こだわり住職のよもやま話

2011年10月

山本家とのご縁に思う

2011年10月16日

光明寺永代供養墓.jpg

一昨日、「まだか、まだか」と待ち望んでいた、永代供養墓の墓誌札(戒名札)が届きました。これでようやく一件落着のはずでした。でも、娑婆世界とは、およそ己の思うようにはならないものです。結局、最後の最後まで、すんなりとは終わりませんでした。一方、望外の果報に恵まれている自分を、あらためて意識させられることにもなりました。まさに「この世は摩訶不思議なり」であります。

はじまりは永代供養墓の墓誌増設について打ち合わせをしていた時でした。墓誌札(戒名札) の設置スペースが不足してきたので、同じものをもう一基設置することになりました。既設の墓誌は、戒名等が刻まれる石の札が両面にセット出来ます。後の文字入れがしやすいように、板札は容易に取り外すことが出来ます。細部は手作業で修正を繰り返して組み上げられており、いわゆる一点ものに近い墓誌です。これと同じものをつくればよいのですが、残念ながら図面が残っていません。それで、既設の墓誌を採寸して図面を起こすことになりました。その作業を関係者とあれこれやっていましたら、あろうことか札の一部が倒れてあっけなく壊れてしまいました。申し訳ないことに5枚の戒名札が見事に真っ二つです。だから大至急で手配をしました。今回届いた墓誌札には、その作り直したものが含まれていました。

待望の品が到着したので早速装着です。ところが「あれー、サイズが合わんぞ」です。届いた札は横幅が微妙に大きかったのです。順番に差し込んでいくと最後の1本がどうしても納まりません。ほとんど誤差みたいなわずかなサイズオーバーですが、入らないものは入らないのだからどうしようもありません。「困ったな、ちょっとだけ削って納まるようにするしかないか。あーまためんどくさい事になったなー」です。翌日、最後の1本分が空いたままで妙に不自然な墓誌を眺めていると、「見た目が悪いから早くどうにかしたいのー。そうや、札の配置を入れ換えたらいけるかも?」と思いつきます。御影石の札板ですから必ず個体差があるはずです。組み合わせによっては納まるかもしれません。それで、「めんどうだが、やってみるか」ということになりました。確かに良いアイデアではあります。たただし、その作業の過程で、また破損させでもしたら目も当てられません。だから気合いを入れてやらないとあきません。まあ人間、一度痛い目に遭うと次からは考えます。それなりに準備して慎重に事を運ぶので、大抵大丈夫なものです。そんな調子で、あれこれ組み合わせを試していたら、幸い見事に納まるパターンが見つかりました。少々授業料は高くつきましたが、ようやく決着です。

さて、山寺の永代供養墓には一般的な個人単位の永代供養もありますが、現在の主体は家単位での供養です。内部の納骨区画は骨壺を家単位で納められるように(4~5箇分は必要です)広くしてあります。ですから、各家の累代墓の移転先となりうる大型の共同墓です。例えるならば分譲マンションのような墓だともいえます。ここに入居された家が万が一絶家になられた場合には、自動的に永代供養となりますから、いわば保険つきです。そういうタイプのお墓ですから、全体の大きさの割には入居できる家の件数は限られます。ある意味非常にもったいない使い方であり、贅沢な使い方といえるかもしれません。普通こんなことはしないでょう。しかし山寺周辺の地域性(大田舎である)を考えると、意外にもニーズはあったのです。

当地では、非常に不便な山中に墓地を設けている家が少なくありません。だから皆さんお墓を降ろしたいのです。だけどこれが難題です。資金的な負担も重くのしかかります。仮にお墓を降ろしたら降ろしたで、今度はそのお墓を誰が守って行くかが問題になります。普通は子や孫に託すことになるのでしょうが、ここは典型的な過疎地です。この点に不安が残る家が少なくありません。そうなると最後の砦として山寺の永代供養墓も悪くない選択になるのです。

私はこの永代墓の建立費用がそうそう回収できるとは思ってもいませんでした。しかし、いざフタを開けてみると予想外に早く埋まって行きます。気がつけば、もうスペースはほとんど残っていません。そして、これまでに入居された関係者の永代使用料で建設費用は回収出来てしまいました。まさに望外の果報を頂戴したのです。

新バージョン墓誌札.jpg

話しはまだ続きます。今回入荷の墓誌札には、つい最近契約をして下さった山本家の銘板もありました。こちらのお宅の札は家紋の代わりに梵字(阿弥陀如来)を入れて作ってみました。山本家は檀家さんではありません。そして、まだお葬式を出していない家です。だから山寺とは縁のないお宅でした。今回入居に至られたきっかけは、奥さん(睦美さん)が持参された仏具等の供養を仏壇屋さんの紹介で私がさせて頂いたことが始まりです。それは昨年のことでした。本堂での読経後に、奥さんは光明寺の永代供養墓をご覧になって帰られていました。その時に頂いたご縁は途絶えることなく、ついに機は熟したのでしょう。突然ご連絡を頂き、間髪も入れずにご夫婦でやってこられました。目的はご主人(勝正さん)に山寺の永代供養墓を見て頂くことでした。奥さんは訪問するなり「どう?話してたとおりでしょう、これなら安心じゃない、いいでしょう?」と言われます。ご主人の返答は「御前がそう言うなら、おれはいいよ」でした。「そう、よかったわ、じゃー決まりね」である。こうして山本家の入居はあっけなく決定となりました。

正直こっちが驚きました。いきなり「二人でここに入るわ」です。聞けば以前から自分たちの終の住処について、いろいろ考えておられたそうです。そして、「さんざん寄り道をした末に光明寺の永代供養墓にたどり着いた」とのお話でした。そう言われると光栄ですし、なんだか照れくさいような、こそばゆいような面持ちでした。その後は「さっそく永代使用料を払わなくっちゃいけないわね」と、すっかり奥さんのペースで話しはどんどん進みました。「えっ、ホントにもう決定なんですか?そりゃ、お墓を建てるよりは安いですけど、あわててお支払いにならなくても良いんですが」などと、アホなセリフを申し上げた。すると「あら、もう決めたんだからすぐお支払いするわよ」である。結局、大急ぎで永代墓の契約書を作成することになった。それにしても、なんて決断の早いご婦人でしょう。実に思い切りが良いのである。だめ押しは「私って、そういう性格だから」です。参りました。

ついでに書いちゃいますが、奥さんは、ご自分を「うるさいババアでしょ」なんて言われます。しかし、なんのなんの実に会話の楽しい方です。好奇心旺盛でどうやら私と似たところもある方です。いろんな宗派に興味があって、あれこれよく勉強もされておられる。梅原 猛先生の著作もよく読まれているようだし、先般NHKの衛星放送で再放送されていた、五木寛之さんの特集番組もしっかり観ておられた。私と行動パターンが同じです。だから話しがあうのである。ただし、そんなご婦人ですから実にあっけらかんとしていて、本音でズバズバ言われます。「私たちのめんどうをしっかり観てもらわなくちゃいけなんいだから、(吉村さん)病気しちゃダメですよ。健康のためにタバコは絶対止めて下さい(かなり命令調)」です。実に痛いところを突かれました。奥さんのこの言葉は、私に僧侶としての自覚と責任感を容赦なく問いただしました。おっしゃる通り、喫煙は真剣に考えないといけません。これでも私、住職ですから皆さんに対して責任があります。

▲PAGETOP