こだわり住職のよもやま話

十夜会厳修される

2010年11月16日

十夜会の光明寺.jpg

昨日山寺は十夜会が行われました。春の彼岸会と同様に午後から行う法要なので、例によって六種類ある唄みたいなお経(往生礼賛偈)は「日没礼賛偈」を読誦しました。往生礼賛偈は、いずれも阿弥陀様のおられる西方極楽世界(お浄土)に思いを寄せる実に味わい深いお経です。昨日みさんに聴いて頂いた日没礼賛偈は、タイトルの通り通常は夕方(午後)のおつとめとして読誦するお経です。ですから夕日を浴びながら称える事が出来ると一際感動的なおつとめになること間違いなしであります。まあ、そこまで条件がそろうと映画の一場面みたいで少々芝居がかって来ますが、要はそういう心構えで臨みたいお経だという事です。理想としては「沈み行く夕日を追いかけるようにして読経させて頂けるといいなー」と云うわけですから、他の時間帯の礼賛偈よりも若干早いテンポで読誦することになります。

さて、この日没礼賛偈ですが、前半部分で阿弥陀如来の別名を次々と読み上げます。このお経の最大の特徴であり印象に残る部分でしょう。登場する阿弥陀如来の別名は、無量光仏、無辺光仏、無礙光仏、無対光仏、炎王光仏、清浄光仏、歓喜光仏、智慧光仏、不断光仏、難思光仏、無称光仏、超日月光仏です。阿弥陀仏の智慧の働きを十二の光にたとえてこう呼ばれるのです。そして終わりには「日没無常偈」と呼ぶ重厚な詩偈を蕩々と読誦します。(まさに歌い上げます)無常偈は、仏教における重要なキーワードの一つである「無常」を説いています。六種類ある往生礼賛偈は、いずれも最後は無常偈で結ぶことになり、日没無常偈、初夜無常偈、中夜無常偈、後夜無常偈、晨朝無常偈となります。参考までに日没無常偈の経文と現代訳を掲載します

 


【日没無常偈】


諸衆等聴説日没無常偈

もろもろの衆生たちよ聴きたまえ、日没の無常偈を説こう。

人間怱怱営衆務

人間は慌ただしく苦楽を生む処世に追われ、

不覚年命日夜去

仏の教えを目の前にしながら寿命がどんどん流れていることを知らない。

如燈風中滅難期

風の中に置いたロウソクの火が消えるか消えないのかをハラハラして見ているように、

忙忙六道無定趣

気の休まらない六道輪廻の世界には、心の安らぎはない。

未得解脱出苦海

欲望の執着から解脱して、苦しみの世界から抜け出していないのにもかかわらず、

云向安然不驚懼

どうして安閑として、この世の無常迅速に驚きおそれないのか。

各聞強健有力時

みな、しっかりと聞いて欲しい、生きている今こそ、

自策自励求常住

みずから励み勤めて、永遠の真実なる世界に生まれることを求めるべきである。

 

正伝寺 家原宗之師

さて、私の読経が一通り終わると次は先日、晋山(住職就任)されたばかりのご住職にお説法をして頂きました。福岡県行橋市馬場にある正伝寺の家原宗之師です。11月10日の毎日新聞、地域版を開くとカラー写真で大きく掲載されていたのでご覧になった方もおられるかと思います。母方の実家のお寺を継がれたご住職です。家原師はごらんの通り実に立派な体格のお坊さんです。失礼ながらおたずねすると体重は三桁だそうです。すごいですね。我が山寺の内陣は床が随分痛んでいますから、皆さんが見ている前で床板が抜けやしまいかと、私はヒヤヒヤしながら高座にご案内しました。(笑って下さい、本当です)家原師はまだ31歳です。若いっていいですねー。肌なかんつやつやしてます。笑顔になると細めた眼がとても可愛らしくて(失礼)実になごやかな気持ちにさせて頂けるお坊さんです。貴重なお説法を拝聴させて頂きました。ありがとうございました。

2010年11月16日

今年の十夜会は大銀杏が見事に色づいたタイミングで皆さんをお迎えすることが出来ました。本堂前は山吹色の扇葉で覆われ始めています。境内の整備を進めた関係で昔にくらべると密度は随分低下しましたが、(広範囲に拡散するので)しばらくこのままにしておこうと思います。

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