こだわり住職のよもやま話

2011年2月

人それぞれの心象風景

2011年02月26日

冬構え.jpg

先日、山寺を時々訪れては写真を撮られている方から一枚の作品を頂きました。その御仁は山陽小野田市住吉にお住まいの中務英成さんです。今秋には八十三才になられるとのことで、中務さんは作品を手にこう切り出されました。「私は長年こちらのお寺の写真を撮らさせて頂いておりますが、昨秋に撮影した一枚がとても気に入っています。ご迷惑かもしれませんが、ご住職にぜひ見て頂きたくて持参しました」。作品のタイトルは「冬構え」となっておりました。山寺の本堂前を切り取ったその写真は「自分の今の心境そのものです」とおっしゃられた。画面の右下には実は一体の小さな石仏があります。すぐ目の前には西日に照らされた銀杏の影が横切っており、その向こうには観音菩薩様がおられます。「西日が作り出した影が私には三途の川に見えました。手前の小さな石仏が此岸に生きる今の自分です。私の人生も残りわずかとなりましたが、三途の川の前でたたずむ石仏に己の心のありようを重ねてみたのです...」と淡々と話されたのです。

実に印象深い言葉でした。なるほど大銀杏の長い影はまさに三途の川です。手前は我々が生きる娑婆世界(此岸)であり、その影の向こうに目をやると、まさに仏がおられる彼岸ではありませんか。深遠な仏教観が見事に込められております。私にとっては見慣れた風景でしたが、その方の深い思索につくづく感銘を受けた次第です。

墓石に刻まれる文字

2011年02月24日

俱会一処.jpg

昨今のお墓は大抵累代墓ですが、その仏石の正面に掘られている文字はさまざまです。よく見かけるのは○○家之墓と表示してあるケースかもしれませんが、例えば日蓮宗だと「南無妙法蓮華経」と刻むことが多くなりますし、宗派によっては「南無釈迦牟尼仏」と入れてあることもあります。浄土宗や浄土真宗等では「南無阿弥陀仏」と文字を入れるケースが多くなりますが、まれに「俱会一処」と文字の入った墓石を目にすることもあります。この「俱会一処」とは仏説阿弥陀経の中に出てくる言葉です。一般的な読み方は「くえいっしょ」ですが、西山では「くかいいっそ」と発音しております。「俱会一処」とは、ともに一つの場所で出会うということです。阿弥陀経は阿弥陀仏のおられる世界、すなわち極楽浄土へ生まれる願いを起こすことをすすめています。それは浄土の仏や菩薩たちと倶に一つの処で出会うことが出来るからだと説いているのです。

俱会一処の思想を掘り下げると、私たちは、いずれは浄土において仏や菩薩だけではなく、生前お世話になったあの人や大切な人とも再会できるのです。素晴らしいことですね。しかし今ひとつあえて申し上げておかねばならないことがあります。それは今生において、怨んだり憎んだりした相手とも再会するということです。そう聞くと少々遠慮したくなる方がおられるかもしれませんが、でもそう考えてはいけません。怨みや憎しみを持ったまま浄土にいってはいけないのですから。現世において嫌いな人や憎い人と会わねばならない苦しみを、仏教では「怨憎会苦」と申します。釈迦が説いた八大苦の一つです。娑婆世界(この世)に生きる我々は、大なり小なりこの苦しみにさいなまれるのですが、しかしいずれは貴方も相手も浄土に旅立つ身です。人間は亡くなると仏の国に生まれ変わり、そこでは怨んだり憎んだ人とも仲良く過ごせるのだといいます。争いはなく平和な世界です。だから浄土に生まれ変わった人間はみんな仏になれるのです。そうだとしたら、いやだからこそ「この世でも少しはその準備をしようではないか」と仏教は諭すのです。「そういうあり方で生きて行くことが己の人生を幸せにするのだ」と説いているのです。

本山納骨のありがたみ

2011年02月15日

本山納骨堂へ登る階段.jpg

過去の記事でも触れていますが、私の実家は先祖代々浄土真宗本願寺派(西本願寺)の真宗門徒です。山口県の真宗門徒(本願寺派)は、お葬式を出したら「いずれは京都にある親鸞聖人のご廟所(墓所)おそばに納骨して差し上げよう」という意識がかなり定着しています。本願寺派(西本願寺)門徒の納骨場所は大谷本廟で、浄土真宗二大勢力のもう一方、真宗大谷派(東本願寺派)門徒の場合は大谷祖廟になります。ですから、真宗王国である地元の葬儀屋さんは、頼まなくても勝手に(?)納骨用の小さな骨壺を用意しています。

私の祖父と祖母も分骨されて大谷本廟に眠っています。山口からだと時間も費用もかかり大変ですが、それでもみなさん結構納骨されているようです。その点、我が宗派は本山への納骨を積極的に勧めていなかったのか(広報活動が足りなかった?)あるいは代々の住職が積極的にお勧めしなかったせいなのか?そこらあたりの事情は解りませんが、少なくとも我が山寺においては定着しているとは言えないのが実情です。私自身も、坊さんになるまで本山に納骨するという善行(習慣?)をよく理解していませんでした。亡くなった人のお骨は、その家のお墓に入っているのが当然で、わざわざ山口くんだりから京都まで運んで分骨する意義を深く考えたことなどありませんでした。むしろ「むやみやたらと遺骨を分散させるのは良くないのでは?」なんて、根拠のない心配をしかねない愚かな衆生でした。たまたま(失言、こういうときは縁あってと書かねばならない)実家とは違う宗派ではあるが、お坊さんになってしまったので(ならせて頂いたでしょう)本山へ納骨することの意義について、さすがに考えるようになりました。

法然上人の石棺

さて、仏教徒において亡くなった方のお骨を分骨するという行為は、お釈迦様がその始まりでしょう。釈尊がクシナガラで涅槃に入られた後、その遺骨は8等分されて仏舎利塔がインド各地に建てられました。約200年後のアショーカ王の時代には、さらに分骨されて8万余の膨大な寺院に仏舎利(遺骨)が再配布されたといわれます。多くの人々がお釈迦様を慕い、その遺骨(仏舎利)が納めてある各地の仏塔へ参拝出来るようにしたのです。

日本にも仏教の伝来とともに仏舎利がもたらされたようです。そういう歴史的な背景をかんがみると、敬けんな仏教徒であれば、お釈迦様や菩提寺の本山等にある宗祖の霊廟(お墓)等のおそばに故人の遺骨を納めて供養したいと考えるのは、ある意味とても自然なことなのです。ちなみに国内においてそういう考え方で先亡が眠る特別な場所としては、高野山がよく知られています。高野山は真言宗の開祖、弘法大師空海さんの霊廟があるわけですが、その周囲には膨大な数のお墓があります。宗派に関係なく実に多くの人々が眠っています。分骨したのかどうか詳しいことは知りませんが、なんと法然上人のお墓もあります。興味深い事です。

法然上人御火葬跡.jpg

今年は宗祖法然上人の800年御遠忌の大法要が4月19日より本山で開催されます。私は檀家さんをご案内して参拝致しますが、山寺の檀家さんには本山への納骨をその際に行われる家もあります。本山の納骨堂は本堂(御影堂)の背後にあります。そんなに大きな建物ではありません。百段近い階段(回廊)を登って行きますが、かなりの急勾配なので随分高い所になります。そして納骨堂のすぐ隣には法然上人の御廟(墓所)があります。お釈迦様と同様に法然上人も分骨されて御廟が複数ありますが、ある意味西山浄土宗総本山光明寺の御廟は本家本元のお墓といえます。上人は総本山光明寺の境内で荼毘に付され、この地に最初のお墓(御廟)が設けられました。境内には上人の石棺や火葬の跡も残っており、納骨堂は法然上人の御廟(遺骨)のすぐ隣です。まさにすぐそばです。この事実には正直「ありがたいなー」と思わずにはいられません。

我が宗派は巨大な組織ではありません。ですから納骨堂へ納められる分骨の絶対的な件数は限られており意外とこぢんまりとしています。それゆえに、あんなにすぐそばに納めて頂けるわけです。実に俗人的な見方ですが、この事実を知ると「大所帯ではないからこそのメリットだなー」と思ってしまいます。残念ながら通常は納骨堂と御廟に近づくことは出来ません。要するに納骨しないと確認出来ません。だからあえて書いてみました。

▲PAGETOP