お釈迦様が「人生は苦なり」と喝破されたように、この世は苦しみに満ちた世界です。でも、嬉しいことや楽しいことだって、少なからずあるのが人生です。今、とても不幸だと思える状況だったとしても、それが永遠に続くわけではありません。この世は諸行無常なのですから、どんなに辛いことや苦しいことだって、いつかは終わりが来ます。だからこそ、「今頂いている命を大切にして、精一杯生き抜こうではありませんか」と語り続けることが、仏教者の使命です。そして、苦に満ちたこの世界に「希望の光」を灯し続けることが、僧呂である私にとって、大切なお役目なのだと自覚しています。しかし、私自身も煩悩にまみれ苦脳し続けている愚かな人間です。「そんな立派なこと、よう出来ません」の思いが、常について回ります。ましてや、親鸞聖人の人生を知れば知るほど、「あの方だって生涯苦しんでいたのだから、私が煩悩にまみれて、四苦八苦しているのは当たり前でしょう」などと、開き直るのであります。レベルが違い過ぎるから、引き合いに出すのは大変失礼な話しです。でも、そう考えると肩の荷が下りたような気がして、救われた気分になれるのは事実です。
冒頭からめずらしく真面目なことを書いております。きっと、東日本大震災の被災地で青空説法をされる、瀬戸内寂聴さんの番組(NHK)を見たせいです。被災者のみなさんに思いを寄せながら書き出したら、なんだか意味不明の独り言になりました(いつもそうだって声が聞こえる)。寂聴さんの説法が素晴らしいのは当然ですが、それに聞き入る人々の姿に、心を揺さぶられました。どうしようもない喪失感と、一生忘れられない深い悲しみを必死で受け止めている人々の姿にです。涙を流しながら説法に耳を傾けている人々を見ていると、「自分も頑張らないと申し訳ないな」の思いが込み上げてきます。そして、「私も私なりに出来ることをしなくちゃ」と、誓わずにはいられません。映像の力を意識させる良い番組でした。