こだわり住職のよもやま話

良い人ほど早く逝くのでしょうか

2015年09月17日

灯明

思えば山寺の建てかえを進める際に、最も重要なポジションであったのが建設委員会の事務局でした。その大変な役を引き受けてくださっていたのが弘永芳朗さんでしたが、残念なことに昨日(16日)亡くなられました。まだ65歳です。あまりにも早すぎる旅立ちです。芳朗さんは地元農業組合の組合長さんでした。その人望は厚く、仕事はバリバリ出来る実に素晴らしい人物でした。この方がいたからこそ、我が光明寺の再建もスムーズに運ぶことが出来たのです。間違いなく光明寺の歴史に名を残す人物です。煩雑な事務処理を一手に引き受けて、最後の最後まで几帳面に管理して下さいました。来週からは、一連の本堂建てかえ工事でおそらく最後となる下屋根の追加工事が始まります。なのに、このタイミングでお別れです。せめて工事完了後の姿を見て頂きたかった。

世間ではよく言いますよね。「良い人ほど早く逝ってしまうんだ・・・」などと。私など典型的な凡夫ですから、そうかもしれないなーと感じるところも少々あります。しかし、そうじゃないんだという考え方や、もっと違う見方の意見があることも承知はしていますから、僧呂である自分としては、こういう時になんとも返答に窮します。確かに、良い人はみんなに惜しまれますから、とりわけそう感じるのかもしれません。仏教的な考え方の一つに、娑婆世界での役割を果たしたから、お浄土に還られたんだという考え方があります。人それぞれ役目は異なるのだから、早く終了する人もいれば、長く娑婆世界で人生を送る人もいるのだといいます。だから長い短いに良いとか悪いとかは無いのだと。確かにそうかしれません。人は生まれてきたときからすでに寿命が定まっているのだという意見もある。なにが本当かは、正直今の私にはよくわかりません。おそらく、全て本当であり場合によっては間違いでもあるのでしょう。ただ言えるのは、芳朗さんの旅立ちは、たとえ役目を果たし終えたからだとしても、私には残念で無念で仕方ありません。本日は通夜です。故人への感謝と惜別の思いを込めて精一杯の読経をさせて頂きます。

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