こだわり住職のよもやま話

2010年6月15日

山歩きしてきました

2010年06月15日

安蔵寺山.jpg

サラリーマン時代にお世話になった上司(加納 豊さん)と、島根県の山奥をうろついて来ました。近年中高年の登山が盛んになっていますが、そんな本格的な登山ではありません。車で行ける所まで行き、それからは林道を散策するお手軽な山歩きです。加納さんとは会社にいた頃から毎年恒例行事として島根の山奥を訪ね歩いていました。今年も「そろそろ行ってみようか?」とのお誘いがあったので、山口県・島根県・広島県の県境付近の山奥へ向かいました。写真に写っているのは島根県益田市匹見町にある安蔵寺山(1263㍍)です。県境であれば同じく匹見町と広島県安芸太田町の境界にある恐羅漢山(1346㍍)が島根県の最高峰ですが、山頂が完全に島根県内となるとこちらになります。南側の無名の峰にある林道から撮影しましたが、この場所でも900㍍近くになると思います。美祢市の田舎育ちがさらに山奥を訪ねるというのですから物好きですよね。「何が面白いの?」と問われると返答に困りますが、このあたりの山はいずれも千メートル級で美祢とは景色が全く違うので新鮮です。本格的な山登りをされる方から見れば千メートル級なんてまだまだでしょうが、地元の山は大して標高がありませんので比べちゃうと丘みたいなものです。だから私にとっては充分なのです。島根の山奥の魅力は自然のままの状態が残っていることです。杉やヒノキが植林された山が少ないので自然を満喫できます。それらの山で森を形成している樹木はブナやコナラなどの落葉樹です。今は新緑が素晴らしくて秋には見事な紅葉が見られる所です。安蔵寺山の北側には匹見峡があり南東側には長瀬峡や寂地峡があります。いずれも渓谷の美しさは別格です。上流にほとんど人が住んでいませんから人工的なゴミがありません。山口県にも長門峡というちょっと有名な渓谷がありますが、上流に人家が多数あるのでどうしてもゴミが目に付いてしまいます。そういうわけで訪れる度に「これが本当の山奥なんだよなー」と納得することになります。

夏ツバキ.jpg

加納さんは奥出雲の出身です。実家は松本清張の代表作「砂の器」の舞台として世間に知られるようになった、島根県仁多郡奥出雲町にある木次線の亀嵩駅(かめだけえき)の近くです。(正確には一駅となりの出雲三成の近所でしたっけ?)私はサラリーマン時代に職場の旅行でこの亀嵩駅を訪れたことがあります。加納さんのガイドで中国自動車道の三次インターから中国山脈を越えて松江へまで北上したことがあります。2月の中旬だったので、スタッドレスを履いた10人乗りのワンボックスと乗用車の2台で行きました。美祢では雪なんてもう見られない時期ですが、まだ雪の残る中国山脈を越えて宿泊地である松江に抜けるという、今思えばとんでもない冒険旅行でした。しかもまっとうな経路の国道はあえて避けて、好き好んで地元の人間でないと知らない道や大規模林道・広域農道などを利用して山越えでした。道路の除雪作業はかなり徹底していたのですが、それでもスタッドレスでないと絶対に走れない箇所がけっこうありました。道路の両側にはまだ1メートル近い雪が残っています。亀嵩駅の周囲も雪が強烈に残っていて別世界でした。こんなに雪深いところを訪れたのは初めてなので、驚きを通り越して感動したものです。ある意味とても記憶に残る旅であり貴重な体験でした。実におもしろかったな-。

さて話を山歩きに戻します。安蔵寺山がよく見える林道を散策するとあちらこちらにシャラの木(たぶん姫シャラ)がありました。シャラの木あるいは姫シャラの木はツバキ科ナツツバキ属の花木です。花の少ないこれからの時期にツバキによく似た小ぶりの白い花が咲きます。最近庭木として人気が出ていますから園芸店に行くと「夏ツバキ」の名前で出回っています。もとは山に自生している雑木なのですが、園芸店で購入すると結構なお値段なので驚きます。それで「掘って持ち帰ったら?」なんてつい思いがちですが、やっぱりドロボウはよくありませんよねー。それで寺の裏山を探し歩いたことがあるのですが、今のところ発見出来ていません。光明寺の裏山は八十八霊場の森なのですが、カシ・シイ・シキミ・サカキ・ツバキ等の常緑樹が主体です。花木となるとツバキか三つ葉ツツジ又は山ツツジくらいです。その他は今年の春に発見した山桜が例外的に見られる程度で少々面白くありません。ですから落葉樹の森は花木が多く見られるので「いいなー」なんてつい思ってしまいます。光明寺にもシャラの木(姫シャラより花が少々大きい)が境内に一本植えてあります。昨年園芸店で買ってきたものでが、すでに白い花が咲いています。一方島根の山奥は標高が高いのでまだまだ小さなつぼみでした。

深谷橋.jpg

安蔵寺山の周囲の林道をうろついた後は、島根と山口の県境になる深谷渓谷に掛かる橋を渡って山口県の岩国市(錦町)へ入りました。この橋は谷底から80メートルの高さがあります。今は欄干の上部に申し訳程度に大雑把な囲い(?)が追加してありますが、以前は写真の赤い欄干だけでした。歩いて渡ると実にスリル満点です。高所恐怖症の私は思わず足がすくんでしまいます。

錦川鉄道トロッコ列車.jpg

橋を渡った錦町にはこれまでじっくり見る機会が無かった未完成の旧岩日線が残っています。岩国から島根県の日原町(益田市)まで北上させて山口線と接続させる計画だった旧岩日線は、現在錦川清流線として岩国駅から錦町駅まで第三セクターの鉄道として運営されています。錦町駅から先は線路スペースが舗装道路になっていて、雙津峡温泉駅(そうづきょうおんせんえき)まで観光用のトロッコ列車(実際はトロッコ風の連結バスだな)が走っています。ロケーション的には京都の嵐山と亀岡間の保津峡に沿って走る旧山陰本線を活用したトロッコ列車(嵯峨野観光鉄道)などと遜色ないようにさえ思えます。岩国が始発なので乗客には米軍基地の関係者家族の姿が目立っていて予想外に好印象でした。始発駅の岩国がもっと大都会だったらかなり有望な観光スポットでしょうね。こんなに素晴らしい環境があるのに残念ながら人口密集地が近くに無い。惜しいなーってつくづく思います。

旧岩日線廃線区間.jpg

さて、今回私にとって一番惹かれたのは雙津峡温泉駅の先に残っている旧岩日線の遺構(廃線部分)です。まさに「強者どもが夢の跡」状態です。話には聞いていましたが「すごい計画だったなー」と改めて思います。完成しても絶対に赤字必至の路線だったでしょうが、山陽側から中国山脈を貫いて日本海側の益田市まで貫通させようと考えたのですから「すごいなー」の一言です。写真のように立派な橋が今も残っているので、その上を歩いて来ました。中国山脈を横断する鉄道ですから長いトンネルも沢山あります。この橋を渡りきったところが写真のトンネルですが、そうとう長そうでした。残念ながらここから先には進めません。このトンネルが廃線区間の終端部分になるのかもしれません。線路が走るはずだった部分が舗装道路になってはいますが、現状では特に使い道も無くて放置されたままの状態です。なんだか少々哀しい景観でした。世間では廃線跡を好んで訪れる鉄道マニア(廃鉄)のジャンルが確立していますが、彼らにとってはまさによだれもののスポットかもしれませんね。

旧岩日線のトンネル.jpg

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