山寺の水田跡地に大雨対策の調整池を最初に掘ったのは4年前のことでした。その後追加の池を掘ったり、最初にこしらえた調整池を拡張したりと、毎年のようにいじっていましたが、今年も例によって結構やっちゃいました。さすがにここまで形が整って来ると達成感もひとしおです。油断するとたちまち草ボウボウになる空き地でしたから、「草刈りが大変だし、どんどん池にしちまえばいいじゃん」なんて単純な思いつきを具現化したら、結果こうなっちゃいました(笑い)。おかげさまで草刈りの面積はほぼ半減です。だからこの思いつきは成功だったといっていいでしょう。ただし、人間いったんやりはじめると欲が出てくるものです。「池を造るんだったらお寺なんだし、やっぱ蓮池にするのがいいよねー」とまずなりました。やがて「どうせなら寺に付随する土地としてそれなりの形にしたいよねー」となって来ます。そして最終的な目標(?)は、いわゆる「池泉回遊式庭園に」となるんですよね。「どっかの立派なお寺さんみたいに、いずれは池を中心にした日本庭園風にできたらいいよね」なんて考えるようになるのは、やはり凡夫のたどる道であります。
さて、一時はセイタカアワダチ草で埋め尽くされていたこの土地ですが、現在登記上の所有者は先代住職(妻の父)です。しかし元々は寺領であり、山寺の経済的な基盤を補佐する重要な水田でした。(昔はお米が現金と同等に扱われていましたから)ではどうして今は坊さん個人の名義になっているのかといえば、それは戦後の農地解放政策によります。GHQの指導の下、地主や寺社の農地は国が強制的に安値で買い上げた後、実際に耕作していた小作人に売り渡されました。その際、地方の小寺等では限られた寺領を維持するために、寺総代等が協議して当時の住職の個人名義で買い戻すことが多かったらしく、山寺もまさにこのケースだったんです。だから耕作放棄の末に管理に苦慮している現状をかんがみれば、除外申請を行って(農地のままだと寺の名義にできない)まずは寺に戻すのが筋というものでありましょう。そしてその後は、境内地として積極的に活用することを考えるのが至極まっとうだと思うのです。
現状では一応農地(何十年も耕作放棄状態の水田跡地)ですから、収穫するつもりなんて全く無いくせに書類上は「レンコン畑」となっています。だからこれ以上やっちゃうと(樹木等を植えて本格的な庭園にすると)農業委員会から叱られます。本当は今すぐにでもまっとうな庭園にして行きたいところなんですが、無許可であんまりのことは出来ません。だから今は周囲に少々の樹木(桜やもみじです)とアジサイを遠慮がちに植えている程度で我慢しています。今後は除外申請(農地から外す申請)を出して、無事手続きが完了したら本格的に整備を進めることになります。「いずれは池泉回遊式庭園に」だなんて随分大それた計画ですが、次の住職に(息子の代かな?)引き渡す頃までには、なんとかそれなりの形にしたいものです。
おそらく4~5年先の話しになるとは思いますが、この場所にはもみじを主体に植えて行くつもりです。実は今年からもみじ苗の育成を本格的に始めました。寺の背後には江戸期に植栽されたと思われるもみじの古木がけっこうあります。毎年今の時期になるともみじの赤ちゃんがそこら中に誕生します。それで、この子達をせっせと育てて植栽用の苗を大量に確保し、一気にもみじで埋め尽くそうって魂胆です。いずれは池泉回遊式庭園風(?)の紅葉公園に仕上げるのが、山寺の坊さんの将来の夢です。気の長い話しですが、小寺が何かやろうと思えばそれくらい長いスパンでやっていくしかありませんからね。