2月14日に「発願文の心で生きる」と題して投稿しておりますが、本日は再びこの「お題」に関して書きたいと思います。繰り返しになりますが、我が宗派において非常に大切なお経(偈文)である「発願文」の現代語訳(意訳)に、まず目を通して頂いた後に本題に入りたいと思います。できれば2月14日の記事も参照して頂けると幸いです。
12月1日、檀家の長井和夫氏がお亡くなりになりました。私にとって氏はとりわけ印象深く特別な方でした。現役時代の故人は航空自衛隊の自衛官として要職に身を置かれていました。適切ではないでしょうが、あえて古典的な表現をするならば、いわゆる「軍人」であられた。しかし、故人のお人柄をよく存じ上げる者の一人として、誤解を恐れずに率直な思いを述べさせて頂くと、「この方が自衛官であったなんて信じられない」と思わずにはいられませんでした。なぜなら長井氏は実に温和な人物であり、まるで菩薩のような方だったのです。氏は私にとって尊敬すべき人生の先輩であり、同じ仏教徒として「心の師」でもあられました。
仏教では「貪瞋癡(とんじんち)」 貪(むさぼり)瞋(いかり)癡(おろか)の「三毒」を強く戒めますが、これを克服することはとても難しいことです。仏教者である私にとって、貪瞋癡の克服は永遠のテーマであります。長井氏の人生を見聞きし晩年の生き様を拝見させて頂いた私にとって、三毒を見事に乗り越えられている姿には尊敬の念を禁じ得ませんでした。そして、故人は己の死期が迫る中でも周囲に対する思いやりにあふれた行動を最後まで忘れない方でした。それはまさに深い慈悲の心でした。確かにご職業をかんがみれば、己の死というものに対しては一般人には及びもつかない深い覚悟があられたであろうことは想像できます。しかし、それはあくまでも現役時代のことでありましょう。誰しも死は恐ろしく苦しいものです。他人には決して計り知れません。しかし、それでも、できるとこならば穏やかな心でその日を迎えようではないかと「発願文」は説きます。そして、それは己の為だけではないのです。恐怖におののき苦しみもだえる姿を見守ることになる家族や周囲の人々を苦しませ悲しませたくないからでもあるのです。だから「最後まで慈悲の心を手放さない菩薩の生き方をしようではないか」と発願文は説くのです。
12月1日午前5時24分、長井和夫氏はこの世での使命を終えられ、お浄土にお還りになられました。故人はまさに「還相回向」の人でした。前世において、極楽へ往き仏となり、そして阿弥陀仏の大いなる願いに導びかれて再びこの世界に戻って来られていたのにちがいありません。この世で人々を救済する(阿弥陀仏のお手伝いをする)ために、この娑婆世界で菩薩の生き方を貫かれ、そして再び阿弥陀仏の元へ還られたのです。まさに「発願文」の心で生き抜かれた76年の生涯でした。
制服に身を包み涙をこらえながら最敬礼でお見送りされるご子息、竜夫さんの姿が脳裏に焼き付いております。父と同じ道を進んだ竜夫さんにとって、故人は尊敬する父でありまた目標でもありました。万感の思いを込めた最後の敬礼を目の当たりにした私は、激しく心を揺さぶられました。発願文を称えるたびに私は長井和夫さんのことを思い浮かべることとなるでしょう。今生においてお会いできたことを心から感謝申し上げます。 合掌