こだわり住職のよもやま話

2010年10月

運を使い切ったかも?

2010年10月28日

沖の島全景.jpg

私が殺生坊主であることは、こだわり住職の懺悔(後編)で白状していますから、本日は最近釣り上げたお魚のことを書きます。(今秋思わぬ大物を釣ってしまったので自慢したいのである)場所は玄界灘のまっただ中に浮かぶ沖ノ島です。ここは福岡県宗像市にある宗像大社(むなかたたいしゃ)の神領(沖津宮)なので勝手に上陸することは出来ません。島全体がご神体とされており今も女人禁制の伝統が守られています。島内の古代祭祀遺跡からは12万点もの遺物が出土しており、その多くは国宝、重要文化財となっています。別名「海の正倉院」とも呼ばれており、地元宗像市をはじめ福岡県等が中心になって世界遺産への登録を目指す動きが活発になっている宝の島です。九州本土からは60㎞位離れており周囲には何もありません。まさに絶海の孤島です。

さて、そんな神聖な場所に年に何度か私が行くようになったのは(恐れ多くも魚釣りである)坊さんになる前からですから、もうかれこれ8~9年になります。長年の相棒、上田研二が案内してくれた事で、私の釣りに対するスタイルはずいぶん変わってしまいました。それまでは上田と大分県米水津村でのクロ釣り専門でした。しかし大分への釣行はどうしても体力勝負になるので互いに辛くなっていたこともあり、やがて釣行先は沖ノ島オンリーとなって行きました。この島での釣りは実に強烈で釣りというよりも格闘に近いケースが多くなります。対象魚の筆頭は何と言っても特大のヒラマサ(九州ではヒラスとかヒラソと呼ぶ)でしょう。通常、釣師が磯から狙えるターゲットとしては最高の獲物(ファイター)であり食味もバツグンです。シーズンになるとこの島を訪れる釣り師は軒並み目の色を変えて狙っています。常連のタックルを初めて目にしたときは「クジラでも釣るんやろか」と思えるほどごつい仕掛けなので驚きました。それまでの私は太くてもハリスは6号でしたから、12号だとか14号で狙っているのを知って唖然としました。彼らはあくまでも超大型(メーター級)を狙って釣行しているのです。事実この島ではとんでもない大物が釣れます。ヒラマサは139㎝/25.7㎏という怪物が出ています。数は出ませんが大型の尾長グロも釣れます。私の知る範囲では71.6㎝/7.32㎏がここの記録だと思いますが、同じ船で釣行していたので現物を見ています。

初めて訪れた時の事は今もよく覚えています。大分の磯で真鯛や大型の尾長を夜釣で狙うために使用していた、自分としては最強のふかせタックルで沖ノ島に挑んだのですが、見事な返り討ちにあいました。その日は大型ヒラマサの食いが好調で私の仕掛けにすぐ当たって来ました。しかしこの島ではいたって軟弱な道具立てになるのですから、とても太刀打ちできません。たて続けに三度でした。ものすごい力で糸を引きちぎられました。私がその日持ち帰ったのは大型のイサキ(40㎝以上ありました)数匹と50㎝級の尾長グロでした。私にしてみれば充分な釣果ではありますが、あの強烈な引きを体験すると、やはり「釣り上げてみたいな」の思いは強くなりました。それまでの私は繊細な釣りが中心でした。柔らかい竿と細い糸で釣技を駆使して良型のクロを取り込む釣りです。しかしここでは根本的に考えを改めないといけません。とにかく太い仕掛けと強い竿でないとヤツらを(大型ヒラマサ)取り込むことは難しいのです。その後は私もそれなりの道具立てで釣行するようになり、そこそこ釣らせてもらっています。しかしメーター級の大物となると運も必要ですから、私のような「にわか大物師」にはチャンスは巡ってきませんでした。釣れてもせいぜい80㎝位でした。

自己最高記録(1㍍のマグロ).jpg

ところが今年の私は好調でした。春に訪れた際には85㎝の真鯛を釣らせて頂きました。真鯛の自己記録更新です。そして今秋には写真の大物に巡り会うことも出来ました。長さは1メートル位(正確には計測していません)あったでしょう。重量は12㎏でした。スーパーの鮮魚コーナーなどでおなじみのキハダマグロです。残念ながらヒラマサではありませんでしたが、沖ノ島でもこのサイズのマグロとなるとめったに釣れません。(50~60㎝の小型なら釣れますが)毎年秋のわずかな期間だけチャンスが巡ってくる貴重な獲物です。これまで大物にはとんと縁のない小物釣り師の私が運良く釣ってしまったのですからびっくり仰天です。クーラーに納まらないので山口まで持ち帰るのは大変でした。ここまで大きいと後が大変です。テーブルに新聞紙を広げて豪快に解体し、親戚やご近所に配って喜んで頂きました。猫のくせに魚嫌いのチロ(実家の猫)も、マグロだと喜んで食べてくれました。まるで宝くじにでも当たったみたいで「自分の運を使い切ったんじゃなかろうか」と少々心配になる事件でした。

大日堂の鰐口が復活しました

2010年10月26日

復活した大日堂の鰐口.jpg

7月15日の豪雨で倒壊した大日堂には寛政11年に設けられた鰐口がありました。被災後は取り外して保管していましたが、昨日本堂の向拝に取り付けて復活させました。浄土宗の本堂に鰐口がぶら下がっているのは妙かもしれませんが、このお寺の歴史を考慮すると「これもありかな」と考えました。設置には長いハシゴが必要で苦労しましたが、こうやって眺めるとずっと昔からここにぶら下がっていたかの様です。建物が建物ですから(ボロボロである)江戸時代の鰐口とのマッチングはすこぶる良好、全く違和感がありません。大日堂の御本尊「大日如来」さんは、今はこの本堂内に奉ってあるのですから、鰐口があった方がやっぱりいいでしょう。これをカンカンと鳴らすと雰囲気も出ますしね。毎月大日如来をお参りされている方や、まもなく本堂の前にある大銀杏が色づくのでこれを目当てに山寺を訪ねられる方などに、さっそく鳴らして頂ける事でしょう。もちろん山寺の行事で参拝された皆さんも鳴らして下さる事でしょう。以前より使用頻度は確実に向上するでしょうから、これはいい判断だったかも。もっと早く設置すれば良かったなと思います。

松永家の開眼供養

2010年10月24日

松永家墓所開眼供養.jpg

松永家墓所の移転工事が終了したので、昨日(10/23)は山寺の霊場霊園で開眼法要を行いました。例によってもろもろのお道具を持ち込んできっちりとやらせて頂きました。思えばこの霊園造成はかなり思い切った決断でした。いざ工事に入ると、今時の霊園に期待される水準を意識して、どうしても「これくらいのレベルまではやっとかなければ」と費用は膨らんで行きました。でもこんな田舎ですから永代使用料はごくお安い設定にしてあります。収支を意識していたら絶対に出来ない「ご乱行」ですが、境内整備の一環だと考えれば「これもありかな」です。それから美祢市は中心部でないと整備された霊園が無いこともありました。山寺の周辺では、各家の墓所は山中の不便な共同墓地や所有する山林に建立してあるケースが大半です。過疎と高齢化はどんどん進行しているので、これらの墓所では維持管理が問題になって来ています。そんな事情があるので、当地でもアクセス道路や区画内の通路等がきっちり整備してある、今風の霊園が必要になっています。お墓のすぐそばまで車で入れて足腰の弱った高齢の方や車いすの方でも参拝可能な霊園が必要なのです。

さて、話を松永家の開眼供養にもどします。今年の豪雨でご当家の累代墓が被災したので、これを機会に山寺の霊園へ墓所を移転されました。ごらんの通り、おばあちゃん(アヤさん)にも出席して頂いて法要を行いました。アヤさんはもうすぐ101歳になられます。耳の方はだいぶ遠くなられましたが、ご家族に囲まれてお元気に過ごされています。今でも身の回りの事はご自分でされているそうです。すごいですね。文句なしに山寺の霊園にお参りされた最高齢者です。この記録は容易には破られないでしょう。日本は世界一の長寿国になりましたが、さすがに100歳超えとなると限られます。ましてやアヤさんのようにすこぶるお元気な方となるとさらに限られます。1世紀も世間の移り変わりを見て来られたのですから、きっといろんな事があってさまざまな思い出をお持ちのことでしょう。ご主人(勇さん)が昭和49年に建立された累代墓は、36年後に菩提寺の新しい霊園に引っ越すことになりました。2度目となるお墓の開眼供養(再開眼)に立ち会われた感慨はいかほどだったでしょう。以前の墓所はアヤさんがお参りすることは不可能でしたから、私としても霊場霊園を整備したかいがあったというものです。本当によかったです。

今も昔もPCはブラックボックス

2010年10月22日

復活した親指シフトPC.jpg

坊さんになってからの私は、パソコンをいじり倒す生活からすっかり遠ざかっていました。新しいソフトをインストールするなんてこともほぼ皆無の状態でした。私がメインに使用しているPCのOSは一応Vistaですが、オフイスソフト(ワード・エクセル等)は、在職中から使用していたXPバージョンのままです。よく使うフォトショップはバージョン7ですし、イラストレーターはバージョン10と、これまた在職中に使用していたものです。ですから私はすっかり浦島太郎状態です。でもそのおかげ(?)か、PCに問題が発生することはほとんどありませんでした。ところがどっこい、先日ひさしぶりに私のPC、浦島太郎号に不具合が発生しました。ブログの更新に使用していたソフトがエラーで起動しなくなったのです。その後、2週間近く投稿が出来ない状態で放置することになりました。ちょうどその頃、山寺には珍しく、お葬式や法事等が続いてちょっと忙しかったのです。それで復旧作業はどんどん先送りになってしまい、結局復活したのは昨夜でした。

思えば私のPC歴もずいぶん長くなりました。今やPCは一家に一台どころか複数台ある家庭も多くなり、すっかり家電製品です。WEBサイトの閲覧は常識ですし、年末になると年賀状の印刷でお世話になっている家庭も多いことでしょう。PCは「ソフト次第で何でも出来る便利な道具」だなんて言われていた頃もありましたが、裏を返せば「ソフトがなければただの箱」でもありました。PCが出回り始めた当初からいじり倒して来た私にしてみれば、今日のPCは信じられないくらい高性能になって用途も実に多彩になりました。価格も随分リーズナブルになりました。まさに隔世の感があります。しかし、今も昔も変わっていないのは相変わらず何かのきっかけで動作がおかしくなることが結構ある事です。それらの障害は機械的な問題とソフト的な問題が複雑に絡み合って発生します。そして、そういう時に痛感するのはPCがいまだにプラックボックスみたいなものであることです。不幸にも問題が発生するとその原因究明は大変難しくて、我々一般人には手にあまる例が実に多いのです。PC上で稼働するソフトウエア(プログラム)は信じられないくらいに巨大化し複雑になりました。そして、多くのプログラムは大なり小なりエラーを起こしかねないプログラミング上の問題点(バグ)を内包したまま、見切り発車で出荷されています。新しいソフトが発売されると間もなくユーザーから数々のクレームが上がり、それを解消する為の修正プログラムがネット上で次々と公開されます。発売当初から修正プログラムが用意されているケースさえあります。大袈裟な表現かもしれませんが、多くのソフトウエアには故意ではないがいわば小さな地雷みたいなものが含まれています。だからいつエラーが発生しても不思議ではないのです。

そういう話を聞かされちゃうと「問題が無いようにきちんと確認してから販売しなさいよ」と苦情の一つも言いたくなる訳ですが、PCとはユーザーが好き勝手にさまざまなソフトをインストールして使うものですから、同じ条件(環境)のマシンはありません。ですから、あらゆる条件で厳密な動作確認を行って出荷する事は事実上不可能なのです。本来なら「不良品」なのかもしれませんが、PCの世界ではそれが普通です。説明書やマニュアルに書いてある通りに動作しない事がよくあって、恐ろしいことにそれが普通なのです。今日では量販店等で安売りされるごくありふれた家電製品になりましたが、今も昔もPCとはバグ(不具合)が必ずついて回る「不完全な道具」であり、他の電化製品とは明らかに異質な「実に信頼性の低い商品」なのです。程度の差はあれども大なり小なり問題がある可能性が極めて高い商品が、じゃんじゃん販売されているのですから、見ようによっては相当異常なことだと思います。

さて、長い間私のPCはソフトの更新をすることがなかったのですが、今回常用するプログラムにエラーが発生するようになったので、その解消の為にレジストリのクリーニングなど(この作業はかなりリスクが高い)さまざまなメンテナンスを行ったこともあり、思い切ってオフイスソフトを最新の2010バージョンにアップグレードしました。浦島太郎号にとっては待望のニューウエポン導入です。雑誌等の情報で承知はしていましたが、新版はメニューの構造が大幅に変更されており、しばらくは使いにくいでしょう。でもこれは慣れるしかないですね。OSもそろそろWindows7に乗りかえるべきかもしれません。そうなるとPC本体も更新するのが最良なのですが、いかんせん私が使用する親指シフトキーボード仕様のノートPCは、富士通しか生産していないので恐ろしく割高になります。どうしても躊躇してしまいます。さーて、どうしましょうかねー。

再び「南無あきら菩薩様」

2010年10月04日

休耕田の草刈り.jpg

本堂で書き物をしていると駐車場に車が止まる音が聞こえました。「誰だろう?」と思っていたら、責任総代の藤井 昭さんでした。顔を合わせると「住職、田んぼの草が随分伸びたから刈ってもいいかなー」です。「刈ってもいいかなー」だなんて実に昭さんらしい言い回しです。良いに決まってるのにね。この場所は年三回は草を刈りますが、雑草の成長が早くてなかなか追いつきません。昭さんには、夏法座の直前にも持参した乗用草刈り機で刈って頂きました。その時の事は6月24日の記事(南無あきら菩薩様)に書いてありますが、実に素晴らしいタイミングでした。今回も再び「あきら菩薩様」としてご来山です。我々は時々、世の為人の為に労を惜しまない行動される人を「菩薩のような人だ」などと呼んだりしますが、この「菩薩」という言葉、けっこう広い意味を持っています。広辞苑を引くと、

(1)〔仏〕さとりを求めて修行する人。もと、成道以前の釈迦牟尼および前世のそれを指して言った。後に、大乗仏教で、自利・利他を求める修行者を指し、自利のみの小乗の声聞(しょうもん)・縁覚に対するようになった。また、観世音・地蔵のように、仏に次ぐ崇拝対象ともされる。菩提薩〓(ぼだいさった)。(2)朝廷から碩徳(せきとく)の高僧に賜った号。また、世人が高僧を尊称して用いる号。「行基―」(3)神仏習合による日本の神の尊号。「八幡大―」(4)米の異称。浮世風呂(4)「―様をかやうにまづ、柘榴口(ざくろぐち)へまきちらしてお捨なさるといふは」(5)雅楽。林邑楽の一つ。唐楽、壱越調(いちこつちょう)の曲。一人舞。舞は廃絶。

とあります。(4)や(5)は少々ピンと来ませんね。我々にとって「菩薩」といえば、やはり(1)の菩薩でしょう。日本人にとって一番身近な菩薩といえば、観音菩薩(観世音菩薩)が真っ先に思い浮かぶかも。それと、お地蔵さんも「地蔵菩薩」が正式な呼び名です。菩薩は、厳密にいうと仏の一歩手前の状態なのでしょうが、我々衆生からみれば観音さまも、お地蔵さんも、完全なる仏である如来(阿弥陀如来・薬師如来・大日如来・釈迦如来など)となんら変わらぬありがたい仏様です。菩薩さんは基本的に現世利益の仏さんですから、我々衆生にとってはひときはありがたいのですあります。私も「あきら菩薩様」の広大なご利益に浴して、大変助かっているのであります。あーありがたや、ありがたや。再び「南無あきら菩薩様」であります。

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