昨日サラリーマン時代の先輩がたずねて来られました。用件は「現在やってる仕事の関係で少々協力してくれないか?」とのことです。名刺を拝見すると『長州美祢、維新の光、来嶋又兵衛と禁門の変、実行委員 松永宏司』とありました。ご存じの通り、現在NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」は、吉田松陰の妹、ふみが主人公です。従って山口県では萩市を筆頭に、あっちこっちの市町村で、この放送を契機に我が町のピーアール活動が盛んです。美祢市もこの時流に乗り遅れてはなるものかと、いろいろやっていますが、その一つとして7月18日に美祢市で開催される、来嶋又兵衛に関するシンポジウムのポスターを持参してこられたのです。そういうわけで、さっそく本堂に掲示することになりました。
実行委員会へのリンク http://mineishin.com/
来嶋又兵衛さんは、山寺の近所、西厚保町本郷に自宅があったこともあり、美祢市においてはそれなりに知られている人物です。禁門の変の際に中心人物としてと戦死しており、ネットを検索するとかなり詳しく経歴を知る事ができます。そういう背景がありますから、このタイミングで美祢市が来嶋又兵衛にスポットを当てた広報活動に力を入れるというのは、実にタイムリーであります。いいんじゃないですか。
さて、せっかくの好機ですし、旧知の松永さんが来られたこともあったので、今回私なりの提案をさせていただきました。それは又兵衛さんの墓所に関する情報です。ウイキペディアには-又兵衛は護国神社に祀られているが、同村(現在の西厚保町)にも墓石があった(過去形)-とありますが、どっこい今もしっかり存在しており現地へ案内しました。近年は地元の人々さえほとんど忘れかけているような状態でありましたが、この機会に改めて世間に知っていただく良い機会だと思ったからです。ただし、看板など一切ありませんから、まさに知る人ぞ知るの状態です。
来嶋又兵衛さんは、地元の小学校に銅像があるくらいなんですから、それならば、地元に残るご本人のお墓の存在も世間にもっと知って頂いたほうが良いのではと私は思うのです。個人的には、銅像よりも、あの墓所のほうが価値が高い(歴史的な視点から)ように思えるのは、私の立場がそうさせるのかもしれません。しかし、この手の歴史好きで少々マニアックな方には、一度はお参りしてみる価値はあると思います。ただし、場所は山中の共同墓地です。決してお手軽ではありませんのであしからず。
※後にウイキペディアの情報は更新され、今現在(最終更新 2018年8月3日 (金) 12:53)では次のように掲載されています。” 現在、山口県美祢市にある美祢市立厚保(あつ)小学校には彼の銅像が建てられているが、これは近くに来島又兵衛の自邸(旧:美禰郡厚保村)があったためである。又兵衛は靖国神社や護国神社に祀られているが、厚保にも墓石が現存する。”