こだわり住職のよもやま話

2010年5月

息子の入院騒動

2010年05月27日

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先月末に大日祭・花祭が無事終了してほっとしたせいか、今月初旬に不覚にも少々体調不良になりました。連休中は好天に恵まれましたが、その後は急に寒くなったり再び暑くなったりしたので季節外れの風邪に見舞われたようです。私は病院嫌いなので(カゼくらいでは行く気になれないのである)自然治癒するのを待ちました。幸い一週間程度で復活できたのでやれやれと思っていたら、今度は長男が体調不良です。息子の場合はテストが近いというので近所の病院に連れて行きました。たぶん「風邪だろう」という事で、おみやげ(薬)を沢山もらって帰りました。「若いんだからドーピング(投薬)やったら一発で元気になるだろう」なんて思っていたのですが、これが容易には回復しません。それで今度は違う病院へ行き抗生物質を処方してもらたのですが状況は一向に好転しません。そうこうしているうちに長男はテスト週間に突入してしまい、毎度おなじみの一夜漬はままならずテストの出来はさんざんだったらしい。「赤点にならなければ良いが」と心配していたら、やがてそれどころでは無い騒ぎになりました。

その日はテストの全日程が終了して長男は休みの日でした。テストが始まる前から下痢や腹痛でお腹の調子が悪いとは言っていましたが、自宅で寝ていたら午後から腹痛がひどくなったそうです。妻が仕事から帰った時には痛みで転げ回っていたらしい。発熱は無いのですが下肢には赤い斑点が無数に広がっていました。お腹の痛みは本人にしか解りませんが、派手な斑点は誰が見てもびっくり仰天です。驚いた妻は息子を救急外来に連れて行き、病院から連絡して来ました。私は寺から慌てて病院へ駆けつけることになりました。人気のない病院のベンチで妻と二人、息子の検査が終わるのを待ちました。やたらに時間の経過が遅かった。こういう時の親というものは「大変な病気でなければ良いが」と、そのことばかり考えるものです。実際こんな紫斑が発生する症例で重大な病もありえます。

医師の診断によると息子はどうやら「アレルギー性紫斑病」だといいます。この病は合併症がなければ基本的に無治療で経過観察であるという。要するに自然に治るのを待つのです。当面の治療はあくまでも対処療法になります。それを聞いてとりあえずほっとしました。血液検査の結果はおおむね正常でありながら、派手な斑点(紫斑)が出現するのがこの疾病の特徴です。小さな子供にみられる病気だといいます。担当の医師によると高校生がこの病気を初めて発病する例はめずらしいらしい。「うちの息子はまだ幼児なのか?確かに身体は成長したが精神は幼いかもな」などと妙に納得する父親でした。ただしアレルギー性紫斑病は腸重積・腸閉塞・腎炎等の合併症が出ることがあります。この点には充分注意しなければなりません。息子の場合も腸重積により激しい腹痛を起こしていたのです。この疾病も赤ちゃんや幼児が発症するものだといいます。典型的な症例は小腸の末端である回腸が大腸に食い込んで腫れ上がり腹痛を起こします。長男のレントゲン写真を見ると見事に腸が腫れていました。気づくのが遅れると腸が壊死を起こして大変なことになります。息子の場合は大事には至りませんでしたが、もし翌朝までほっといたら緊急の開腹手術になっていたかもしれません。まさかこんなに激しい腹痛になるとは本人も思っていなかったのでしょうが、妻が仕事から帰ってくるまで我慢していないで、遊び人みたいな親父に(山寺は暇だから)早くSOSを発信すればよかったのに。よく言えば我慢強いのでしょうが裏返せば実にのんきな性格です。緊急入院となった長男は三日間の絶食・点滴のみになりました。昨晩よりおかゆが出されるようになったのですが、今朝病室を訪れると開口一番に出たセリフは「肉食いてー」です。それで私の返した言葉は「退院したらた腹いっぱい食わせてやるわー」(ただし安いところではあるが)でした。

我が息子はお釈迦さんの説いた四大苦 (生老病死)の一つをひさしぶりに体験中ですが、「苦」としての意識はいたって薄いようです。腹痛でのたうち回っていたくせに実にけろっとしています。彼にとって病とは苦と言うよりも、ただ「肉が食えないこと」なのかも。ある意味うらやましい性格です。もっとひどい目に遭わないと実感が湧かないのかもしれません。親としてはこの程度で済んで安堵していますが、せっかくの機会ですから生老病死につてじっくり解説しておくべきでしょうね。

タケ子さん宅の法事

2010年05月13日

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先日、藤井タケ子さん宅で法事がありました。タケ子さんはご主人が昭和57年に亡くなられて以降、一人で生活をされていました。昨年体調を崩されたのを機に、近くにおられる子供さんの所に身を寄せられるようになっていたのですが、最近転倒による骨折で入院をされています。それで今回はタケ子さんが長年住み慣れた自宅に、息子さん夫婦と娘さんが集まられて年回忌法要を行いました。お会いしたかったのですが残念でした。タケ子さんは89才になられると聞きました。数年前から少々視力が低下されているので、顔をのぞかせてもすぐには誰だか解りにくくなっていました。それで訪問した際には大きな声で「光明寺の坊主が来ました」と声を掛けていました。そんなタケ子さんですが、老いたとはいえ頭の回転はとても速い方です。大変失礼ながら「このおばあちゃんはただ者ではないなー」と痛感させられた経験があります。

それは6年前のことです。お盆のおつとめで訪れた時の事が今も印象に残っています。タケ子さんのお宅には毎年お盆前の決まった日の午後に訪問しますが、いつも軽い食事を用意して待っていて下さいました。そうめんやスイカなどを頂いて、こちらで少々油を売るのが恒例です。いろいろお話しをすることになるのですが、その際の話題が政治や経済の話にも及ぶのでびっくりでした。例えば「今朝の新聞の○○の記事について方丈さんはどう思うかね?」だとか、昨夜のニュースについて「私はこう思うけど方丈さんの見解は?」なんて、80才を超えてるタケ子さんから次々に飛び出しました。「偏見だぞー」って叱られるかもしれませんが、当地は田舎ですからめずらしく感じますよね。その後も毎度のように政治や経済問題について意見を交わしたり、新聞やテレビなどで今話題になっているテーマについて、あれこれ会話をすることになりました。最新の話題がどんどん出てくるということは、毎日隅々まで新聞を読みニュース番組も常にチェックしておられるという事です。雑誌や話題の本などもよく読まれているから、ホットな話題で盛り上がることになります。私が知らない最新情報を教えて頂くこともありました。話していると実に年齢を感じさせない方です。それで「このお年寄りはただ者じゃないぞー」と思ったのです。

後から知ったことですが、タケ子さんは職業婦人でした。今では看護師と呼びますが、現役時代は看護婦さんだったのです。要するにバリバリのキャリア・ウーマンだった訳です。厳しい医療の現場でがんばって来られた気丈な方だからこそ、この年齢になられても自立した生き方を実践することが出来たのでしょうね。タケ子さんの経歴を知って「なるほどなー、強い女性なんだー」と改めて納得したものです。まったくもってすごいお年寄りです。

今回はかないませんでしたが、次の機会にはぜひ元気なお姿を拝見したいものです。気にかけて下さっていた本堂建て替えの件も、今年中には正式に計画が固まって動き出すでしょう。我々に時間が限られているのは否定できない事実ですが、新しい本堂をぜひ見て頂きたいのであります。

ナナの記憶

2010年05月09日

光明寺境内の生類供養塔

大日堂のそばにある生類供養塔の石棺には、檀家さんの愛犬「ナナ」が眠っています。16才だったとのことですから、ずいぶん長生きしたワンちゃんです。ナナは真っ白な中型犬で座敷犬でした。法務で訪問するとさっそく私のそばにやってきます。まれに「犬が怖い」といわれる方がおられますが、私は元来動物好きでとりわけ犬が好きです。ですからナナが真横にいても全く平気ですし、そばでおとなしくしているナナを見ていると、私のお経に耳を傾けているみたいで犬とは思えない不思議な感覚さえ抱いたものです。仏教では、我々衆生は六道世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を何度も生まれ変わっているのだといいます。(これを輪廻転生という)そしてこの輪廻転生から離れること、すなわち六道世界を繰り返し生まれ変わるサイクルから脱出し、お浄土(極楽国土)へ生まれ変わることが、苦しみの世界から離れることであり解脱なのだと説きます。私の読経に付き合ってくれるナナを見ていると、この六道輪廻を意識させられました。「ナナの前世は何だろう?人間だったのかもしれないなー」などと思えて来てしょうがなかったのです。

ナナは今世では畜生道に生まれました。本当はお浄土に生まれたかったでしょう。せめて人間界(人道)には生まれたかったと思います。でも今世のナナは決して不幸ではなかったと思います。ナナは生まれて間もなく家族の一員として迎えられました。長年このお宅で過ごしたナナにとって、一番の楽しみはたぶん日課であったご主人様とのお散歩でしょう。そんなナナですが、最晩年は足腰がすっかり弱ってしまい視力も低下していました。散歩の際にはとてもゆっくりした足取りです。よく見ると少々フラつきながら歩いていました。檀家のご主人はナナの歩調にあわせて、実に辛抱強く付き添うようにして散歩をされていました。あそこまでいたわってもらえたナナは幸せ者だったと思います。

ナナが亡くなったのは平成19年2月20日でした。ご主人の落胆ぶりは傍目にも感じ取ることが出来ました。私自身も愛犬が逝った時の辛い記憶があります。その犬は私が生まれる前から飼われていた大型のシェパード犬で、名前は「ケリ」でした。物心ついた頃からいつも一緒に遊んでいました。幼い私がケリの背中に乗って得意げにしている写真も残っています。ケリが死んだのは私が小学校3年の時で大変ションクでした。激しく泣きじゃくったのを覚えています。一番の仲良しだった友達を失った私の哀しみは、とうてい言葉では伝えられそうにもありません。ナナに逝かれたご主人の哀しみも、きっと私の経験に勝るとも劣らないものだったにちがいありません。

ナナが逝ってしばらくすると奥さんからご相談がありました。「ナナがいなくなって主人が可哀想なほど落ち込んでいます。ナナの為にお経をあげてもらうことは出来ないでしょうか?」とのことでした。ご主人はナナのお骨をベットのそばにずっと置いているそうです。あれほど可愛がっていた我が子同然のナナが逝ってしまったのです。ご主人にしてみれば長年生活を共にした家族の一員であり、親兄弟・子や孫との別れと何ら変わりない深い哀しみでした。他人には理解出来ない喪失感なのです。そんなご主人に対して、坊さんである私に出来ることとは何でしょうか。「命あるもの何時かは死を迎えるのです。およそこの世に永遠などというものは無いのですから、無常の理を受け入れるべきなのです」などと、正論を吐いてご主人の哀しみ(苦しみ)が容易に消え去るとも思えません。私はただ一言「ナナのお葬式をしましょう」と申し上げました。

生類供養塔の墓誌

ナナのお葬式は大日堂で行いました。ご主人と奥さんに同席して頂き、我々人間の葬儀と同等のお経を読誦させて頂きました。戒名も付けさせて頂いた。お骨は建立したばかりの生類供養塔に納め、供養塔の墓誌にはナナの戒名も刻みました。ここまで丁寧にやれば、ご主人の心も救われるのではないでしょうか。「いのちあるもの何時かは」などと説教をたれることよりも、こうするほうが良いと私は思いました。仏教本来の考え方とは少々逸脱しているのかもしれません。ここまでやってしまう私は、たぶん見事な破戒僧でしょう。しかし、人は言葉であれこれ諭されるよりも、することをきっちりやってみせること、かたちを整えることの方が素直に納得出来るものです。お葬式とは遺族が死を受け入れるための、いわばけじめの儀式です。ご主人にとってはナナのお葬式を丁寧に行うことが一番の救いだったと今も思っています。ナナの供養塔婆にはこう書きました。「奉修為慈空妙寿信女発菩提心転生安楽国塔・平成十九年二月二十日没・俗名ナナ」ご主人の深い愛情に包まれて、きっとナナは安楽国(お浄土)に生まれ変わったことでしょう。

 

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