こだわり住職のよもやま話

大日祭盛会でした

2010年04月30日

大般若転読修行.jpg

山寺は4月29日に大日祭と花祭りが開催されました。今年も5人の僧侶が集い大日堂の転読修行と本堂での花祭り法要が厳修されました。前日は午後より少々雨が降って心配しましたが、当日はまずまずのお天気でした。ただし、もう四月の末だというのに少々風は冷たかった。坊さんの支度は足元は涼しいのですが、上半身は袈裟などを重ね着するので結構暑いものです。それで例年だと白衣は夏物を着て法要に臨むのですが、今年は完全に冬支度でOKでした。まったく今春の天候は変ですね。本来我々の宗派においては、導師(私)は荘厳衣と呼ぶ正装をするのがまっとうです。七条袈裟と呼ぶ金襴の重くて大きな袈裟をつけます。(それで「大袈裟な」という言葉が生まれた)左手には荘厳数珠という長い数珠をかけ、右手は馬のしっぽみたいな(?)払子(ほっす)と呼ぶ道具を持ちます。そして頭には水冠(すいかん)と呼ぶ大型の烏帽子をかぶります。衣で隠れているので一部しか見えませんが、神主さんと同様に袴も着用します。これが我々西山浄土宗における導師の正装です。要するにお葬式の時などに目にする物々しい支度です。しかし今年から私は七条袈裟のかわりに、如法衣(にょほうえ)と呼ぶ金襴ではない薄手の袈裟(大きさは七条袈裟と同等)で大日祭の導師を務めることにしました。それというのも、組内のお寺さんにお手伝いして頂いて転読が行われている最中に、私はお参りに来られた皆さんにお一人づつ大般若経をパラバラやって厄除けをします。その際に重い七条袈裟をつけていると写真のような動作がやりにくくてしょうがないのです。それで今回からごらんの通り少々地味(?)な支度でやらせて頂きました。これだと「誰が導師か解らんかも?」との声もあったのですが、大般若転読が始まる前のおつとめでは荘厳数珠と払子を携えておりますし、真ん中の導師席(写真の右手前方にもう一部屋あり導師の着座席もあります)に座りますので「一応導師の区別はつくでしょう」という判断で、この支度でやっちゃいました。まあいろいろ意見はありますが、そもそも大日堂は真言宗であった旧光明寺の御本尊が奉られている御堂です。私のように未だに在家の人感覚だと、「こっちの支度の方が真言風の雰囲気が出て良いのでは?」と思うのです。いずれにしても、どんなやり方が一番良いのかは今後も研究はしないといけませんけどね。

水冠姿の法然上人像

蛇足ですが、前記の払子というのはお釈迦さんの時代には蚊や蠅を払う為に用いられたものです。殺すことを目的とするハエたたきとは根本的に考え方が違う道具ですね。殺生を戒める仏教ならではの思想が反映されています。今日では導師の容儀を整える第一礼装の執持具とされています。要するに払子を持っている人が導師という訳です。だから導師にとって非常に重要なお道具です。

さて、大日堂の転読修行が終わると次は本堂で花祭の法要です。こちらでは我が宗派のしきたりにのっとって、私は正装で導師を務めさせて頂きました。正装となると前記の通り水冠をかぶるのですが、これはとても大袈裟な(?)烏帽子です。着用した際の状態が水平になっていないと見た目がよろしくないのですが、すわりが良くないので気を遣います。この水冠は浄土宗系の本堂を観察すると大抵目にすることが出来ます。通常ご本尊の左右には、お坊さんの像が設置してあるはずです。それらは高祖善導大師と宗祖法然上人の像なのですが、このご両人が着用されている帽子が水冠なのです。私が初めて目にした時には、正直なところ「へんてこな帽子だなー」と思いました。正面からだと解りませんが、実物は前後に細長い大きな帽子です。後に自分がかぶるようになるなんて、その時は思ってもいなかったので実に不謹慎な感想を持った訳です。あー恥ずかしいやら申し訳ないやら。

花祭りの子供達.jpg

本堂での花祭(降誕会)には子供たちも沢山来てくれました。餅まきの際には大変な賑わいです。毎年婦人会のみなさんがたっぷりと用意して下さるので、おチビさん達もしっかりお土産が出来たようです。お菓子も沢山混ざってますから、しばらくおやつに困らないでしょう。よかったですね。それにしても餅まきっておもしろいですよ。拾うのが楽しいのは当然ですが、まき手側も実に愉快です。老僧に曰く「普段はどこにおるかとも言われんが、この時だけはこっちこっちと皆が手招きしてくれる。わしでもモテモテじゃー」であります。

▲PAGETOP