こだわり住職のよもやま話

2010年7月

続く時には続くものです

2010年07月13日

夏期の荘厳.jpg

先日息子が無事お葬式デビューを果たしたので、「機会があればまたそのうちに」なんて思っていたら一週間後に実現しました。続く時には続くものです。今度は少々遠方でした。新仏は地元出身の方です。山寺の古くからの檀家さんで、先祖代々のお墓が今も寺の近所にあります。博多(福岡県)在住だったので、お葬式会場は市内の葬儀会館でした。山寺からだと少々距離がありますが、高速を走れば一時間半で到着出来ます。これは行かねばなりません。

葬儀は日曜だったので今回も息子を連れて行く事にしました。先週すでに経験しているので、スムーズにお役目(鉢担当)を果たしてくれました。師匠としては大変満足出来るお葬式でした。その後も火葬場への同行、収骨、初七日法要、精進落しとフルコースで終日付き合わせました。都市部では僧侶がそこまでお付き合いすることは珍しいでしょうが、山寺ではこれが普通です。息子にとっては良い経験になった事でしょう。ただし山口に戻るのがずいぶん遅くなったので、葬儀当日の夜に塾で受けることになっていた模擬試験はキャンセルさせることになってしまいました。本来息子の本分はお勉強ですから、申し訳ないことをしました。まったくもってひどい親父ですが、この貴重な機会を優先したかった。模試は今後も機会はいくらでもあるでしょうが、お葬式がそうそう都合良く土日に入るものではありません。ましてや、こんな立て続けに機会が得られるなんて奇跡です。これも阿弥陀様のお導きかもしれません。それで今回は少々無理を承知で同行させたのです。

妻には叱られました。息子の持病「アレルギー性紫斑病」が再発しかねないからです。まだ完治していないのに強引に連れて行って、おまけに長時間付き合わせたのです。実際、息子の下肢には少々紫斑が出始めていた。大事にはなりませんでしたが、かなり危ない橋を渡ったのです。今の息子の健康状態では少々酷だったかもしれません。しかしいずれ彼も社会人となり世間の荒波にもまれる事になるでしょう。父としては「男は無理を承知で頑張らなければならない時があるものだ」と無言の教訓を与えたつもりなのですが、そうは言っても「本当にこれで良かったのか?」と自問すると、少々迷いが生じるのも事実であります。

息子がお葬式にデビュー

2010年07月07日

光明寺の鉢.jpg

2日に山寺はお葬式がありました。ちょうど日曜だったので高3の息子を葬儀に連れて行き火葬場にも同行させました。2年前から施餓鬼会には参加させていましたが、お葬式に出席させたのは初めてです。息子はまだ僧侶の資格を取得していません。しかし、そろそろ経験させてもよい時期なので、思い切ってデビューさせました。意外にも本人は嫌がる様子もなく、ひょうひょうとしています。彼にもしっかり役目を与え、鉢(はち・シンバルのような楽器)を叩かせました。父は大袈裟な帽子(水冠)をかぶり、馬のしっぽみたいな妙なもの(払子)を持って、意味はよく分からないけど、厳粛で格調高い引導の儀式を行います。威厳に満ちた父親の姿(?)を目の当たりにして、はたして彼はどんな感想を抱いたのでしょうか。

息子はこれまで葬儀の際に父がどんなことをやっているのか見た事はありません。ある意味新鮮だったでしょう。「親父もやるときにはやるんだ」なんて思ってくれたら大成功(?)なのですが、自宅でくつろいでいる普段の姿とギャップが大きすぎるので、そうそう都合良くはいかないかもしれませんね。

翌日に息子が言いました。「父さん、お葬式が沢山あったらいいのにね」です。確かに今日のお寺は葬儀と法事で食ってるのが実情ですから、まったくその通りです。我が家の家計を気にする様に(?)なったとは、彼も随分大人になって来たものです。いやいや、ひょっとするとお葬式の手伝いをすると、父から臨時の小遣いを頂けるのが念頭にあるのかも?(笑い)まあ良いか。深くは追求しないでおこう。いずれ彼も私と同じ道をたどることになるのかもしれません。それまでは父として師匠として「恥ずかしくない生き方をしなければ」と思います。男の子は「父親の背中を見て育つ」といいますが、今後も機会があれば同行させたいものです。

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