンスクリット語の(stûpa)の音訳で塔婆(とうば)とも略します。あくまでも耳に聞こえる音に漢字を当てただけなので、卒塔婆の漢字自体に深い意味はありません。もとはお釈迦さんの遺骨(仏舎利)を安置するための建築物(仏塔)を意味していました。仏塔を簡略化した五輪塔(五輪卒塔婆・石塔婆)をさらに簡略化したものが今日一般的に塔婆(板塔婆)と呼ばれています。

五輪塔の話が出たので触れておきますが、江戸期になるまでお墓の多くは五輪塔(石塔婆)でした。文字が彫り込んであるケースはまれです。よほど特別の人か名家でもない限り、墓石に文字が掘られることは無かったようです。だから詳しい情報は得られません。一般庶民は自然石を積んだだけの簡素なものが多かったようで、五輪塔の形でお墓が建立できる家は限られたのです。しかし江戸時代になると角型の墓石に戒名や没年月日などを刻むことが一般的になりました。子供の場合は竹の子を縦半分に割ったような形で、水平の面にはお地蔵さんの姿を彫った墓石(地蔵墓)が建立されていました。江戸期より一般庶民でも墓石に文字を刻むようになったので、その時代の墓石を丁寧に調査すると、戒名・没年月日・俗名などを知ることが出来ます。しかし名家や位の高い人々は、この時代になっても伝統的な五輪塔型の墓石を建立しています。例えば大名の墓石などがそうです。山口県の場合は毛利家の菩提寺等を訪れると、藩主などの墓石を目にすることが出来ます。いずれも実に立派な五輪塔形式です。今日五輪塔のスタイルで供養塔などを建立する際には、これらの墓石が良いお手本になります。山寺光明寺の生類供養塔も、まさに藩主のお墓を参考にして建立したものです。サイズはともかく見た目はお殿様のお墓風になっています。

さて、江戸期になると庶民も文字を彫ったお墓を建立するようになったのですが、年回忌法要などで塔婆(板塔婆)を立てることも、先亡の追善供養(追善回向)になるとして定着します。いわば年忌法要と塔婆の建立がセットになったのです。ただし浄土真宗では追善供養(追善回向)という考え方をしません。ですから塔婆を立てるという行為もありません。それで真宗王国の美祢市では、塔婆を目にする機会が限られていたのです。しかし山口でも大きな霊園などを訪れると塔婆が供えてあるお墓を見ることが出来ます。そんな時に私は少々気になることがありました。それは塔婆板に墨で書かれている文字が、たいてい書き慣れた達筆であることです。お坊さんが書かれるのでしょうが「上手だなー」と感心してしまいます。字が下手な私は、そういう達者な筆遣いを目にすると羨ましくて、思わずしげしげと眺めてしまいます。自分が坊さんになり、あのへんてこな板に(?)墨で書くようになるなんて夢にも思っていませんでしたので、塔婆を書くことが日常的になる宗派であることを知った時にはびっくり仰天でした。「これはマズイことになったぞ」と不安になりました。

山寺光明寺では8月3日に「大施餓鬼会」が行われます。お盆を迎える準備として、檀家さんはこの施餓鬼会で先祖供養の施餓鬼塔婆を一斉に建立します。ですから住職は大量(?)の塔婆を書かねばなりません。しかし筆達者な人にとってはなんて事も無いかもしれません。大寺の住職さんから見れば大したことのない枚数です。それでも私にとっては毎年難儀なことです。なんと言っても字が下手なのですから、一枚書き上げるだけでも大変な神経を使います。紙と違って塔婆は立派な板ですからけっこう値が張ります。書き損じると「あーまた大損害だー」とボヤくことになります。「どうしてこんなに字が下手に生まれたのだろう」と嘆きながら、それでも下手は下手なりに書くしかないのです。

さて山口ではめずらしい塔婆ですが、私が年回忌法要で常用しているのは三尺塔婆です。山寺では大きくても四尺までしか使っていません。しかし所かわれば五尺や六尺の塔婆を立てる地方もあります。六尺となると約180センチです。山口では信じられない大きさです。本山の境内北側には併設の霊園があります。京都の霊園ですから、田舎の感覚からすると区画は小さく墓石自体もこじんまりとしています。ただしその墓石の後ろに並ぶ塔婆は実に立派です。墓石より背が高いのが普通です。まさに墓石の背後にそびえ立っています。これだけ立派な塔婆だと墨で書かれた文字も大変目立つことになります。「あー山口でよかった」と、少々救われた気持ちになったものです。

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