宗祖流祖について

鎮勧用心現代語訳(意訳)

眠りに一夜をあかすときは阿弥陀仏の誓願の功徳力に包まれて眠り、起きて一日を暮らすときは阿弥陀仏の慈悲の光に照らされて暮らす。たとえ能力や素質が劣っていても卑下することはない、阿弥陀仏に能力の劣った者を救おうとする本願があるのだ。仏道修行が十分でないからといって往生を疑ってはならぬ、「無量寿経」に「わずか十声の念仏を称えた者はことごとく往生させる」といった文があるからだ。仏道修行に励むのも、うれしいことだ。正行が増進する(正しい仏道修行が進んでいる)からである。また、励まぬも、喜ばしいことだ。阿弥陀仏の本願力によってのみ往生できるといった、正しい因(凡夫救済の願)がすでに円満して(約束されて)いるのだから。いたずらに機の善悪(自分や他人を善人だ悪人だと)論じて、仏の強縁(我々を救済したいと願ってくださる阿弥陀仏の強い思い)を忘れるようなことはあってはならぬ。不信におちいってもいよいよ阿弥陀仏の救いを信じ、怠け心が起きてもくよくよせず、ますます阿弥陀仏の大慈悲を信じてすてべてをおまかせして仰ぎなさい。

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