こだわり住職のよもやま話

同行人会開催される

2010年04月12日

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今年はずいぶん遅いタイミングで同行人会が開催され、加行が終了(満行)する前日(4/8)に我々は本山に集まりました。境内の桜はまさに満開です。例の中北慶宣君は大風邪で寝込んでしまい、残念ながら欠席でした。まったく運の悪いヤツです。あこちゃんとは一年ぶりの再会です。 以前あこちゃんのことを書いてますが、嘘じゃないことがこれで証明できたと思います。この容姿で実はとても芯の強い人なんです。詳しくは(1/11 秘密のあこちゃんの話)をご覧下さい。こうちゃん(神月一隆君)は宴会には参加できませんでしたが、嫁さんと子供を連れて本山に来てくれました。よけいなお世話だけど見事な幸せ太りでした。他のメンバーも変わり無く元気にやっているようです。勝手に写真を掲載しました。(写真左から、脇田延明・木谷悦也・並河聖光・堀内端宏・川崎曜淳・清水妙照・垣内光顕・私、全員坊さんだから難しい名前が多い)問題のある人は言ってきて下さい。

ところで、どうやら今年の加行人はかなり大変であったらしい。朝一番の水行がとても厳しいものであることは当然ですが、日中もめちゃ辛かったようです。本山のホームページを見ると、その様子が写真で紹介されていますが、よく見ると思いっきり雪が降ってる中で水をかぶっています。おー寒そう。みんなよく耐えました。

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さて、今回の同行人会では意外(?)な人に再会できたので、そのことをぜひ書きたくなりました。その人物とは左から二人目の木谷悦也さんです。(僧名は法空常悦)彼はまだ独身なんで、そろそろ身を固めて頂かないといけません。母方の実家の寺(叔父の寺)の手伝いをするために坊さんになった人で、私と同様に在家から仏門に入った人物です。その木谷さんだが、これが実に異色な存在でした。彼は独語・仏語がペラペラです。現在は翻訳や通訳を仕事にしており、時々寺のお手伝いに出向いているそうです。いずれは、そのお寺を継ぐことになる可能性が大らしい。彼は加行を終えた後、しばらく同行人会に顔を出さなかったのですが、それは日本にいなかった(ドイツ在住)ことなどが関係していました。彼とは六年ぶりの再会ですが、ちっとも変わっていませんでした。こっちはすっかり中年オヤジになり果てて、たそがれ始めているというのにね。

同行人のメンバーは、いずれも思い出深い仲間ですが、彼は良い意味でとりわけユニークな人物だったので、強く印象に残っていました。外国語が二カ国も出来ると聞いただけで、すでに「すごいねー」となるわけですが、本来彼が目指していたのはアーティストでありピアニストであったと言うから驚きです。私も少々音楽に親しんだ経験があるのですが、彼の場合は超本格的です。そして、一番驚いたのは彼が絶対音感の持ち主だという事です。絶対音感というのは、耳で聞いただけでその音の音程が解ることです。例えば「君の車のクラクションはAの音で鳴ってるね」とか、「本山のキンス(鐘)の音はDだ」とか、ずばり言い当てます。超一流のピアニストなどに時々見られるのですが、縁あって彼と同行人となったことで、彼のそんな才能を目の当たりにした思い出があります。

 これまで何度か触れていますが、西山浄土宗においては往生礼賛偈という唄みたいなお経を、とりわけ重視します。哀愁に満ちた美しい旋律で称えられるこのお経は実に素晴らしいものです。ただし、旋律(メロディー)があるのですから、それをきちんと再現しながら読誦しなければなりません。それだけ難しいお経だといえます。当然修得するには少々時間がかかります。私は加行に参加する際に、往生礼賛偈は一応出来る(唄える)状態で臨みました。ところが、彼はまったく知らないで加行に参加していたのです。そんなお経があるなんて事すら知らなかったようです。それでも、若い人達は覚えるのが早くて、最終的にはなんとかなるのではありますが、彼の覚え方はすごかった。彼は往生礼賛をまったく知らないので、私に唄って欲しいといいました。それで私が読誦して聞かせると、その場で譜面を書き始めたのです。何度か部分的に繰り返して聞かせ、やがて譜面は完成しました。この時、彼が絶対音感の持ち主であることが明らかになったのです。

確かにそういうことが出来る人が、この世に存在することは知っていましたが、目の前で見せつけられたのは初めてです。私が唄った(読誦した)旋律をその場で五線譜にオタマジャクシで記録し、彼はそれを見ながら私の旋律で読誦して見せるではないですか。絶対音感の人ですから、少々低めの音程で唄う私の癖も完璧に再現され、私の音域で唄ってみせるのです。これには本当に驚きました。微妙な部分に多少ぎこちなさは残るものの、まるで手品みたいでした。これならもう彼の前で何度も読誦して教えてあげる必要はありません。その譜面で少々練習をすればたちまち上達するでしょうし、事実そうなったのです。これってすごい事だと思いませんか?

大げさに聞こえるかもしれませんが、私にとっては少々感動的な体験でした。私は若い頃に多少音楽をやっていたくせに、実は楽譜が苦手です。だから私にしてみれば彼のような人物はいわば「奇跡の人」であり「神様」です。うーん実に羨ましい。何よりもピアノが弾けることが素晴らしい。それも一流の演奏レペルである。私はピアノが弾ける人を尊敬してやまないのであります。坊主にしておくには実に惜しいナー(問題発言であります)

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