こだわり住職のよもやま話

よい年をお迎え下さい

2011年12月26日

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「人生とは出会いと別れの連続である」などとよく言いますが、年末が近づくと、あらためてこの言葉を意識することになります。毎年、師走に入ると本堂に張り出す年回表の作成にとりかかるのですが、葬儀の際の情景や故人との思い出が次々と蘇ってきて、ついつい手は止まってしまいます。たいした件数でもないのに、完了までには意外と時間がかかります。これが毎年のパターンなのですが、そういう事って、みなさんにもあるのではないでしょうか。例えば年末になると、その年に亡くなられた著名人を次々と取り上げる番組を目にする機会が多くなりますよね。「そうだったよなー、あの人も今年だったよなー」などと、さまざまな思いを抱かれ、そして出会いと別れを意識されたのではないでしょうか。

つい先日もそういう番組を目にする機会がありました。時間があれば大抵見ているサンデー・モーニングです。今年亡くなられた著名人が次々に紹介されていました。それを見ていた妻が、そばでぽつりと言うのです。「お父さんとも、いつかはお別れなのよね」です。思わず「そうだね、その時までは仲良くしていようね」などと、私たちはまるで長年連れ添っているおしどり夫婦みたいな会話をしていました。後から思えば、かなり照れくさいセリフだったのですが、その時は素直に口に出ました。縁あって僧職についたこの私ですが、妻の一言は仏法の説く「諸行無常」を強く意識させるものです。だからドラマの主人公みたいな優しいセリフを口にすることができたのかもしれませんね。昨日は東日本大震災の特集番組が長時間放送されていました。多くの方がご覧になって、出会いと別れを意識され、さまざまな思いを抱かれたことでしょう。

ところで、今年の一字は「絆」でした。なるほど見事な選択だったと思います。3・11の大災害を経験した私たちにとっては、まさに命の絆、家族の絆、周囲の人々との絆を、深く考えさせられた年だったと思います。昨日の番組も、この「絆」という言葉を意識させる内容でした。そして、多くの人々が、平成24年の年賀状に「今年がよい年でありますように」と書くことが、昨年までとは随分違う意味の言葉に感じられたことと思います。

山寺の住職は毎年大晦日の深夜に「天下和順之文」を称えるおつとめを行います。例年通りなのですが、今年はこの文に込められている願いを、とりわけ意識することになりました。みなさまどうぞよいお年をお迎え下さい。 

天下和順之文   「 天下和順、日月清明、風雨以時、災厲不起、国豊民安、兵戈無用、崇徳興仁、務修禮譲 」

世界は平和で正しくあれ、歳月は清く朗らかであれ、天候は順調であれ、災害や疫病の起こらないようにあれ、国は豊であり人々は安らかであれ、兵器を用いることがないようにあれ、良い行いを崇(あが)め慈しみの心を持ち、真心をもって思いやりにつとめよ

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