こだわり住職のよもやま話

2010年3月25日

お墓の建立について

2010年03月25日

大正時代の累代墓.jpg

山寺の檀家さんに同級生の中野君宅があります。彼とは中学・高校と同じ学校でした。色白でひよろっとしていますが意外にタフなヤツです。ずいぶん昔の話になりますが、彼から軟式テニスの個人レッスンを何度か受けたことがあります。中学三年の時の話です。当時彼は軟式テニス部で私は吹奏楽部でラッパを吹いていました。それまでテニスは遊びでしかやったことがありません。卒業も近づいて来たので、中学時代の記念として「いっちょ本格的にテニスをやってみるか」ということになりました。私にしてみればテニスはラケットとコートがデカくなった卓球ですから、どーってことないはずでした。(卓球部にいたことがあるのでナメてる)しかし案の定、本格的な打ち合いになるとネットに引っかけたりホームランになったりします。それでも、しばらく練習を続けていると要領が飲み込めてきます。軟式は硬式テニスのように強烈なサーブがありません。打ち合いの過程でいかに相手を左右に走らせ、打ち返せない状態にもって行くかの勝負です。見ようによっては実に意地悪な競技かも?打ち合う際の球速が硬式にくらべればかなり遅いので、大して経験の無い私でしたが、フットワークには自信があったのでスピードについて行くことは出来ます。以前書いていますが、(12/26・ギター少年の求不得苦)当時の私はかなり足が速かった。(こういうのを過去の栄光という)慣れると、これが結構いけるようになったのです。短期間で彼といいラリーが出来るようになった懐かしい記憶があります。(彼が手加減してくれたからか?)

さて、前置きはこれくらいで本題に入りましょう。その同級生のところの累代墓が近く建て替えられることになりました。彼と私の共通の友人でもある幸夫が立ち上げた墓石店「あつたく」が工事を行います。それで本日はお墓の建立について少々書いてみます。 建て替えられる累代墓は、大正時代に白御影石で建立されたものです。古いものですが、かなり立派なものです。仏石の(墓石の頂上にある細長い部分)頂上は、今時の墓石とは異なり水平ではありません。中心部がこんもりと盛り上がっており、四隅は天に向かってソリ上がっています。仏石の正面は額縁仕上げです。四方が縁取りされて一段低く削り取られた面に文字が刻られます。そして、その仏石は足付きの台に(高級料亭のお膳みたい)のっており、花筒・香炉などのデザインも凝ってます。いずれも古典的な意匠で今日ではめずらしくなりました。江戸期に武家や裕福な家のお墓がこのスタイルで建てられることが多かった。だから少々もったいないような気もするのですが、この累代墓には問題がありました。納骨室が異常に深いので納骨の際に手が届かないのです。ひょっとすると骨壺での納骨ではなく、お骨だけを直接投入することを前提にしていたのかもしれません。しかし今では一般的ではありませんので、やむなく骨壺にひもを掛けて上からそっと降ろすことになります。一度入れた骨壺は、もう取り出すことも触ることも出来なくなります。納骨が大変めんどうなので困っていたのです。納骨室は地下深くまで垂直に掘り下げてありますから、湿気で内部はカビだらけになります。それと、こういう古い累代墓で時々あるのですが、納骨室にハチが巣を作り大変なことになりました。流石にこうなると、お墓をどうにかしたくなるのが心情です。建て替えもやむなしでしょう。

今日、累代墓を建立するとなると、たいてい舞台墓の様式になります。地上にまず納骨室となる四角い石造りの部屋(舞台)を設けます。この部分がいわば墓石の一段目です。その上に二段目以降の墓石がのって行き、最終的に舞台を含めた全体が墓石になります。この建て方で敷地を目一杯使って建立すると、今時の小さな区画でも実に見栄えの良いお墓となります。当然、納骨室は地下にはなりません。骨壺は舞台に設けられた扉(普通は正面)を開けて、水平になっている納骨室に納めます。これなら簡単ですし湿気の問題も解消されます。ハチも滅多なことでは住み着きません。納骨室内の大掃除も、やろうと思えば大して苦労しなくても可能です。いいことだらけです。ですから同級生の累代墓もこの舞台墓に更新されることになりました。

典型的な舞台墓.jpg

ところで、お墓というものはそうそう建てたり、建て替えたりするものではありません。累代墓に限定して考えると、家を建てることよりも頻度は低いのではないでしょうか。ですから、お墓の建立は慎重にことを運ぶべきです。今日、大手の墓石店や大型の霊園に行けば様々なデザインの墓石を見ることが出来ます。そういう時、我々は当然ながらまず見た目にこだわりますよね。末代まで残るかもしれないのですから、出来るだけこだわってみたいものです。それはそれで悪いことではないでしょう。ただし、累代墓を建立するとなるとそれ相応の資金が必要です。これが問題なわけです。お金に充分余裕があるのならかまわんでしょうが、世の中そうは甘くない。「いや、金の心配はないぞ」っていわれる方が中にはおられるかもしれませんが、いざ建立となるとやっぱり金額は気になるものです。そんなときに目先の金額や営業マンの口上にうっかり乗ると、後で後悔することがあるので注意して下さい。くどいですが、お墓は場合によっては末代ものです。何百年も使うかもしれません。そう考えると墓石建立はめったに無い大事業です。例えば家を建てるときは、どなたでも真剣に検討されるでしょう。しかし、お墓だと金額的に一桁は違うので油断するのかもしれませんね。でも、お墓は家を建てるのと同じくらい大事なことだと考えて慎重にお願いします。

ここで質問です。家を建てる時みなさんは何を重視されるでしょうか?使いやすい間取り・夏涼しく冬温かい断熱効果の高い家・採光の良い明るい室内・風通しの良い家・おしゃれな外観あるいは重厚な外観などと、いろいろ考慮しなければならないことがありますね。もちろん予算あってのことですし、忘れてはならないのが耐久性。これも重要です。では、お墓の場合で一番大切なのは何でしょうか?考慮しなければならないことは数ありますが、私はなんといっても永続性だと思っています。なんだかんだ言っても、今時の家はよくて100年くらいでしょう。普通はそこまでもちません。でも墓は違います。それから、家のように途中で補修や建て増し(改築)をすることが難しくなります。あえてそれを行うとなると、新しい墓を建立するのと変わらないくらいお金がかかるケースもあります。墓は何度も建て替えるものではないし、またするべきではありません。そうなると場所もよくよく考えないといけません。お参りのしやすい場所でないときっと後悔します。将来のことも含めて、可能な限り後で問題が起こらないようにして下さい。最悪なのは、いい加減な業者で適当に建てたばっかりに、後でとんでもないことになるケースです。そういう業者は見えないところで手を抜くので危ないのです。具体的にいうと、それはずばり基礎工事です。上にお墓が乗っかったらもうわかりません。でも将来お墓が傾いたり継ぎ目がずれて来たらどうします?完全に解体して建て直すはめになります。しかも、建てた業者が責任をとってくれないことがあります。これが一番怖いのです。事実、山寺の檀家さんでこのケースがありました。だから複数の墓石店で見積りを取ることは必要でしょうが、金額にこだわって安い業者を安易に選ぶのはリスキーです。安く出来るのはそれなりの理由があるからです。もしそれが基礎工事のコストダウンだったら大変です。最終的に見えなくなる部分ですが「だからこそ充分な安全マージンを取るべきなのだ」と考える墓石店で建立したいものです。ましてや決して安くも無かったのに、いい加減な工事で傾いて来たら目も当てられません。結局なによりも信用できる墓石店で建立することが大事なのです。

さて、そうなると「じゃあ、信用できる優良店をどうやって探せば良いんだ?」になる訳ですが、実はこれが難しいのです。私も「ここが一番です」と、自信をもって紹介できるほどの情報は持ち合わせておりません。しかし私自身が近年お墓を2基建立した経験はありますので、その話をしておきます。それは山寺の永代供養墓と生類供養塔です。幼なじみが墓石店「あつたく」を開業していたので、その彼に任せました。結果、大変満足しています。私の墓石に関する様々な知識は彼から教わったものです。長年大手の墓石会社で経験を積み、現場を全て仕切るまでになっていた彼の口癖は、「とっしゃん、墓は基礎が一番大事やで」「ここをいいかげんにやったら、後で大後悔することになる」です。いわば石屋として独立した彼の信念であり哲学でした。そんな彼の口癖は今ではすっかり私の哲学でもあります。

光明寺永代供養墓.jpg

山寺の永代供養墓は納骨室(納骨堂)の上に観音菩薩が据えてあります。当然全体の重量は大変なものです。基礎工事は充分すぎるほど留意して建立しました。およそこの世に「永遠」なんてものはないのですが、それでも、あえて永代供養とうたう以上は、「可能な限り丈夫な建立でなければならない」と、まず考えました。観音菩薩の台座が実質的に納骨堂ですが、コストはかかっても総御影石づくりによる、いわば「大型のお墓」として設計してもらいました。骨壺納骨を前提にしていますので、建設費のわりには収納できる数は少なく、正直なところ収支を重視していたらこんなことは出来ません。納骨堂部分は鉄筋コンクリートの壁に石板を張って仕上げれば、見た目はほとんど変わらずにコストダウンが可能です。しかし100年200年先を見据えると採用できません。それと、総御影石づくりにこだわるにしても、シンプルな納骨堂(箱形の御堂風)を建てた方が収納数や建設費が有利になるのは解っていますが、私はあえてこの形を選択しました。この供養墓もいつかは古びてくるでしょうが、仏さんが上にのっていますから、100年200年先でも粗末にされることはないでしょう。私が逝ってもここに眠る仏さんはきっと大丈夫です。そう考えて観音菩薩なのです。

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