こだわり住職のよもやま話

スーさんの思い出

2010年02月01日

北長門国定公園 青海島の磯(かもめ岩と山島)

私が見事な殺生坊主であることは『1/22こだわり住職の懺悔・後編』ですでに白状しました。それで、この際にと言うわけではないのですが、実は昨年末に磯釣りをしたので書いておこうと思います。私が長年勤務していた会社の有志が開く釣り大会です。社内の釣りバカグループが仲間内の恒例行事として続けています。通称「釣り忘年会」です。会社を離れて随分経過しましたが、未だに声を掛けて頂けるので参加しています。今回は青海島の磯で釣りをしました。12月末の日本海ですから、海は波が少々高く一級ポイントへは行けません。水温は急激に低下しており魚はほとんど釣れません。それでもメンバーは釣り納めと称して海へ行き、安全な場所でエサをせっせと撒くのです。実にアホな連中です。(私も同類)釣り終了後は湯本温泉で忘年会となります。軽く20年以上(もしかしたら30年近くか?)続いている伝統行事です。昔は小雪のちらつく中をナベと食料を持参して、磯で酒盛りをした事もあるといいます。ここまでやったら少々尊敬したくなりますねー。(私はこの時代を知りません)

実はこの行事に参加するメンバーが異色で、ヒラから社長までいます。私が在職中だった時の社長が途中から参加するようになり、今も社長が参加する恒例行事として続いています。実におもしろい連中ばかりですから、毎年忘年会では大笑いする話題で盛り上がります。宴会終了後は宿泊する部屋に集合してお約束の二次会となります。会費節約の為に持ち込んだ缶ビールや焼酎でやりたい放題です。今回はタツちゃんの独演会が披露されてめちゃくちゃ笑えました。「それで?本当はどーなの?」って何度も訪ねる看護師(婦)さんの話は最高でした。身振り手振りで見事な演技です。「役者じゃのー」って声をかけたくなります。サラリーマンにしておくのはもったいないかも(?)こんなおもろい人が責任ある立場にいるのですよ。会社での大まじめな姿を知っていますから余計におかしいのです。私は笑いすぎて涙が出ました。これくらい見事に切り替えが出来ると大したものです。

さて、先駆者である前社長が参加するようになったのは十年位前のことです。やがて社長のことを我々メンバーの間では「スーさん」と呼ぶようになりました。(社内で表だっては言えませんけどね)「釣りバカ日誌」という映画のシリーズをご存じの方は理解できると思いますが、まさにあの状態です。鈴木建設の社長こと「スーさん」と、その会社の従業員である釣りバカの「ハマちゃん」が繰り広げる物語です。我々のスーさんは某財閥系の大企業グループの役員です。そして、私がいた会社(子会社)へ単身赴任で来られていた社長です。それで、せっかく海釣りが盛んな土地に赴任したのだからと、まず防波堤での釣りから始められて、やがて社内の釣りバカグループで磯釣りをたしなむようになられたのです。(メンバーが休日のスーさんを連れ出して、磯の魅力を知らしめたのです)そのスーさんですが実に素晴らしい人でした。本来我々が対等に話しをさせて頂けるような方ではありません。しかし仕事を離れれば実に親しみやすい方で、社内での立場を離れて気兼ねなく一緒に過ごすことが出来る人でした。

スーさんとは釣り忘年会で大分まで遠征したこともあります。例の当番瀬(旧大分県米水津村)を上田(私の相棒)のコネで確保して、御用納めの当日夕方から徹夜で大分へ向かったのです。当時スーさんはまだ磯釣り初心者でしたから、現場では誰かが張り付く必要があります。しかし、それはいわば遠慮したい役回りです。みんな海に行けばただの釣りバカ(?)なので、スーさんの面倒なんて見てられません。憧れの大分です。自分の釣りに専念したいですよね。地元では不可能な良型の数釣りを夢見て磯に立っているのです。しかも「当番瀬」ですよ。だから思いっきり釣らせてあげるべきでしょう。私はすでに何度も大分の海を楽しませてもらっているので、ここでは私がスーさんの面倒を見ることになります。

年末にはるばる大分まで来たスーさんは、釣った魚を奈良の自宅までお土産として持ち帰るといいます。しかしその日は食いが少々渋くて、あれだけ沢山魚がいる海に来ているのに、スーさんは待てど暮らせど釣れません。それで私もちょっと油断していました。はっと気づくとスーさんがデカイのを掛けて悪戦苦闘しているではないですか。竿が強烈に絞り込まれています。「ついにやったー」とあわてて駆け寄りました。みんなも色めき立ちます。でもスーさんはまだ初心者ですから、大型魚を掛けた際のシビアなやりとりが出来ません。魚を水面に浮かす前に結局糸がギューン・プッチンでした。あー残念です。私もみんなも落胆です。でもご本人は「あんな強烈な引きは初めての経験だよ、すごかったー」などと、少々興奮ぎみに満面の笑顔でした。その日再びスーさんの竿が豪快に曲がることはありませんでした。小魚と戯れておられたわけですね。それでお土産は私が釣った魚を持ち帰ってもらいました。年明けに出社すると「女房がとても喜んでくれたよ」と、わざわざ土産を持参して下いました。そんな律儀な方でもありました。(後にスーさんは大分で立派なクロを釣っています。常連が米水津サイズと呼ぶ35㌢オーバー のまとめ釣りです)

スーさんと我々はいろんなところへ行きました。遠い所では長崎の五島列島へ遠征したこともあります。(帰りは少々波があったからひどい目にあったなー)私が退職した年には、私の送別会も兼ねてということで梅雨の直前に萩市の遙か沖(約45㎞先)にある見島に行き、臨時釣り大会を開催してもらったこともあります。(あの民宿は北国屋といったな、アワビのステーキが豪華でした)そんなこともあって、スーさんとの思い出は沢山あります。スーさんはつくづくいい人だったなーと思います。親会社からテコ入れの為に赴任した社長ですから、仕事の上では当然とても厳しいことを口にされます。しかし、一個人としては実に謙虚なお人柄で思いやりに溢れる方でした。我々にとってはまさに「スーさん」であり尊敬出来る人でした。

さて、現在の社長は私が退職する数年前にスーさんと同様に親会社から来られていました。そして、私が退職した数年後にはスーさんの後を受けて社長に就任された方です。(スーさんは本社へ戻られた)現社長も単身赴任でした。これまた釣りバカグループで磯の楽しさを知ってもらいました。ですから在職中から釣り忘年会などでご一緒させて頂いておりました。いわば互いに知ってる仲ではあります。しかし今回は特に親しくお話させて頂くことが出来ました。昨年末の釣り忘年会では私が唯一の部外者です。ですから互いに心理的な遠慮などもまったくありません。二次会では社長は私の隣におられましたので、まさに自然体でお話をさせて頂きました。社長は豊前の人です。若い時に親が亡くなるという辛い経験をされており、苦学されて現在の地位に就かれた方です。だから苦労人ですね。他人の痛みや哀しみが解る人なのです。若い時から親の供養をしていたと言います。そういう事もあってか、仏教に対する造詣が深いのには驚きました。そして、今日日本人が忘れかけている感謝の心、いわば「おかげさまで」という言葉を大切にされている方でした。企業のトップにある人物の内面、いわば社長の人間性を知ることが出来たのは大きな収穫です。私は「こうい人が社長ならあの会社で変なことは起らんな、きっと大丈夫だ」と、少々嬉しくなったものです。人間お酒を酌み交わしてリラックスすると本音の話が出てくるものです。飲み過ぎちゃダメですが、こういうのがお酒の効能ですね。終わったばかりですが「今年もまた社長と釣り忘年会で飲めるといいなー」と楽しみに思います。

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