こだわり住職のよもやま話

昨日はお墓参り日和でしたね

2015年03月22日

彼岸の落日

昨日(春分)は暖かくて絶好の日和でした。いつもは静かな山寺ですが、今年の春分(お彼岸)は土曜と重なったこともあって、墓参のみなさんが多数訪れられました。昔から日本人はお彼岸になると先祖のお墓参りをして来ましたが、これは多分に浄土教の説く阿弥陀信仰がもたらしたものです。自身の若かりし頃を頃を振り返ってみると、彼岸に墓参りする理由やその意義なんてものを深く考えたことなどありませんでしたが、世間ではそれが普通でしたから、お彼岸とは「お墓参りをする日」なんだと、自然と認識していたものです。

本来お墓参りは思い立てばいつだってかまわないのですが、この日(前後も含めて)に墓参りするのは、やはりひと味(?)違うからであり、それで日本人は、お彼岸=墓参りなんでしょう。それもこれも、お彼岸(春分又は秋分)になると、太陽が真西に沈むからなのだと、しっかり意識するようになったのは坊さんになってからの事でありますが、まあ凡夫とはそんなものであります。

浄土思想で信じられている、阿弥陀如来がおられるお浄土(極楽国土、西方浄土とも)は、西方の遙か彼方にあると考えられています。春分と秋分は、太陽が真東から昇り真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりでした。多くの日本人はこの考え方を素直に受け入れてきました。だからこそ、この国民的行事が成立しているのです。これって悪い事じゃないです。そう、とっても良い事ですよ。重要なのは必ずしも浄土教の宗派ではないお宅でも、この思想を受け入れ墓参を行っているということです。これこそが、日本の仏教の良いところです。

信仰を持つということは大切なことです。しかし、多くの日本人はあまり意識していません。自身の信仰を尋ねられると「無宗教」と答える人が多いといわれる日本人ですが、これこそが日本人のらしさでしょう。しかし、日本人は太古から仏教的価値観を共有してきた民族です。すなわち異質なものや異質な考えに対する拒絶反応が、西洋宗教の考え方と比べるとはるかに薄く、寛容な考え方が出来ます。これこそまさに仏教的なとらえ方であり、日本人の価値観の根底に流れているのです。誇るべき国民性だと思います。

彼岸の落日が描く大銀杏の影

昨日は好天に恵まれましたから、お彼岸の頃の夕暮れに見られる光と影の特異な現象を確認出来ました。本堂正面にそびえる大銀杏の影が、御本尊阿弥陀如来に向かって真っ直ぐ伸びて行くその様子は、日本人にとっては少々感慨深いものです。

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