こだわり住職のよもやま話

松永家の開眼供養

2010年10月24日

松永家墓所開眼供養.jpg

松永家墓所の移転工事が終了したので、昨日(10/23)は山寺の霊場霊園で開眼法要を行いました。例によってもろもろのお道具を持ち込んできっちりとやらせて頂きました。思えばこの霊園造成はかなり思い切った決断でした。いざ工事に入ると、今時の霊園に期待される水準を意識して、どうしても「これくらいのレベルまではやっとかなければ」と費用は膨らんで行きました。でもこんな田舎ですから永代使用料はごくお安い設定にしてあります。収支を意識していたら絶対に出来ない「ご乱行」ですが、境内整備の一環だと考えれば「これもありかな」です。それから美祢市は中心部でないと整備された霊園が無いこともありました。山寺の周辺では、各家の墓所は山中の不便な共同墓地や所有する山林に建立してあるケースが大半です。過疎と高齢化はどんどん進行しているので、これらの墓所では維持管理が問題になって来ています。そんな事情があるので、当地でもアクセス道路や区画内の通路等がきっちり整備してある、今風の霊園が必要になっています。お墓のすぐそばまで車で入れて足腰の弱った高齢の方や車いすの方でも参拝可能な霊園が必要なのです。

さて、話を松永家の開眼供養にもどします。今年の豪雨でご当家の累代墓が被災したので、これを機会に山寺の霊園へ墓所を移転されました。ごらんの通り、おばあちゃん(アヤさん)にも出席して頂いて法要を行いました。アヤさんはもうすぐ101歳になられます。耳の方はだいぶ遠くなられましたが、ご家族に囲まれてお元気に過ごされています。今でも身の回りの事はご自分でされているそうです。すごいですね。文句なしに山寺の霊園にお参りされた最高齢者です。この記録は容易には破られないでしょう。日本は世界一の長寿国になりましたが、さすがに100歳超えとなると限られます。ましてやアヤさんのようにすこぶるお元気な方となるとさらに限られます。1世紀も世間の移り変わりを見て来られたのですから、きっといろんな事があってさまざまな思い出をお持ちのことでしょう。ご主人(勇さん)が昭和49年に建立された累代墓は、36年後に菩提寺の新しい霊園に引っ越すことになりました。2度目となるお墓の開眼供養(再開眼)に立ち会われた感慨はいかほどだったでしょう。以前の墓所はアヤさんがお参りすることは不可能でしたから、私としても霊場霊園を整備したかいがあったというものです。本当によかったです。

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