こだわり住職のよもやま話

2012年3月

見習わないといけません

2012年03月16日

大分県竹田市 西光寺 泰 .jpg

今年の彼岸会は、春休みで帰って来た息子とおつとめを行うことが出来ました。毎年この法要はお説教を聞いて頂くのがメインとなります。だから勤行は短めとなり、正座がひときは苦手な息子も最後まで格好が付きました。肝心の読経もそこそこ形になっていました。親としては少々嬉しい一日でした。ただしメロディーのつく往生礼賛偈はまだまだです。彼には「長谷川先生の録音を夢に出て来るほど聴かんとダメだ」と言っています。それこそ、口を酸っぱくして言い聞かせているのですが、どっこい、ご当人は父親のように必要に迫られて必死で覚えようとしている訳ではありませんから、やっぱあきません。大勢の前で一人で読経する状況にでも追い込まれないとスイッチは入らないのでしょう。

おつとめの後はお待ちかねのお説教となりました。今回は大分県竹田市の西光寺、泰 正純師のご法話です。まだお若いのですが、非常にゆったりとした語りで実に優しいしゃべり方をされるお坊さんです。ご自分でも言われるように、実年齢よりもはるかに若く見える方です。法話の結びに話されていた言葉がとりわけ印象に残りました。「本日、私はみなさまの前でお話をさせて頂きましたが、お説教が上手に出来るから、ここ(高座)に上がっているわけではありません。まだまだ上手に出来ないからこそ、こうやってみなさまとのご縁を頂き、お勉強をさせて頂いているのです」。実に謙虚なお坊さんであります。歳だけは食ってますが、修行の足らん私には深い言葉でした。見習わないといけませんね。次の行事は4月29日の大日祭です。それまで山寺はしばらく静かな日々となります。

一周忌に思う

2012年03月10日

奇跡の一本松.jpg

一年前、私は「被災者のみなさんに救いをもたらすのは、数え切れない多くの人々の思いと具体的な行動であり、そして、そこから生まれる感謝の思い、ありがとうの心が、明日への希望につながるのだと信じたい」と書きました。振り返るとなんと早い一年だったことでしょう。明日は被災された人々のために、「何が出来、何が出来なかったのか」と自問する一日になります。

あの大震災は、おそらく日本人の価値観や人生観に大きな影響を与えたはずです。僧職にある私にとっても、これほど菩薩道を意識させられた一年はありませんでした。年頭に頂いた御法主の「おことば」にも、「そもそも我が宗の御教えは、阿弥陀仏の大慈悲心をいただいて菩薩道を実践する所にあります。」と、見事なまでに簡潔明瞭なご教示がありました。それなのに、現実は「大したことも出来なかった...」と、後悔の念が強く残ったまま特別な日を迎えようとしています。

明日は多くの方々の一周忌です。あらためてみなさまのご冥福をお祈りし、私なりに出来ることを模索する再出発の日にしたいと思います。

生前戒名のありがたみ

2012年03月02日

剃度式のおかみそり.jpg

本日は生前戒名について書いてみます。間もなく山本勝正さん・睦美さんご夫婦に、昨年からお約束していた戒名の授与式を実施することになるからです。暦も3月となりました。いよいよ春も間近です。「温かくなったらやりましょうね」と云っておりましたから、そろそろ実施日を決めるタイミングです。さて、いつ頃にしましょうかね。授与式は本堂で行うので天候を気にする必要はありませんが、それでもやっぱり、お天気になるといいですよね。春だし、ウグイスのさえずりが聞こえる日に、厳かに授与できたら最高ですからね。

戒名の生前授与といえば、初めてさせて頂いたのは昨年のことでした。サラリーマン時代にお世話になった加藤正利さん・佳代子さんご夫妻への授与でした。本山(京都)へ所用で出向くことになった際に名古屋まで足をのばして、きっちり授与させてい頂きました。今回もご夫婦ですから、お二人にふさわしい戒名をお送りしたいと思っております。

ところで、生前戒名は今日ではまれなケースです。「生きているうちから戒名?、それって、人が亡くなってからの話しでしょう」と思われてる方も多いでしょうね。かくゆうこの私も、僧侶になるまではなんとなくそう思っていた一人でした。しかしこれって、本来とても良い事なんです。仏教の本来あるべき姿からすると正道なんですよ。

戒名を頂くということは、僧名を頂戴することです。そして、授与して下さる僧侶のお弟子さんになることでもあります。多くの宗派では、葬儀を行う際には、剃度式という出家の儀式(お坊さんになる儀式)を行って戒名を授与した後に、お送りすることになります。私の場合ですと、まず實空俊徳(私)の弟子になって頂くわけです。そしてそれは、私に法脈を授けて下さった前法主、憲空文有上人如道大和尚様のお弟子になって頂くことでもあります。さらには、流祖西山上人、宗祖法然上人、そしてお釈迦様へとつながる、仏弟子になって頂くことでもあるのです。我が宗派では、葬儀の際にはそういう手順を踏んだ後に引導をお渡しして阿弥陀様のもとへとお送りしています。ですから、人が亡くなると必ずお坊さんになって頂く儀式が行われます。ある意味、いたって形式的なものかもしれません。しかし、僧侶になってからあの世へ行くという考え方は、多くの宗派で受け継がれている重要な儀式なのです。

くどいですが、生前に戒名を頂戴するということは、仏教徒として大変喜ばしい事です。なぜなら、僧名を頂くことで我々は仏教徒としての自覚に目覚め、有意義な日々を送るご縁を頂くことになるからです。「僧名を頂戴したこの身だから、今頂いているこの命を大切にして生きて行こうではないか。そして、仏教の説く利他の精神、菩薩の生き方を心がけなくちゃ」と、意識することにつながるのです。要するに、そうなって頂く為の戒名授与なのです。

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