こだわり住職のよもやま話

2010年4月1日

百日忌法要の意義

2010年04月01日

共同墓地の参道.jpg

先日、檀家さんのお宅で百日忌法要を行いました。これは満中陰忌(四十九日忌)の次に行われる法要で、亡くなってから百日目に行われます。人は亡くなると死出の旅に出発し、七日ごとに生前の行いを調べられることになります。いわば裁判のようなものを受けるらしいのですが、この旅の過程で三途の川を渡ったり閻魔大王の取り調べを受けたりして、満中陰を迎えると来世が決まるのだと考えられて来ました。生前の行いが悪いと地獄行きもあるらしくて、残った者は亡くなった方が良い来世を迎えられるようにと、初七日・二七日・三七日・四七日・五七日・六七日・満中陰と七回供養を行ないます。今日ではお葬式の当日に初七日を行うことが一般的になりましたから、お葬式の後は二七日より七日ごとにお寺さんがその家を訪問して中陰(中有)のおつとめを行います。最後の仕上げとなる満中陰忌では、再び親族等が集まり法要が行われます。亡くなられた方にとってはとても大切な区切りの日なので、ひときは丁寧な法要になります。一方、百日忌は卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、むしろ残った者にとって重要なのですが、その意義は以外と知られていないようです。「哭」とは「泣く」の意です。卒哭忌とは、「いつまでも哀しみにくれていては、先立たれた方も浮かばれません。残った者たちが元気に生きてくれることをきっと願っておられるはずです。だから、この法要を済ませたら涙からはもう卒業しましょう」の意で行なわれるのです。そして、百日忌をけじめとして普通の生活に戻って下さいということでもあります。

ところで、私は葬儀を行うと納骨は百日忌にして頂くようにお勧め(お願い?)しています。満中陰法要の際に納骨を行うこともまれにはありますが、大抵は百日忌法要とセットにしています。これには田舎ならではの事情が絡んでいます。先日(3/25 お墓の建立について)の記事で、今時のお墓は納骨が容易な舞台墓が主流であることを書きましたが、山寺では納骨がめんどうな古典的なお墓が多くなるからです。満中陰法要の際に納骨したくても、納骨室がとても深かったり、あるいは納骨室のフタを開けるのが大変だったりで、法要に出席した支度(衣装)のままでは躊躇するケースがよくあります。山中の共同墓地が今でも珍しくありませんので、いざ納骨となると、関係者一同でせっせと山道を登って行くことになります。雨など降ろうものならドロだらけになるのは必至です。強行すると礼服はたちまち汚れてしまいます。私も「タビや白衣が汚れるし略衣も台無しになることがあるから、こりゃ参ったなー」です。運良く天候に恵まれたとしても、夏期だと蚊取線香や防虫スプレーを忘れると墓前で読経どころではなくなります。そういう訳で「百日忌があるのですから、その際に少々汚れても良い支度で納骨に行きましょうか」とご案内しています。百日忌に参列するメンバーは満中陰忌とは異なり家族だけでも良いのですから。納骨に行ける支度で読経に付き合って頂き、おつとめが済めばそのままお墓へ行きます。それと、百日忌の実施日は当り日(百日目)より少々早めに予定を組みます。万が一天候に問題があれば延期になるからです。それでも、できれば予定通りに越したことは有りません。よって前日から「晴れてくれ」と願わずにはおられません。都市部ではこんな配慮は不要かもしれませんが、田舎の坊主はこんなことも考えないといけないのであります。

 

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