こだわり住職のよもやま話

やさしい仏教講座(第5回)

2016年10月05日

観音菩薩

○お釈迦さまの説法術は「方便」

お釈迦さまの説法は「対機説法」「応病与薬」「臨機応変」などといわれます。自分の考えを教科書のように固定して教えるのではなく、相手の精神状態、環境、心の発達状態などに応じて説きわけたからです。要するに、相手にあわせて説法を変幻自在に変えられました。その教えは相手の数ほどに増えたのです。だから仏教は八万四千の法門があるといわれるほど教理が多岐にわたるようになりました。このため後に伝えられた「経」のなかには、同じお釈迦さまの教えといわれながら、一見矛盾するような教えも少なからずあります。この一見矛盾するような説法を、仏教では「方便」といいます。このように、仏教の教えは壮大で深遠です。ですから、お釈迦さまから直接教えを説いて頂くことのできない私たちは、お釈迦さまのどの教えが今の自分に最も向いているのか、選び出す必要があると言えます。そして、その手助けをするのが僧侶の役割だと私は考えます。

 

○お釈迦さまの入滅と、お経(三蔵)の成立

日本でお経(仏教の経典)という場合、原則的にはお釈迦さまが45年をかけて説かれた教えである「経」(本来の経)と、弟子たちが守らなければならない約束事や禁止事項である「律」に、教団の学僧たちがお釈迦さまの教えを研究分析して著した「論」をくわえた、経・律・論の3つを合わせて「三蔵」といい、広い意味では三蔵全体をお経(経典)と呼びます。お釈迦さまは80才で入滅するまで教えを説き続けられましたが、この間、自ら著作を残されることはありませんでした。お釈迦さまが亡くなった直後、主な弟子たち500人が、その教えを正しく伝えていかねばならないとして集い、それぞれの記憶に留めていた教えを確認しあっています。この会議のことを結集(けつじゅう)と呼びます。このとき確認し承認されたものが、「経」と「律」で、後に「論」がくわえられて経典と呼ばれるようになります。経典は長いあいだ文字に書かれることはありませんでした。それは、インド古来の伝統により、聖典は文字にしないことになっていたからです。仏教の経典も、暗唱しそれを口伝えで弟子に継承され続けました。仏教経典が文字で記録されるようになったのは「大乗仏教」がインドで誕生する紀元前後からです。

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