こだわり住職のよもやま話

慶宣がやってきた

2010年02月24日

唐戸市場と背後の関門橋.jpg

同行人の中北慶宣君が2月21日に山口へやってきました。学生時代の先輩の結婚式が長崎であったので、聞けば夜行バスで当日長崎入りし披露宴に出席したといいます。「そりゃご苦労さんだったねー」である。披露宴終了後に長崎駅から特急かもめで博多まで行き、そこからは新幹線で厚狭駅までやってきました。長崎を午後5時25分発に乗車したのですが、博多までは2時間近くかかります。博多からは新幹線に乗ると40分位で厚狭に到着しますが、厚狭駅は光が停車しません。こだまに乗車するとなると少々接続が悪くなるので、結局博多到着から厚狭の間で1時間を要します。厚狭に到着したのは8時半前です。本人曰く「こんなに時間がかかるとは思いませんでした」である。事前に調べていたらそんな発言も出ないでしょうが、これも性格です。全然考えていないのです。いかにも慶宣らしいのであります。さて、そんななんだかんだで無事厚狭までやってきたので、車で美祢まで戻りホテルにとりあえずチェックインしたのは9時を回っていました。その後、披露宴でご馳走をしっかり頂いているだろうから、市内唯一の24時間営業のファミレスで質素な(?)夕食を済ませて、再びホテルに送り届けました。「明日は8時半に迎えにくるから、ロビーで待ってて」そう言うと、私は目と鼻の先にある自宅アパートへ帰ることにしました。ところが、自宅のお土産として長崎名物角煮まんじゅんを買ったので保管をどうしようかと言います。なんと冷凍まんじゅうを買っているのです。明日遅くでないと帰宅しないのに冷凍食品だという。これである。しかたないので、自宅冷蔵庫の冷凍室で保管することになりました。これが後々めんどうなことになるとは、その時は思いもしなかったのであります。

さて、翌日は忙しかった。迎えに行くと荷物をとりあえず宅配便で自宅へ発送しておきたいと言うので、クロネコヤマトの営業所へホテルから直行しました。この時、例の角煮まんじゅうをクール宅急便で送るようにすればよかったのですが、うっかり私は忘れていました。本人もまったくそんなことは考えておらず、我々はここでまず最初のミスを犯すのである。その日は終日山口観光であるが、さてどうしたものかと思案した結果、とりあえず山寺を見せてやることにしました。自宅から17㎞位離れている我が光明寺を見て、さすがに慶宣は驚いたようである。「今時こんな寺が残っているなんて」と、口にこそ出さなかったが内心は思ったはずである。ところで我々は西山の現役僧呂です。若いが慶宣もすでに住職です。はるばる光明寺まで来たのですから、本堂で朝のおつとめをすることにしました。本山で毎朝行われている読経一式です。慶宣は大学を卒業した後、師匠(父親)の意向で(たぶん)本山の随身(住み込み坊主修行)生活を一年間過ごしているので、とりわけ朝のおつとめは熟練しています。私が朝のおつとめを他人と一緒に行うのは、本山での講習会に参加していた時以来です。私は随身をしていませんので、本山式の朝の読経に関しては絶対的な経験数が慶宣に負けているかもしれません。しかし、私は本山のおつとめを録音して持ち帰り、何度も聞いて孤独な練習を続けました。だから多少は自信があります。随身後の慶宣と初めて一緒に朝のおつとめをしたのですが、慶宣はさすがに随身しただけのことはありました。実に気持ちよく一緒に読経できるのです。発声のタイミングなどもバッチリ合って実にいいお経になりました。大変満足できた朝のおつとめでした。

山寺で朝のおつとめ後は寺のすぐ近くにある美祢西インターから中国道で下関へ向かいました。山寺から下関の中心街までは35㎞位はありますが、高速を利用すれば実に近いものです。20分弱で下関インターへ達します。そこから5~6分で現在下関観光の目玉施設となっている市立水族館「海響館」へ行けるので、まずここに入館しました。下関は捕鯨基地としてかってた栄えた街です。それでこちらの水族館には巨大なシロナガスクジラの骨格標本があります。少々地味かもしれませんがマンボウの泳ぐ姿が間近に見られるのは貴重かもしれません。それと下関の水族館ですから展示されているふぐの種類の多さは間違いなく日本一でしょう。イルカのショーは私が子供の頃からありました。幼い頃に両親に連れられて、現在とは違う場所にあった旧水族館へ行ったときの懐かしい記憶があります。巨大な魚が泳ぐ大水槽の前に張り付いていつまでも動こうとせず、親を困らせたものです。その頃から魚の泳ぐ姿を眺めるのが大変好きだったのです。

下関市立水族館「海響館」.jpg

移転して新しくなった現在の水族館の周辺、唐戸地区は、近年再開発が行われて実にオシャレで小綺麗な場所です。目の前は早鞆の瀬戸と呼ばれる急流で知られる関門海峡です。対岸は北九州市で、東方向に目を向けると巨大な関門橋を見上げることができます。水族館の東隣には一般向け(観光客向け)の唐戸市場があります。昔はこの市場にふぐが水揚げされていたのですが、手狭になったので、ふぐの市場は彦島の南風泊(はえどまり )市場に移転しました。今では完全に観光客向けの市場に衣替えしています。この市場をのぞくと、慶宣が一番期待している例の「ふぐ」がこれでもかと言わんばかりに陳列してあります。ふぐ卸業者の直営店がずらりと並び、観光客がお持ち帰りや地方発送できるように、高級トラふぐの刺身やちり鍋セットなどが大量に並べてあるのです。土日や祭日ともなると市場内の空きスペースに会議テーブルとイスが並べられて、観光客は市場の直営店で買ったふぐ刺やふぐ汁、そしてふぐのにぎり寿司などをその場で食すことが出来ます。この食べ歩きが一番通好みでおすすめなのですが、この日は月曜なのでテーブル席での粋な食べ方は出来ませんでした。本当は慶宣にこれを経験させてやりたかったのですが残念でした。市場と水族館の間には飲食店やおみやげ店が集まった建物があり、観光客は通常こちらでふぐ料理を楽しみます。それで、仕方なくそれらの飲食店の一軒で早めの昼食をとりました。ついに慶宣お楽しみの本場下関のふぐコースです。地元の人間にしてみれば、ここにある飲食店は決して安いとはいえませんが、それでも本格的な料理屋で頂くよりはお手軽ですしその分安価です。味だってほとんど変わりません。仕入れ先は高い料理屋と一緒なのですから。

唐戸市場直売店.jpg

早めの昼食の後は、全国に流通するトラふぐの8割強を取り扱う彦島の南風泊(はえどまり)市場まで行き、市場の前にずらりと並んだいけすに大量のトラふぐが泳いでいるのを慶宣に見せました。「ほら、ここに泳いでいるのがセリで一匹1万円はするトラふぐだぞ、これだけ大量に泳いでいるんだから全部勘定したらいったいいくらになると思う?」などと、いかにも貧乏人くさい話をしてそこを後にしました。

再び高速で美祢まで帰ります。今度は美祢市唯一の観光資源ともいえる日本一のカルスト台地、秋吉台(あきよしだい)へ向かうことにしました。その際に、食いしん坊の慶宣のリクエストで王司パーキングエリアに立ち寄って、ふく天うどん(ふぐの天ぷら入りうどん)を食べることをもくろんでいたのですが、立ち寄ると改装工事中でなんと食事が出来ません。またまた失敗である。仕方なく一路秋吉台を目指しました。秋吉台の地下にある秋芳洞(あきよしどう)は一般公開されている鍾乳洞としては、これまた日本一の規模を誇ります。下流の入口から上流の出口まで1時間弱の地底探検の旅となります。地元の人間は当然一度は訪れている場所ではありますが、逆に何度も行くところでは無い場所ともいえます。私も洞内に入るのは何十年ぶりでしょうか。たぶん大学卒業直後に、同級生が遊びにきたとき以来だと思います。 友人や親戚、会社の関係者や取引先への接待などでけっこう案内したことがあるのですが、まず車で行くことになるので下流の入口で見送って、自分は上流の出口側へ車を回して出てくるのを待つことが常でした。個人で訪れて下流の入口から入場し上流の出口側から出ると、再び車を止めた下流へ戻るのはめんどうです。タクシーで戻りたくなります。だから個人の場合は鍾乳洞内を最上流まで行ったら引き返すのが一般的なのですが、これがけっこう時間がかかります。今回は慶宣一人に上流の出口まで歩かせるわけにも行きませんので、下流の入口から一番奥まで行き引き返しました。さすがに少々疲れました。

秋芳洞観光の後は、秋吉台の広大なカルスト台地を南北に縦断する県道(昔は有料道路だった)を北上し、そのままついでに萩市まで足を伸ばしました。秋吉台からだと約32㎞です。山口県は見事な田舎ですが、歴史的な背景もあって総理大臣を数多く輩出しています。だからその恩恵でしょうか、昔から道路が異常に良いのです。信号機なんてわずかで渋滞知らずの立派な道路が縦横無尽に県内を走っています。だから車での移動は効率が良いのです。萩は長州藩の城下町でした。ですから今でも土塀が連なる武家屋敷跡が数多く残っており、なかなか風情のある街です。特別な見所があるかと聞かれると少々困りますが、歴史好きの人がのんびりと見て回るには良いところです。萩に慶宣を連れて行ったのは、実は毛利家の菩提寺であった古いお寺を見せたかったのです。大照院という臨済宗南禅寺派のお寺です。萩藩主の菩提寺はもう一カ所あります。めずらしい黄檗宗の東光寺ですが、市内中心部に近くて観光客が訪れるには都合がよいのでこちらの方が少々有名です。大照院はちょっと隠れた形になっていて意外と知られていない寺です。観光バスだと立ち寄りにくい場所にあるので、そうなってしまうのでしょう。

さて、お殿様の菩提寺というものは普通の寺とは決定的に違うところがあります。それは一般的に書院といわれる建物、要するにお殿様がお寺で葬儀や法要等を行う際に、殿様自身や法要に参列した大勢の人々が休憩したり飲食を行う場所が立派なのです。もちろんお殿様の菩提寺ですから本堂も立派ですが、本来付随の施設である庫裏(庫裏における応接室が書院である)が思いっきり広く、場合によっては本堂よりも大きくなるのが特徴です。大照院もごたぶんにもれず書院が実に広いのです。前述のとおり現状では観光客が大挙するような寺ではありませんので、実に静かな場所で穴場です。建物は山寺光明寺とほぼ同じ江戸中期に再建されたもので実に古めかしいものです。まさに当時のままの姿で残っています。裏庭に回り本堂の背後を観察すると雨漏りしないだろうかと心配になるほどです。しかしその格式の高さや各部の作りの丁寧さは流石に萩藩主の菩提寺です。建てられてからの年数だけなら山寺光明寺も大して変わりませんが、まさに月とスッポンです。実に格調高く見事なお寺です。しかしこれだけのものを維持管理していくとなると、寺の財源だけでは不可能なことも明らかです。大照院の楼門(二階建ての立派な寺の門)は国指定の重文です。昨年修復工事が行われ実にきれいになっています。修復前の状態を知っていますので「税金でこんなに立派にしてもらえるんだー」などと、山寺の坊さんは少々びがんでしまいます。

大照院墓所.jpg

境内の南端には歴代萩藩主の墓所があります。東光寺とこの大照院に分けられて萩藩主のお墓が建立されているのですが、こちらの方が多くなります。(実質上の初代藩主である輝元の墓所だけは、明治初頭に廃院になった天樹院跡にあります)お殿様のお墓があるのですから家臣のお墓も多数集まっています。手つかずの森に囲まれたその墓所は往時の姿を今も保っており、周囲の景観も含めて実に貴重なものです。国指定の史跡なのも当然でしょう。毛利家の菩提寺としては長府藩(萩藩の支藩)の菩提寺であった巧山寺が、この大照院や東光寺よりも観光寺としては賑やかで有名かもしれません。しかし、藩主の墓所としてはこちらの方がスケールも大きい(本藩だから)し、状態も見事に古いままで残っています。明らかにこちらに軍配が上がると思います。これを慶宣に見せたかった。ところが、残念なことにその日はもう拝観受付が終了だったのです。立派な楼門をしげしげと眺め、古めかしい庫裏の正面玄関前から土塀ごしに本堂の屋根を眺めることしか出来ませんでした。毛利家の墓所へ続く入口は一応柵が閉じられていました。入れないことはありませんが、無視するわけにも行きませんのであきらめました。まだ4時過ぎだったのに入山終了がちょっと早すぎるんじゃありませんか?

萩まで足を伸ばしたのですが慶宣の帰りのことも考えなくてはならないので、その後は新山口駅へ向かうことにしました。慶宣は新幹線に乗る前にもう少しおみやげを買うといいます。それで、新幹線口の物産店街で山口のお土産として全国に誇れる(であろう)商品を推奨しました。慶宣は名古屋人ですが、名古屋名物というと「ういろう」というのがあります。しかしこと山口県民にとって「ういろう」といえは、昔から「豆子郎」という名前の山口のういろうの方が絶対に美味しいと考えています。それで、あえてそれを勧めました。次に勧めたのは「焼きぬきカマボコ」です。防府の老舗かまぼこ店が発祥といわれる「焼きぬきカマゴコ」は、現在は長門市の仙崎で盛んに生産されています。一般的な蒸しカマボコと違ってプリプリの食感が身上です。お勧めの食べ方は板わさです。板から外したカマボコに一本の切れ目を入れ、そこに大葉(青しそ)とわさびをはさみ込みます。それを1㎝くらいの厚みに切って醤油でいただくのが最高だと思います。私はまったく飲みませんが(飲めないわけではないのでお付き合いは出来る)左党の方には最適な肴です。山口県では飲み屋でこれがよく出てきます。カマボコは宮内庁御用達として一番の老舗である「白銀」を勧めました。杉本利兵衛本店という名店から出ている商品で、食通の間ではマストアイテムです。そして、とどめはふぐで有名な山口ですからふぐ刺と行きたいところです。しかしあまりにも高過ぎるので、ふぐ茶漬けを買って帰るのがお手軽で実用的だと考えて勧めました。

買い物が済み新幹線の発車時刻まで少し時間があったので、我々は夕食をとることにしました。その時、慶宣が突然思い出したように言うのです。「あー角煮まんじゅうどうしよう」「しまったー」です。私はすっかり忘れていました。結局翌日クール宅急便で送ることになりました。下関では通好みの食べ歩きである、唐戸市場のテーブルでふぐをがっつくというもくろみは果たせず、ふぐ天うどんは食べられずじまい。大照院ではタッチの差で入山出来ませんでした。とどめは角煮まんじゅう事件である。やれやれさんざんな一日でありました。しかし久しぶりに慶宣と読経した礼賛偈は実に気持ちよかった。ありがとう慶宣。もしもまた山口へ来る機会があったなら、次はしっかり時刻表を調べてから来るようにしましょうね。

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