こだわり住職のよもやま話

2010年4月24日

本山御忌会開催される

2010年04月24日

浮御堂.jpg

21日に組内の快友寺住職が本山御忌会の講讃導師を務められました。七日間に渡って盛大に行われる本山の御忌会(法然上人の年回忌法要)において、宗門における頂点の僧侶である御前さん(法主)の代務として「歎徳之疏・たんどくのしょ」を読み上げる重要な役目が講讃導師です。「歎徳之疏」では他力易行浄土の一門を開かれた法然上人の半生が語られ、広大な恩徳に報謝申し上げる言葉が述べられます。講讃導師は本山御忌会における一日法主みたいな重要な役目であり大変名誉なことです。それで快友寺檀家を中心に我々山口県各末寺は合同で本山の参拝団を組み、前日の午後より北九州市の新門司港より阪急フェリーで神戸まで夜行便で移動し、神戸港からはバスに分乗して本山へ向かいました。平日であったこともあるでしょうが、我々参拝団以外の乗船客はわずかで船内は閑散としています。高速道路の割引制度の影響でフェリー業界はいずれも大変であることは聞いていますが、1万5千トンもあるフェリーに乗船客がこれでは見事に赤字でしょう。我々山口の参拝団はこの船で本山を訪れるのが定番なのですが、このフェリーの存続が少々心配になりました。

さて私は桜が満開だった8日の同行人会に引き続き、今月二度目の本山訪問ですが、紅葉参道はすっかり新緑になっており、境内のあちらこちらでツツジの開花が見られました。ここは何度来ても良い所です。四季折々の表情を見せてくれますから訪れるたびに心に栄養を頂けます。本山は秋の紅葉シーズン以外は無料で入山可能です。元々広大な境内に柵はなくて、どなたでも自由に境内を散策することが可能です。今時こういう本山はめずらしいでしょう。ところで今回それらの景色を持ち帰ることは出来ていません。メモリーカードを抜いたままでカメラを持参していました。実にまぬけです。翌日からは携帯で屋外の写真を少々撮りましたが、雨が降っていたので写りはかなりひどいです。

唐招提寺

団体参拝の日程は、まず御忌会で快友寺住職の晴れ姿を見届け、その後は宿泊する琵琶湖の畔にある雄琴温泉でしこたまビールを頂くことになりました。翌日は浮御堂を見学し、その後は奈良の唐招提寺・春日大社・東大寺・興福寺を訪れて帰路につくというハードスケジュールです。高齢者ばかりの参拝団ですから、さぞや皆さんお疲れになったことだろうと思ったのですが、意外にも帰りの新幹線内でも見事に宴会場状態です。年金生活者は元気ですね。恐れ入りました。 本山を訪れた21日は良い天気でしたが、翌日はあいにくの雨模様でとても寒い一日でした。ホテルから直行した浮御堂は、本山の阿弥陀堂に鎮座する阿弥陀如来が元々あった場所です。法然上人のお弟子であった熊谷蓮生(れんせい)法師(熊谷次郎直実)が譲り受けて運んだと伝えられています。それで日程に入っていたのです。その後は一路奈良を目指して移動します。まず唐招提寺を見学し春日大社を参拝してから昼食を頂きました。その後は東大寺へ向かいましたが、お目当ての東大寺大仏殿は駐車場からかなり歩くことになるのでこりゃ大変です。おまけに足元には奈良名物(?)鹿のフンがあちらこちらに落ちています。東大寺の壮大な伽藍に見とれて足元への注意を怠ると大変なことになります。おまけにとても寒い。しかし、そうちょくちょく来られるわけでは無いのでみなさんよく頑張られました。

東大寺

東大寺の大仏殿は木造建造物としては世界最大の規模なのですが、確かに間近で見上げると本当に大きいので圧倒されます。まして、最初に建立された大仏殿は現在のものより間口がさらに大きかったそうですから、驚きを通り越してあきれてしまいます。私は少々ひねくれているので、ここまで大きいのを見せつけられると「こんなでっかいものを造ろうなんて考えたあの方(聖武天皇)は、ある意味少々異常(?)な人だったのかもしれんなー」などと、大変失礼な思いにかられてしまいました。申し訳ありません。凡人の素直な感想です。(怒られるなー)

東大寺南大門

大仏殿の正面には巨大な南大門が構えていますが、その柱を間近で眺めるとこちらもまたすごいのです。その太さといい長さといい一本物の柱としては信じられない大きさです。南大門は鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されていますが、その際に山口県から運ばれたその柱は、もう二度と手に入らない巨大な木材です。東大寺再建の際に勧進を務めた重源上人(法然上人のお弟子さんでもあった)は、巨大な柱を求めて自ら山に入り探し歩いたといわれています。求める木材は徳地の山奥で見つかり、ここから防府の港まで運ぶ手段として、上人は佐波川の上流域に堰をいくつも造って水路を確保しました。徳地(山口市徳地町)を訪れると今でもその遺跡を目にすることが出来ます。柱にする巨大な木材を出したい。この目的に向かって人々は力を結集させ、谷を埋めて道を造り、巨大な滑車を設置して切り出した木材を川まで下ろしたのです。そして佐波川源流域の流れに木材を流すことができる水位を人工的につくり、佐波川河口からは瀬戸内の海路で運んだのです。こんな大それたこと今日では絶対に出来ないでしょうね。現在徳地には重源上人の資料館が併設されたテーマパーク(?)風の施設「重源の里」があります。ここを訪れると、この件に関して詳しく知ることが出来ます。とんでもない山奥ですが、けっこう人気の観光スポットになっています。

興福寺.jpg

最後に訪れた興福寺では時間的な余裕が無かったので、国宝館の見学のみでバスに戻られる方がほとんどでした。それでもみなさん大満足です。なぜならお目当ての品、例の阿修羅像を見ることが出来たからです。昨年でしたか、九州太宰府での出開帳の際に私の両親が見に行っているのですが、あまりの人出に驚いたそうです。三時間も待たされてようやく対面出来たらしいのですが、入館すると立ち止まることは許されず、じっくり眺めることは出来なかったそうです。私ならたぶん入館を諦めていますね。今回我々はこちらですんなり入館出来、しかもじっくり拝ませて頂けました。実にラッキーでした。しかも、我々がここを出発する頃には修学旅行の団体が押し寄せていて、入場口は人であふれかえっているではないですか。観光バスは停める場所が無くて大変なことになっています。お天気には恵まれませんでしたが我々はとても幸運でした。

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