こだわり住職のよもやま話

2010年11月

安部家の年回忌法要

2010年11月21日

安部家の手作り会席.jpg

本日は安部家のお宅で年回忌法要がありました。読経は私にとってのスタンダード、阿弥陀経と日中礼賛偈でつとめさせて頂きましたが、少々駆け足ぎみの読経でいつもより早く終わるように意識しました。それというのも、当主の安部和敏氏はまだ定年前なのですが、4人の息子の内すでに3人(でしたっけ?)が片付いており(嫁さんをもらってる)沢山の孫がおられます。本日はおチビさんたちが勢揃いなので「長くなったらまずいでしょう」と考えたのです。ところがどっこい、子供達は思いの外静かにしているではないですか。拍子抜けというか誤算であります。(みんなお利口さんでしたね、写真右側に写っています)これなら時間を意識する必要もありません。それで、当初は予定していなかった法話も追加させて頂きました。

おつとめが一通り終わった後は、すぐ近くにある安部家のお墓にお参りに行きました。大変良い天気でしたから歩いて行くには絶好でしたね。安部家の立派な累代墓の前で親族一同の記念写真を撮り、再び自宅へ戻ってくると、法要会場はすでにテーブルが並べられて食事の用意が出来ていました。当主のご案内で席に着いて目の前のお料理にふと見をやると、「あれっ、どっか違うナー」と感じます。よく観察すると目の前のお料理はすべて個別の容器に盛られています。これってお店での食事と同じですが、ここは料理屋じゃないですから、あれれ?です。今日、自宅で行われる年回忌法要の食事といえば、送迎バスで料理屋等へ場所を移動するか、仕出屋さんから配達してもらう豪華なお弁当(会席膳) になります。ところが目の前にあるお料理は一品ごとに陶器の容器に盛りつけてあります。それで訪ねてみたら、なんと全て奥さんの手作りなんです。これには驚きましたね。

いまどき(この表現は適切ではないかも)法事の際に手作りのお料理でもてなす家はめずらしいでしょう。いや大変貴重です。すごいと思います。奥さんにはすっかり脱帽です。見直しましたね。(この表現は失礼だなー)訂正します。「尊敬します」である。そうです、私は料理の上手な女性を尊敬してやみません。(以前ピアノの弾ける人を尊敬してやまないと書いているが、ご婦人方の料理の腕前も同様である)みなさん、自分が長生き出来たら奥さんの手料理を何度口にする事になるか、その回数をよーく考えて下さい。料理上手な奥さんがどれだけ有りがたい事なのか、世の亭主族にはしっかりと理解して頂きたいものです。残念ながら携帯のショボイ写真しかありません。レンズにキズが入っているので不鮮明ですが掲載します。本日は寺まで迎えに来て頂いたので、車に積みっぱなしのカメラで撮影することが出来ませんでした。残念。でもその代わりに(?)奥さん手作りのお料理をアルコール付きで堪能させて頂いた。実に贅沢な食事でした。ありがとうございました。

十夜会厳修される

2010年11月16日

十夜会の光明寺.jpg

昨日山寺は十夜会が行われました。春の彼岸会と同様に午後から行う法要なので、例によって六種類ある唄みたいなお経(往生礼賛偈)は「日没礼賛偈」を読誦しました。往生礼賛偈は、いずれも阿弥陀様のおられる西方極楽世界(お浄土)に思いを寄せる実に味わい深いお経です。昨日みさんに聴いて頂いた日没礼賛偈は、タイトルの通り通常は夕方(午後)のおつとめとして読誦するお経です。ですから夕日を浴びながら称える事が出来ると一際感動的なおつとめになること間違いなしであります。まあ、そこまで条件がそろうと映画の一場面みたいで少々芝居がかって来ますが、要はそういう心構えで臨みたいお経だという事です。理想としては「沈み行く夕日を追いかけるようにして読経させて頂けるといいなー」と云うわけですから、他の時間帯の礼賛偈よりも若干早いテンポで読誦することになります。

さて、この日没礼賛偈ですが、前半部分で阿弥陀如来の別名を次々と読み上げます。このお経の最大の特徴であり印象に残る部分でしょう。登場する阿弥陀如来の別名は、無量光仏、無辺光仏、無礙光仏、無対光仏、炎王光仏、清浄光仏、歓喜光仏、智慧光仏、不断光仏、難思光仏、無称光仏、超日月光仏です。阿弥陀仏の智慧の働きを十二の光にたとえてこう呼ばれるのです。そして終わりには「日没無常偈」と呼ぶ重厚な詩偈を蕩々と読誦します。(まさに歌い上げます)無常偈は、仏教における重要なキーワードの一つである「無常」を説いています。六種類ある往生礼賛偈は、いずれも最後は無常偈で結ぶことになり、日没無常偈、初夜無常偈、中夜無常偈、後夜無常偈、晨朝無常偈となります。参考までに日没無常偈の経文と現代訳を掲載します

 


【日没無常偈】


諸衆等聴説日没無常偈

もろもろの衆生たちよ聴きたまえ、日没の無常偈を説こう。

人間怱怱営衆務

人間は慌ただしく苦楽を生む処世に追われ、

不覚年命日夜去

仏の教えを目の前にしながら寿命がどんどん流れていることを知らない。

如燈風中滅難期

風の中に置いたロウソクの火が消えるか消えないのかをハラハラして見ているように、

忙忙六道無定趣

気の休まらない六道輪廻の世界には、心の安らぎはない。

未得解脱出苦海

欲望の執着から解脱して、苦しみの世界から抜け出していないのにもかかわらず、

云向安然不驚懼

どうして安閑として、この世の無常迅速に驚きおそれないのか。

各聞強健有力時

みな、しっかりと聞いて欲しい、生きている今こそ、

自策自励求常住

みずから励み勤めて、永遠の真実なる世界に生まれることを求めるべきである。

 

正伝寺 家原宗之師

さて、私の読経が一通り終わると次は先日、晋山(住職就任)されたばかりのご住職にお説法をして頂きました。福岡県行橋市馬場にある正伝寺の家原宗之師です。11月10日の毎日新聞、地域版を開くとカラー写真で大きく掲載されていたのでご覧になった方もおられるかと思います。母方の実家のお寺を継がれたご住職です。家原師はごらんの通り実に立派な体格のお坊さんです。失礼ながらおたずねすると体重は三桁だそうです。すごいですね。我が山寺の内陣は床が随分痛んでいますから、皆さんが見ている前で床板が抜けやしまいかと、私はヒヤヒヤしながら高座にご案内しました。(笑って下さい、本当です)家原師はまだ31歳です。若いっていいですねー。肌なかんつやつやしてます。笑顔になると細めた眼がとても可愛らしくて(失礼)実になごやかな気持ちにさせて頂けるお坊さんです。貴重なお説法を拝聴させて頂きました。ありがとうございました。

2010年11月16日

今年の十夜会は大銀杏が見事に色づいたタイミングで皆さんをお迎えすることが出来ました。本堂前は山吹色の扇葉で覆われ始めています。境内の整備を進めた関係で昔にくらべると密度は随分低下しましたが、(広範囲に拡散するので)しばらくこのままにしておこうと思います。

西山の瀬戸内寂聴さんです

2010年11月09日

専修寺さんの法話.jpg

本日は快友寺で十夜会法要がありましたのでお手伝いに行って来ました。お経の後は専修寺(福岡県宗像市東郷)ご住職、馬場俊良師によるお説教が行われました。先月末の舜青寺さんの晋山式で行われた記念説法に引き続き、私は再びお話を聞かせて頂く機会に恵まれました。ご住職は小柄な尼僧さんです。福岡県には西山の尼僧さんが結構いらっしゃいますが、山口県には皆無なので女性のお坊さんのお説法を聞かせて頂く機会はめったにありません。快友寺の檀家さんはもちろんのこと、私にとっても貴重な機会でした。専修寺さんは失礼ながら実に若々しい感覚の語り口が印象的な方です。初めてお会いしたのは、坊さんの研修会が専修寺さんで開かれた時でした。気さくでとても明るい方だったので初対面の時からしっかり記憶に残りました。こんな発言をすると関係者や諸先輩方からお叱りをうけるかもしれませんが、坊さんの世界は男社会です。これは事実だと思います。そしてそんな世界で頑張っておられる尼僧さん達の姿を拝見した私の率直な感想は、皆さんとても真面目で真摯な生き方をされているので頭が下がりました。専修寺ご住職も見事な清僧です。それに比べて私などは典型的な破戒僧ですから誠に恥ずかしい限りです。

山寺光明寺は平成19年の春に専修寺さんにお説教をして頂いたことがあります。檀家のみなさんには「西山の瀬戸内寂聴さんです」と紹介させて頂きました。お説教は当然ですが、ご詠歌もとってもお上手な尼僧さんです。機会があれば、また山寺に来て頂きたいものです。

今年も見事に色づきました

2010年11月08日

色づく大銀杏.jpg

山寺の大銀杏が色づいて来ました。すでに風が吹くとハラハラと散りはじめていますから、今週末あたりがピークだと思います。数年前までは落葉が真下に分厚く降り積もるので後片付けが大変でしたが、今はそこまで積もることはありません。境内南側へ駐車場を整備した関係で風通しがすこぶる良好になり、落ち葉はたちまち飛散するようになったからです。おかげで随分助かっています。実に良い事みたいに書いていますが、要するに風が吹き散らかしてくれるので「掃き掃除をサボれるようになった」という事です。南北に細長い境内を北風が吹き抜けると、都合の良いことに(私にとってです)遙か遠くまで吹き飛ばしてくれます。ただし飛散した落ち葉がこれまで以上に周囲に迷惑をかけているのも事実です (こんな田舎ですから叱られることはありませんけど)それと、あの見事な絨毯がもう眼に出来ないのはとても残念です。降り積もった落ち葉で実に素晴らしい景観でしたからね。およそ娑婆世界では何もかもが都合良く行くなんてことはないのですが、凡夫はやはり無いものねだりしたくなるものです。

まさに喜びの涙です

2010年11月01日

舜青寺稚児行道.jpg

昨日は「西山で用いる二つの紋」 (3/9投稿記事)でご紹介した徳光山舜青寺さんで晋山式が行われました。先代漆間正道師が遷化されて早や三年、法灯を受け継がれた漆間朋道師の住職就任式は、組寺の僧侶はもとより檀家の皆さんや地区の皆さんも多数見守る中で盛大に開催されました。晋山式の主役はもちろん晋住(新住職)ですが、ひときは皆さんの目を引いたのは可愛らしいお稚児さんたちでした。少々雨模様だったので屋外での稚児行列は中止になりましたが、先代が再建された本堂で稚児行道をしっかりやりました。その様子を眺めていたら、もう二十歳になる私の娘が実家の檀那寺本堂の建て替えが行われた際に稚児として出演(?)したのを思い出しました。まだ幼かった長男は姉の稚児姿を目にするなり「自分もやりたい」と急に言い出して妻を困らせたものです。私はカメラを握りしめて娘の晴れ姿を残す事に必死でした(当時写真に凝っていましたから)仕上がったプリントを眺めて「我が娘ながらなんて可愛い子なんだ」と悦に入ったりしていたのですから見事な親ばかぶりです。稚児行列はめったにありませんが実にいいものですね。お寺なんて(失言)常日頃はお年寄り専門ですが、この日ばかりは若い方の姿が目立ちます。そしてこれがあるからこそひときは賑やかになるのです。お稚児さん一人につき、父母とおじいちゃんおばあちゃんですでに4人の関係者が御参拝です。この構図は幼稚園の運動会とまったく同じですね。

さて、晋山式が無事に終了したので晋住はさぞかしホッとされたことでしょう。事前の準備も大変でしたね。本当にお疲れ様でした。なんてったって晋山式は何度もやることじゃないし、やり慣れていない事が沢山出てくる法要ですから緊張しますよね。「うまく出来るかなー」なんて言われてましたが、前日に二人でリハーサルした通り見事にこなされました。それと流石に元教頭先生ですね(今年退職されました)晋住の挨拶は実に堂々としていて素晴らしかった。私など極度のあがり症ですから、いまだに人前で話すのは苦手です。うらやましい限りです。

式の最後には支所長の願成寺住職、国藤重成師より参拝の皆様に謝辞が申し上げられました。当日の雨模様について「先代が喜びの涙を流され、この地に降りそそがれているのです」と述べられた挨拶には感銘を受けました。先代の強い思いを知る一人として、まさにその通りだと思いました。誠におめでとうございます。

▲PAGETOP