こだわり住職のよもやま話

宗祖800年御遠忌法要厳修

2011年01月25日

百万遍数珠くり.jpg

今年は宗祖法然上人八百年御遠忌の年なので、浄土宗系の各本山は一斉に大法要を開催します。我が宗派の本山、京都府長岡京市にあります西山浄土宗総本山光明寺においても、4月19日から一週間にわたり大法要が開催されます。4月20日には組内の末寺が合同で団体参拝を計画していますから、私は檀家さんをご案内して本山を訪れることになります。きっと大変な人出でしょう。それから本年は親鸞聖人の750回忌にも当たります。ですから真宗各本山においても親鸞聖人の御遠忌が盛大に執り行われます。今年の京都はひときは賑やかになりますね。

さて、法然上人は建暦2年1月25日(1212年)に亡くなられました。山寺では大昔から御祥忌日の直前(毎年1月20日)に、いわば法然上人の年忌法要である「御忌会」を開催しています。今年も厳しい寒さの中で修行しました。本堂にはストーブとホットカーベットを用意していますが、壁や床の隙間から容赦なく 冷たい風が吹き込みます。参詣のみなさんには阿弥陀経と日中礼賛偈に付き合って頂きましたが、お経が少々長すぎたかもしれません。皆さんさぞかし辛かったことでしょう。勤行の後は今年も老僧(先代)による恒例の百万遍数珠くりです。車座になって長い数珠を繰っていただきました。お念仏を称えながら大きな数 珠を繰っていると、しばし寒さが忘れられたかもしれませんね。百万遍数珠くりでひとしきり賑わった後はお説教をさせて頂きましたが、これまた少々長すぎ た。あの寒さですから「来年はもっとコンパクトにしなくては」と反省しております。

舜青寺本堂.jpg

ところで、御忌会をこの一番寒い時期に開催しているお寺が組内にあります。昨秋に晋山式が開催された舜青寺さんです。(11月1日記事で掲載済み)私は22日に開催された舜青寺さんの御忌法要に初めて出席させて頂き、金座席で勤行の進行役を務めさせて頂きました。複数の僧侶で読経を行う際には、このお役目どころが上手くリードしないと良いおつとめになりません。別の言い方をすると、読経をリードするお坊さんがお上手だと導師はとっても楽なんです。私も坊さんになりたてたの頃、自坊での法要の際に組内の西光寺住職にたびたび金座を勤めて頂いて大変お世話になりました。金座とはそういう大事なお役目ですから少々緊張します。これが一人で行う勤行だと、自分の好きなようにやれるので大して緊張しないのですがね。(笑い)ですから他寺の法要に参加させて頂くのは大変ありがたいことなんです。否応なしに、良い意味で適度な緊張感を伴いながら読経することになります。自分の修行にもなるのです。それと舜青寺ご住職の法話を拝聴することも出来ました。これがとてもよかったのであります。

舜青寺さんでは毎年勤行の後に住職が法話をされています。先代がご健在の頃は、お二人(先代と現住職)が一席ずつ話をされていたそうです。先代の語りは録音を持っており何度も聞かせて頂いておりますが、現住職の法話(お説教)は初めてです。それで前席後席と二席ともしっかり聴かせて頂きました。ただし正座が苦手な私には少々こたえました。私はお坊さんとして出席しておりますので当然衣をまとっております。となると膝を崩して拝聴するというわけにはまいりませんからね(笑い)以前にも書きましたが、住職は流石に元教頭先生です。実に話し方がお上手です。あのゆったりとした語り口はマネできません。私は人前でしゃべると「伝えたい伝えたい」の思いが強すぎて、ついつい早口になってしまいます。そこが最大の欠点であることを重々承知しているのですが、これが直せません。昔の人はいいました「人の振り見て我が振り直せ」って。でもこれが難しいのであります。

浮石義民の案内

当日、私は少々早めに舜青寺を訪れ境内にある旧豊田町指定の史跡をじっくり見学しました。それは「浮石義民の墓」と呼ばれている古い墓所です。かってこの地(浮石村)で飢饉があった際に、年貢の軽減を幕府に直訴して村を救った人々の墓所です。命がけの行動により村は救われましたが、彼らは直訴の罪により処刑されました。村民は密かにその遺骸をこの場所に移し供養したのだと伝えられています。今でも毎年彼らの命日12月22日には舜青寺で供養の法要が営まれています。

浮石義民の墓.jpg

舜青寺さんの御忌会は大変勉強になった一日でした。そして大きな収穫が得られた一日でもありました。なんてったって来年の御忌会の説教師が確保出来ちゃいました。自坊では毎年ほぼ同じ顔ぶれを前にしてお説教をします。だから、たちまちネタ切れになります。同じ話ばかりでは皆さんもつまんないですからね。来年の我が山寺光明寺の御忌会では「舜青寺住職・漆間朋道師」で予約が成立です。あーありがたやありがたや。

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