こだわり住職のよもやま話

2010年3月29日

繰り出し位牌の効能

2010年03月29日

札位牌 操出位牌.jpg

初めて新仏が出るお宅や先亡がまだ限られる家では、お葬式を済ませた後は満中陰までに漆や金が塗ってある位牌(札位牌)を用意したいものです。満中陰法要の際には、この位牌の開眼供養も一緒に行うと良いでしょう。しかし古い家になると先亡が沢山おられるので、戒名や没年月日などが記入された位牌札が10枚程度まとめて収納出来る、繰り出し位牌(回出位牌)にされている家が多くなります。しかも、家によってはこれが二つも三つもある家があります。私の実家も仏壇に三つ置かれています。実家は真宗本願寺派なので、仏壇には過去帳を備えるので良いらしいのですが、なぜか田舎では本願寺派であっても繰り出し位牌が大抵あります。それだけ我々日本人は昔からお位牌というものを大切にして来たのでしょう。今でも火事にあったお宅のお年寄りが「お位牌だけは、なんとか持ち出すことが出来た」と話されることがあります。それは、なにはともあれ「ご先祖の位牌だけは守らねばならない」と考えていたからです。事実この繰り出し位牌というものは、その家のルーツを辿る際にはとても貴重です。「寺に過去帳があるじゃないか」といわれるかもしれませんが、お寺も古い過去帳となると火災で焼失していることが多くなります。都市部のお寺だと太平洋戦争中の空襲で焼失していまい、戦後の記録しか無いことだってあります。

実家の仏壇.jpg

山寺は田舎ですから戦災はありませんでした。しかし、残念なことに江戸中期以降の過去帳しか残っていません。それでも、そこまで遡れる事はありがたいことです。ただし、この時代の過去帳というものは、ご先祖の調査資料として精査する際にはずいぶん苦労します。当時はどの家でも姓を名乗っていた訳ではないのがネックになるのです。例えば、どこそこ村の誰れそれの倅(せがれ)とか、当村のなんとか左右衛門の父だ母だ妻だ娘だ子だ、などと記載されていることが多いのです。姓どころか俗名も記載されていないケースもあります。しかし墓石が残っていれば、刻まれた没年月日で過去帳を調べることが容易になります。昔の墓石は干支(えと)も必ず彫り込んでいたから可能になるのです。干支(十干十二支表記)は正式には二文字で表記されます。十干と十二支を組み合わせた60を周期とする数詞で、暦を始めとして、時間、方位などに用いられていました。今年の暦の例だと平成二十二庚寅(かのえ・とら)です。昭和は60年以上続いたので例外的に同じ干支が巡ってきましたが、昔の時代の年号は実に短命だったので、年号・年数・干支の組み合わせは限定されます。それで、風化して少々読めない文字があっても、墓の文字をたよりに寺の過去帳から該当の記載を探し出すことができます。

例えば墓石から読み取れた文字が「寛?十?庚申」だとすると、墓石に年号が入るようになったのは通常江戸期からなので、江戸期に頭が寛の文字の年号は、寛永・寛文・寛保・寛延・寛政となります。この中で庚申の年は寛政十二年しか有りませんので容易に確定できます。前記の例が「寛?十七庚?」であれば、十七年まであったのは寛永だけなので、寛永十七年庚辰であることが解ります。このように干支(十干十二支表記)は実に便利なしくみです。昔の人は賢いですね。しかし、古墓が残っていないケースではこうは行きません。それで、そういう時に繰り出し位牌が残っていると大変助かるのです。今では使われない古典的な表現や文字で書かれていることが多いので、少々判読には苦労しますが、通常は墓石の文字や寺の過去帳より詳しい情報が記入してあるものです。俗名や年齢は必ず書いてありますし、場合によってはそれ以上のことが記されています。例えば、どの家から迎えた養子であっただとか、どこから来た嫁であったなどです。「それがどうした」と言われればそれまでですが、これはいわば自分につながる歴史であり、子孫にも引き継がれるその家のルーツです。やはり大切にしなければならないと思うのです。古い繰り出し位牌の札は、まず例外なく白木の板に墨で書かれています。何百年も後でも、結構読み取ることが出来ます。だから、繰り出し位牌の札は絶対に処分しないで頂きたいのです。

ただし実家のにようにすでに位牌入れが三つもあるとなると、やがて置き場にも困ります。仏壇が小さめだとなおさらです。それで、私は檀家さんには「50回忌を済まされた先祖の位牌は位牌入れから抜いてひとまとめにされ仏壇の引き出しに安置なさってよろしいですよ」と申し上げております。(宗派や地方によっては33回忌を同様に扱うこともある)そして、位牌入れに例えば「○○家先祖代々之精霊」などと記載した塗りの札を一枚設け、50回忌が済まれた方はこちらに集約して頂くのです。これなら仏壇に奉る繰り出し位牌は一つで済みます。それと、今日、各家のお墓は累代墓が普通になりましたが、古い家となるとその累代墓に骨壺が実に沢山収納されているケースがあります。こちらも繰り出し位牌と事情は一緒です。いずれ満タンになって入れるところが無くなります。それで「50回忌が過ぎた先祖のお骨は土に返してあげて下さい。お浄土へ旅立たれた方は50年も経過すればかならず仏となられており、自身の一部であったお骨に対する執着からもすでに離れられておられます。だから土に還して差し上げるのが正しいのです」と、ご案内しております。残った者にしても、50回忌となるとそろそろ孫の代になっているでしょう。先だたれた方をよく知る人も限られますし、その記憶も薄くなっているかと思われます。だから残っている我々も、故人(個人)に対する思い(執着)からそろそろ解き放たれ、「ご先祖と一体になられたのだ」と、とらえるようにするべきなのです。そのためにも、納骨の際には骨壺にどなたであるかを表示して納めることを忘れないで下さい。

私にしてみれば、50回忌とは坊さんを呼んで読経して頂くことも大切なことではありますが、忘れてはならないのは、繰り出し位牌の整理と累代墓に眠るお骨の整理をして頂く貴重な機会なのです。いわば重要なけじめのタイミングだととらえて頂きたいのです。

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