こだわり住職のよもやま話

再び「南無あきら菩薩様」

2010年10月04日

休耕田の草刈り.jpg

本堂で書き物をしていると駐車場に車が止まる音が聞こえました。「誰だろう?」と思っていたら、責任総代の藤井 昭さんでした。顔を合わせると「住職、田んぼの草が随分伸びたから刈ってもいいかなー」です。「刈ってもいいかなー」だなんて実に昭さんらしい言い回しです。良いに決まってるのにね。この場所は年三回は草を刈りますが、雑草の成長が早くてなかなか追いつきません。昭さんには、夏法座の直前にも持参した乗用草刈り機で刈って頂きました。その時の事は6月24日の記事(南無あきら菩薩様)に書いてありますが、実に素晴らしいタイミングでした。今回も再び「あきら菩薩様」としてご来山です。我々は時々、世の為人の為に労を惜しまない行動される人を「菩薩のような人だ」などと呼んだりしますが、この「菩薩」という言葉、けっこう広い意味を持っています。広辞苑を引くと、

(1)〔仏〕さとりを求めて修行する人。もと、成道以前の釈迦牟尼および前世のそれを指して言った。後に、大乗仏教で、自利・利他を求める修行者を指し、自利のみの小乗の声聞(しょうもん)・縁覚に対するようになった。また、観世音・地蔵のように、仏に次ぐ崇拝対象ともされる。菩提薩〓(ぼだいさった)。(2)朝廷から碩徳(せきとく)の高僧に賜った号。また、世人が高僧を尊称して用いる号。「行基―」(3)神仏習合による日本の神の尊号。「八幡大―」(4)米の異称。浮世風呂(4)「―様をかやうにまづ、柘榴口(ざくろぐち)へまきちらしてお捨なさるといふは」(5)雅楽。林邑楽の一つ。唐楽、壱越調(いちこつちょう)の曲。一人舞。舞は廃絶。

とあります。(4)や(5)は少々ピンと来ませんね。我々にとって「菩薩」といえば、やはり(1)の菩薩でしょう。日本人にとって一番身近な菩薩といえば、観音菩薩(観世音菩薩)が真っ先に思い浮かぶかも。それと、お地蔵さんも「地蔵菩薩」が正式な呼び名です。菩薩は、厳密にいうと仏の一歩手前の状態なのでしょうが、我々衆生からみれば観音さまも、お地蔵さんも、完全なる仏である如来(阿弥陀如来・薬師如来・大日如来・釈迦如来など)となんら変わらぬありがたい仏様です。菩薩さんは基本的に現世利益の仏さんですから、我々衆生にとってはひときはありがたいのですあります。私も「あきら菩薩様」の広大なご利益に浴して、大変助かっているのであります。あーありがたや、ありがたや。再び「南無あきら菩薩様」であります。

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