こだわり住職のよもやま話

2012年10月

昭さん宅のお引っ越し

2012年10月21日

惠運西堂の墓石.jpg

以前、昭さん宅のお仏壇のことをネタにして記事を書きましたが、本日も再び藤井家のことで書きます。実は藤井家(藤井 昭さん)の累代墓が山寺の霊園に引っ越しすることになりました。現在そのお墓は地区の共同墓地に建っています。一応お墓のすぐそばまで車で行けますが、軽トラでないと少々ためらうような場所です。正直なところ今となっては良い場所とはいえません。草刈りなどの維持管理も大変ですし先はどうなるか解らない墓地です。それで思い切ってお引っ越ししようということになりました。今のお墓は昭さんのお父さんが昭和四十年に建立された累代墓です。山口県と島根県の県境、須佐町(ホルフェンス断層が有名で今は萩市と合併)付近から産出する須佐石で建てられた尺墓(仏石の巾が一尺ある)です。要するにかなり立派なお墓です。それで昭さんは悩んだ末に「新調ではなくて移転しよう」ということにされました。現実には新調した方が工事は簡単だし今時の使いやすくて小綺麗なお墓になるのですが、お父さんが建てられたこのお墓を廃棄して新しいのを建てるのは忍びなかったのです。気持ちは良く解ります。やっぱそうでしょうね。

それから藤井家には共同墓地にある累代墓とは別に御当家の古い墓地もありました。こちらには江戸期のお墓が残っていました。この墓石群もそのまま放置は忍びないので移設することになりました。幸い自分で持ち出すことが出来る場所でしたから、ご本人が軽トラに積み込んで山寺の霊園に運んで来られました。これはとってもラッキーなことです。墓石店にやってもらうと随分費用がかさみますからね。昭さんが持ち込んだ江戸期の墓は現在霊場霊園の資材置き場に仮置きしてあります。それで、これを機にご先祖の詳しい調査をすることになったのであります。

さて、藤井家には江戸期からの操出位牌がしっかり残っていました。札が存在するご先祖は寺の過去帳と照らし合わせて容易に確認する事ができます。しかし寺の過去帳でさかのぼれる時代よりもさらに古い位牌や札が残っていない墓石もありました。こちらは少々やっかいです。札に書かれた達筆な筆文字(判読が難しいのである)や古墓に刻まれている文字を丹念に読み取っていくしかありません。幸い墓石は霊園まで運搬済みです。山中の暗い墓地で文字を四苦八苦しながら読みとることを思えば随分助かります。おまけに、山寺の住職はすでにこの手の調査は何度も経験しています。そう、ずいぶん手慣れていらっしゃるわけです。(笑っていいですよ)そういうわけでほどなく完了しました。そして今回ちょっとした発見(いや、大発見かも)があったのです。

その発見とは、藤井家のご先祖に我が宗派の正式な僧侶がおられたことです。写真右側の戒名がその人です。亡くなったのは天明八申二月十九日です。戒名は亮空惠運西堂と刻まれており弱冠二十三才でした。左手の戒名は惠運西堂さんの母親です。惠運さんの兄、藤三さんが弟と母親の合祀墓を後年建立していました。このお墓に刻まれた戒名により、藤三さんの弟が正式な僧侶(それも西山の僧呂)であったことが解ったのです。

平成22年加行人.jpg

我が宗派では雪のちらつく三月に凍てつくような冷たい水を一日三回かぶり、あとはひたすら読経に明け暮れる厳しい修行をしないとお坊さんになれません。「加行」と呼ぶ厳しい修行です。私もなんとかクリアしたので山寺の坊さんになっていますが、正直なところ二度としたくない修行です。(問題発言でしょうね)その厳しい行を最後まで耐え抜いた者に与えられる僧侶のお免状には「○空○○西堂」と書かれています。○空は法然上人の僧名「源空」にちなんだ空号で○○は本来の僧名です。私の場合だと實空俊徳です。最後の西堂は正式な僧侶になった者に与えられる最初の階級です。ですからこの方が我が宗派の僧呂であったことは明白なのです。それとまだ正式な僧侶資格は取得していませんが山寺の住職に弟子入りして修業中だったご先祖のお墓もありました。(こちらの場合は墓石に○○法子と刻まれています)

藤井家に○空○○西堂と刻まれた墓石が存在するのを発見した時は驚きました。しかし、よくよく考えて見ればこれは必然であったのかもしれません。だって昭さんは「菩薩さん」ですからね。ーありがたや、ありがたや、「南無あきら菩薩様」

基礎工事進行中

2012年10月19日

基礎工事(床堀と砕石投入).jpg

本日から基礎のコンクリート打設が始まりました。砕石を敷いて防湿シートをかぶせた下地にポンプ車を使って生コン(捨てコン)がどんどん投入されました。このコンクリートが固まって落ち着いたら、次ぎは鉄筋の格子が敷かれて再び生コンが打設されます。いわゆるベタ基礎工法っていうやつですが、基礎の立ち上がり部分だけではなく、底板全体が鉄筋コンクリートになるので、上に乗っかる建物の荷重を底板全体で受け止める強固な基礎になります。床下は全て厚いコンクリートで覆われるので、地面から上がってくる湿気を防ぎますしシロアリの侵入も防げます。解体した旧本堂はずいぶん傾いていました。内陣の柱はシロアリでひどい状態になっていました。絶対ではないですがこれならリスクは大幅に軽減されることでしょう。基礎工事を行っているのは下関市の角谷セメント工業さんです。本堂の建て替え工事を依頼した久谷建築さんが手配した業者さんですが、実は50年前に山寺のブロック塀の施工をやられています。これもなにかのご縁でしょうね。工事が始まると山寺の機械がとても役に立ちました。一番最初の工程で床堀を行うのですが、角谷さんが持ち込んだ機械と山寺の機械の二台体制で工事が行えました。おかげで作業はとってもはかどっちゃったわけです。

基礎工事(捨てコン投入).jpg

それにしても角谷セメントさんはすごいです。めちゃくちゃ働かれますから驚きます。仕事は丁寧なのに実にスピーディーです。若社長と従業員の二人で早朝からバリバリやられるので思わず私もお手伝い(じゃまだったかも?)をしてしまいました。掘り取った土をダンプで何度も捨てに行くのですが、土砂の積み込み(機械でダンプに積む作業)なら私でも問題なく出来ますから応援させて頂きました。本堂の工事に参加できたのは良い思い出になります。

基礎工事(捨てコンならし).jpg

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