こだわり住職のよもやま話

やさしい仏教講座(第13回)

2017年10月30日

観音菩薩像

○大乗仏教では「渇愛」こそが此岸での不幸の原因とした
大乗仏教では、上座部がこだわった「四苦・八苦」とはちがう、もっと根源的なものがあるから、此岸では幸せになれないのだと考えました。そして、それは次に示す「此岸の幸せの方程式」があるからだと教えます。

此岸の幸せの方程式 (幸せ=充足÷欲望)

私たちは、この方程式にのっとって此岸で生きているので、幸せになれないといいます。なぜだめかというと、この方程式の欲望には2種類の欲望があるからです。ひとつは単純な欲望(カーマ)で、もうひとつの欲望は「渇愛」(トリシュナー)という、人の心の奥底に潜む根源的な欲望です。単純な欲望(カーマ)とは、例えばトイレに行きたくなったときに、用をたせばそれ以上はトイレに行きたいとは思いません。このようにすぐに解消される欲望です。これに対して、トリシュナーと呼ばれる欲望は、満たしても次々と欲望が膨らんでくる状態のことです。例えば、もっと給料が欲しい、新しい服が欲しい、おいしいものが食べたいという欲望があります。これらは一度充足できたとしても、もっともっと給料が欲しい、もっともっと素敵な服が欲しい、もっともっと沢山おいしいものが食べたいなどと、あとから湧いてくる欲望により、なかなか満されないものです。これは、「渇愛」が充足されればされるほど膨らんで大きくなる性質のものだからです。このことを、上記の方程式にあてはめるとよく解ります。此岸では「渇愛」があるので欲望は常に充足を上回ります。つまり、幸せは常に小さくなるのです。

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