こだわり住職のよもやま話

2010年8月

久方ぶりのアルコール漬け

2010年08月29日

ワイン.jpg

昨夜(28日)は若い頃からの友人であるマサ坊(河野正朗君)の結婚祝賀会がありました。彼がついに一生の伴侶を射止めましたので、両人を市内の宴会場(飲み屋)へ招いて、まだ日も高い夕方5時頃から20人あまりでドンチャン騒ぎを繰り広げました。昨夜の祝宴に集まった面々は、若かりし頃に度々夜遅くまで共に過ごした仲間達です。今では死語となりましたが「青年団」という懐かしい響きを持つ組織の最後の残党が我々でした。青年団はボランティア団体的な若者グループであり、我々には毎年重要な任務がありました。それは地元の夏祭り(盆踊り大会)の主催です。今では行政からの支援も手厚くなり、公民館を中心とした各種関係団体が合同で実行委員会を立ち上げて開催する行事となりましたが、我々が若かった頃は伝統的に地元の若者グループ(青年団)が主催していました。事前の準備・前日からの会場設営・当日の進行・翌日の後片付と、やることは山のようにありました。特に事前の準備には大変な時間を要しました。我々はそれらの業務を限られた人数でこなしていましたので、毎夜のように集まって遅くまで活動したものです。ハッキリ言って仕事よりもこちらを優先した日々でした。若かったとはいえ今振り返るとずいぶん無理なことをしていたものです。

さて、そんな訳で互いに遠慮なんてこれっぽっちも持ち合わせていない(?)連中が久しぶりに集合したのですから、二次会三次会は朝飯前です。最後には極めつけの悪友6人が、あろうことか河野夫妻の新居へ押しかけ てシメの酒宴を繰り広げました。結局我々が河野家を後にしたのは日付けが変わってからですから、実に7時間あまりも延々と飲みっぱなしです。マサ坊の嫁さんにもずっと付き合わせちゃいました。ずいぶん迷惑な連中ですが、散会の際には笑顔で「また遊びに来て下さいね」なんて実に有りがたい言葉を頂戴しました。あー有りがや有りがたや。 (本当にまた遊びに行っちゃうのが我々ですから知りませんよー)

私は常日頃は一滴も飲みませんが、下戸ではありませんのでこういう機会では人並み以上に頂戴しております。他人からすすめられたら断れないない性分です。結局いくらでもグラスを傾けてしまいます。おかげで昨夜はどっぷりとアルコール漬けになりました。坊さんのくせに大酒くらったのを白状するのは少々気がひけますが、マサ坊のお祝いですから「きっと阿弥陀様も大目にみてくださるだろう」と勝手に解釈しております。僧呂の世界では酒を「般若湯」と申しまして、実にありがたいお水(湯)ということになっております。そして「酒は飲んでも飲まれるな」を実践すれば「良いではないか」ということにも成っているようであります。

まさに災害特需です

2010年08月24日

共同墓地の豪雨被災現場1.jpg

私は毎年お盆が終わると近くの温泉で膝の療養を行うのですが、今年は後回しになったままです。7月15日の豪雨災害により山寺周辺では崖崩れが多数発生しました。そして多くの墓地が大なり小なり被災し、お墓の改修や移転が必要になった家が少なくありません。それで、お盆のお参りに伺うと「お墓が被災したので後日読経に来て欲しい」という依頼が沢山入りました。その対応を盆明けから行う事になったので16日以降もけっこう忙しかった。

被災現場へ行ってみると墓石の一部が土砂で埋まっていたり、墓所の一部が崩れて危険な状態になっているお墓が沢山ありました。墓所全体が完全に破壊されてしまったケースもあります。写真は山寺の近所の共同墓地で発生した土石流です。見事に山が崩れ去っており、にわかには信じられない様な光景でした。不謹慎な発言ですが、現在地元の業者さんは「災害特需」で大忙しです。秋の台風シーズンまでに最低限の対策は施しておかないと、また災害が発生する恐れがあります。だからみんな焦っています。山寺もそのあたりの事情は同様で、被災した大日堂をいつもまでも放置しておけません。しかし撤去するにも相当な費用が必要ですから正直困り果てています。

共同墓地の豪雨災害現場2.jpg

さて、大日堂の背後が崩れて山寺は大変なことになりましたが、幸い霊場霊園に関してはまったく問題ありませんでした。あれほどの豪雨でもどうってこと無かったのですから、たぶん今後も大丈夫でしょう。今回の被災を機にお墓をこの霊園に移すことを考えられている檀家は結構あるようです。先日も2区画売約が成立しました。こちらもいわば「災害特需」です。今後はパタパタとお墓が建って行くのかもしれませんが、喜べないのが残念です。 

試練の夏です

2010年08月19日

住職ブログは先月13日に投稿したのを最後に、一月以上放置したままでした。本日は長らく未更新となってしまった事情も含め、その間の出来事を少々振り返ってみたいと思います。全国ニュースでも報道された通り、山口県は昨年に引き続き今年も豪雨による大規模な水害が発生しました。特に山寺がある美祢市の南西部(東厚保町・西厚保町)は7月15日の早朝に歴史的な豪雨に見舞われました。このため市内を縦断する厚狭川が氾濫し、古老が「こんな大水害に見舞われたのは初めてだ」と話されるほどの甚大な被害が発生しました。全国ニュースでは下流の山陽小野田市の水没状況が大きく報道されましたが、美祢市の被害も甚大です。美祢市は過疎地なので絶対的な被災件数が山陽小野田市に比べると少なくて、ニュースで大きく取り上げられることはありませんでした。しかし、今回の災害で解体撤去となった住宅も少なくありません。山寺の檀家さんのお宅でも被害にあわれた方が多数あります。

土砂に埋め尽くされた水田.jpg

寺の周辺部は河川の氾濫による水害というよりも、むしろ崖崩れや土石流等による被害が甚大です。大量の土砂により道路や水路は寸断され、水田は至る所で埋まっています。地元のブランド品である「厚保ぐり」の栗山も大きなダメージを受けました。あちらこちらで崩れたり大きな地割れが発生しています。復旧には相当な期間が必要でしょう。土砂崩れで住めなくなった住宅や墓地の被災等も数多く発生しています。

それから、厚狭川に沿って市内を南北に走るJR美祢線は、盛り土や鉄橋の流失により壊滅的な被害を受けており、復旧は非常に困難な状況です。かって美祢市は無煙炭の産出量日本一を誇りました。その石炭を運ぶ列車が24時間体制で走り、美祢駅は日本一の貨物量を誇ったこともありましたが、今回の水害により「廃線」の危機に直面しています。

平成22豪雨災害.jpg

今年は梅雨入り当初から激しい雨が降り、私は6月27日の記事で心配だと書いておりましたが、その不安は現実となりました。山寺も本堂背後の大日堂に甚大な被害が発生しました。背後の山が崩れてその土砂により御堂はダメになりました。復旧のめどはまったくたちません。最初目にしたときは信じられない光景でした。まさに言葉を失いました。その後、山寺周辺の集落を見てまわると、至るところで崖崩れや土石流が発生していることが明らかになってきました。これまでは考えられないような場所で大規模な災害が発生しています。それほど激しい雨が降ったのです。この状況を目の当たりにすると、山寺背後の崖が崩れて大日堂が倒壊したのも納得せざるおえません。むしろ本堂がまったく無傷で済んだことを感謝しなければいけないのかもしれません。

倒壊した大日堂.jpg

大日堂の惨状を目にした当初は大変落ち込みました。しかし嘆いていても何も変わらないのですから、総代の皆さんにも手伝って頂いて早々に内部の仏様と仏具等を本堂に移しました。不幸中の幸いとでも申しますか、御本尊の大日如来は奇跡的に無事でした(下の写真)これまで幾度も破壊や焼失の危機をくぐり抜けて来たこの如来の歴史を考えると、今回も無事であった事は決して偶然ではないのかもしれません。それほど強運な仏なのです。今は本堂に移って頂いておりますが、今後も大切にまもって行かねばならないとあらためて強く思います。

被災直後の大日如来

今年の夏はまさに「試練の夏」でした。7月15日の豪雨により山寺は大変なことになりましたが、私の実家も見事に床上浸水となり、そちらの対応にも忙殺されました。そして8月3日には山寺にとって最も大がかりな行事である「施餓鬼会」が行われるので、その準備も同時進行でした。毎年組内の各寺院は順番に施餓鬼会(盆施餓鬼)を行います。山寺がトップバッターとして8月3日に開催し、この日は組内の住職が全員集合します。その後は各寺が順次開催して行くので、私は他寺の施餓鬼会へ連日のように出席(出仕)することになります。そして、それとほぼ同時進行で自分のところの檀家のお盆参りも行うので、盆明けまで非常にハードなスケジュールをこなすことになります。そういう事情でブログ更新どころではなかったのです。今年ほど大変な思いをした夏はありません。きっといつまでも記憶に残ることでしょう。とりあえずここ一月あまりの状況報告とします。

平成22年豪雨 床上浸水した実家.jpg

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