こだわり住職のよもやま話

2010年12月

今年の一字は?

2010年12月24日

平成22年も残りわずかとなりました。財団法人日本漢字能力検定協会が毎年師走の「漢字の日」に発表している「今年の漢字」は「暑」でしたが、確かに今年の暑さは異常でしたね。清水寺の貫主さまが巨大な色紙に今年の漢字を書き上げられるニュースはすっかりおなじみとなりましたが、その映像を目にする私の感想は「なんと見事な書なんだろー」とただただ感心するのみです。さすがに清水寺の貫主さまです。書の神様(仏さま?)に思えて来ます。ごつい筆で一気に書き上げられるそのご様子を見ていると、「立派な衣が墨で汚れはしないだろうか?」などと誠に俗っぽいことをついつい心配してしまいます。私も時々坊主衣装の姿で塔婆を書く事があるのですが、これまで何度しくじったことでしょう。貫主さまがお書きになった書はその後、清水寺「奥の院」のご本尊・千手観世音菩薩に奉納されます。いわばこの儀式(法要)が最終的な目的であり一番重要なのですが、ついついそんなことよりも「墨が飛び散って衣が」などと目先の事が気になってしまいます。今年も相変わらず見事に「在家の人」のままで私は晦日を迎えるようです。

さて今年をふりかえると、私の一字は「驚」になります。この一年は予想外の出来事ばかりでした。今年は、いや今年もさまざまな事がありましたが、驚く事が実に多かった。春には思いがけない大雪に見舞われて慌てました。

平成22年3月10日

7月には歴史的な豪雨により、大日堂を失うという光明寺にとっても歴史に残る大事件が発生しました。その後の記録的な猛暑もすごかった。その影響もあったのでしょうか、晩秋以降になると葬儀が次々に発生して多くの檀家さんをお見送りすることにもなりました。山寺のお坊さんになって以降、なんだかんだでこんなに忙しい一年を送った年は初めてでした。プライペートでも殺生坊主の記録更新があったりして、まさに「驚きました」の連続でした。来年は平穏な年になるとよいのですが、こればっかりは解りませんね。

平成22年歴史的豪雨災害.jpg

今夏は猛暑でしたが、この冬はとても寒くなるらしい。師走に入ると境内の水盤に氷が張る日が見られるようになりました。本日は晴れていますが、今現在(お昼過ぎ)の本堂の室温は5度です。山口県の山間部はホワイトクリスマスになるかもしれません。受付テーブルに置きっぱなしのPCでこの記事を書いていますが、寒くて風邪を引きそうなのでもう切り上げます。

凍り付いた水盤.jpg

続、発願文の心で生きる

2010年12月07日

航空自衛隊制帽.jpg

2月14日に「発願文の心で生きる」と題して投稿しておりますが、本日は再びこの「お題」に関して書きたいと思います。繰り返しになりますが、我が宗派において非常に大切なお経(偈文)である「発願文」の現代語訳(意訳)に、まず目を通して頂いた後に本題に入りたいと思います。できれば2月14日の記事も参照して頂けると幸いです。

発願文(現代語訳)
仏道の友よ、命の終わる時がきたならば、つぎのことを願おうではないか。心うろたえることなく、心の錯乱することなく、心を失うことなく、心身に苦しみ傷むことなく、心身は安らかにして、心は安定の状態に入り、目の前に仏・菩薩らのお迎えを頂きたい。そして阿弥陀仏の救いの願いに乗って勧経に説いている上品上生の往生人のように生まれさせて欲しいと。無論、かの国に生まれ至ったならば、そこで得た偉大な能力をもってこの世の苦しむ人々に救いの手をさしのべようと思っています。このわたしたちの願いは、宇宙の空間が限りなく広がっているように尽きることはありません。このように発願いたしました。心より阿弥陀仏に帰命いたします。

 

12月1日、檀家の長井和夫氏がお亡くなりになりました。私にとって氏はとりわけ印象深く特別な方でした。現役時代の故人は航空自衛隊の自衛官として要職に身を置かれていました。適切ではないでしょうが、あえて古典的な表現をするならば、いわゆる「軍人」であられた。しかし、故人のお人柄をよく存じ上げる者の一人として、誤解を恐れずに率直な思いを述べさせて頂くと、「この方が自衛官であったなんて信じられない」と思わずにはいられませんでした。なぜなら長井氏は実に温和な人物であり、まるで菩薩のような方だったのです。氏は私にとって尊敬すべき人生の先輩であり、同じ仏教徒として「心の師」でもあられました。

仏教では「貪瞋癡(とんじんち)」 貪(むさぼり)瞋(いかり)癡(おろか)の「三毒」を強く戒めますが、これを克服することはとても難しいことです。仏教者である私にとって、貪瞋癡の克服は永遠のテーマであります。長井氏の人生を見聞きし晩年の生き様を拝見させて頂いた私にとって、三毒を見事に乗り越えられている姿には尊敬の念を禁じ得ませんでした。そして、故人は己の死期が迫る中でも周囲に対する思いやりにあふれた行動を最後まで忘れない方でした。それはまさに深い慈悲の心でした。確かにご職業をかんがみれば、己の死というものに対しては一般人には及びもつかない深い覚悟があられたであろうことは想像できます。しかし、それはあくまでも現役時代のことでありましょう。誰しも死は恐ろしく苦しいものです。他人には決して計り知れません。しかし、それでも、できるとこならば穏やかな心でその日を迎えようではないかと「発願文」は説きます。そして、それは己の為だけではないのです。恐怖におののき苦しみもだえる姿を見守ることになる家族や周囲の人々を苦しませ悲しませたくないからでもあるのです。だから「最後まで慈悲の心を手放さない菩薩の生き方をしようではないか」と発願文は説くのです。

12月1日午前5時24分、長井和夫氏はこの世での使命を終えられ、お浄土にお還りになられました。故人はまさに「還相回向」の人でした。前世において、極楽へ往き仏となり、そして阿弥陀仏の大いなる願いに導びかれて再びこの世界に戻って来られていたのにちがいありません。この世で人々を救済する(阿弥陀仏のお手伝いをする)ために、この娑婆世界で菩薩の生き方を貫かれ、そして再び阿弥陀仏の元へ還られたのです。まさに「発願文」の心で生き抜かれた76年の生涯でした。

制服に身を包み涙をこらえながら最敬礼でお見送りされるご子息、竜夫さんの姿が脳裏に焼き付いております。父と同じ道を進んだ竜夫さんにとって、故人は尊敬する父でありまた目標でもありました。万感の思いを込めた最後の敬礼を目の当たりにした私は、激しく心を揺さぶられました。発願文を称えるたびに私は長井和夫さんのことを思い浮かべることとなるでしょう。今生においてお会いできたことを心から感謝申し上げます。 合掌

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