こだわり住職のよもやま話

空っぽになりました

2012年09月06日

三尊宮殿の引っ越し.jpg

数百年ぶりの本格的な補修を実施するため、最後まで残っていた三尊宮殿や大欄間の引っ越しが終了しました。本堂は完全に空っぽです。山寺の宮殿は今から233年前になる安永八年に傳空上人が京都の職人さんに制作させて設置したものです。大欄間もおそらく同時期のものと思われます。いずれも月日を経たその痛み方は激しくて、特に三尊宮殿は「とても補修なんてできないだろうな」とつぶやきたくなるような状態でした。ところが縁あって引き受けてくれる所が見つかり、今月3日に業者さんの工房へと運ばれて行きました。補修を引き受けてくれたのは「(株)はせがわ美術工芸」という会社で、有名な「(株)はせがわ」の関連会社です。(株)はせがわといえば仏壇・仏具・墓石等を専門とする会社としては、小売、卸ともに業界最大手であり唯一の上場企業です。要するに泣く子も黙る(?)一流企業なのですが、その「はせがわ」グループ内で国宝・重要文化財の復原修理や寺院の荘厳工事等を担当しているのが、今回お願いすることになった(株)はせがわ美術工芸さんです。実際その実績は素晴らしいものがあります。ホームページを開くと超有名な大寺院の荘厳工事や国宝・重文の補修工事などを数多く手がけていることが解ります。そんなすごいところに田舎の小寺が生意気にも三尊宮殿・須弥壇そして大欄間の補修一式をお願いするようになったのですから嘘みたいな話しですが、これが本当なんです。

須弥壇の搬出

そもそもの発端は私の遠縁が(株)はせがわに在籍していたことです。(株)はせがわ 西日本寺社工芸部 副部長 折田哲之氏 この人がいたからです。祖母の実家(子供の頃何度か遊びに行ったことがある)の血筋の人で私とほぼ同年代です。私の実家にある仏壇は10年位前に折田氏のお世話で購入したものです。そういういきさつもあって山寺の宮殿の補修を考えもしなかった一流企業にお願いすることになったのですが、これもそれも祖母が引き寄せてくれた「ご縁」なのかもしれません。

大欄間の取り外し

すでに触れましたが、(株)はせがわさんのお話を伺うまで、私は三尊宮殿の補修をほぼ諦めていました。それというのも他の業者さんにはきっぱりと「難しいですね」といわれていたからです。ですから折田氏から「うちの関連会社なら充分可能ですよ」と、さらりと言われたときには「本当かいなー」と少々半信半疑でした。その後、はせがわ美術工芸さんの実績を詳しく知ることになり、やがて「あー本当だ。ここなら大丈夫なんだ」と思うようになったのです。しかし、そうなったらそうなったで、今度は「それだけ高度な技術を持っている会社なのだから当然お値段がねー」と情けない心配を始める始末です。そして「ああ、ここなら申し分ない。ぜひお願いしたい。ぜひとも。でも先立つものがー」でありました。まさに貧乏寺の悲哀をしみじみと感じることになるのです。

トラックに積み込まれた三尊宮殿

今回の商談交渉にあたって私の遠縁である折田氏は、いきなり「はせがわ美術工芸」のトップ(ようするに社長さんですね)である井上貫治氏と共に山寺へやってきました。その後も井上氏とは何度もお会いする機会を得ることとなり、そのお人柄に触れたことが結果的には最大の要因になったといえます。氏の仏教に対する造詣の深さと佛を敬う心の純粋さに、失礼ながら私はとても感心致しました。「仕事なんだから当たり前でしょう」と言ってしまえばそれまでですが、井上氏のそれは決して営業の為の姿勢ではないのです。この方は本物でした。サラリーマン時代はもとより住職となってからもさまざまな業者とお付き合いしてきましたが、営業の為にとりつくろっている人物は何度か会って注意深く観察すれば必ず分かります。心のある企業トップと親しくさせて頂いたおかげで、私はこの会社にお願いしたいと強く思うようになったのです。

完全に空っぽになりました.jpg

さて、最後にもう一人、触れておかねばならない方がいます。名刺からすると折田氏の部下ということでしょうか。(株)はせがわ 西日本寺社工芸部 係長 村嶋常人氏です。氏は今回の補修工事の実質的な担当者ですが、この方も仏教に深く関わる職業人として良い素性をお持ちの方です。先日私は村嶋氏のなにげない行動を目にしてつくづく思いました。それは村嶋氏が工事関係の諸連絡や確認のために山寺を訪れて用件が済んだので本堂を出ようとしていた時のことでした。本堂に迷い込んだトンボがガラス窓でもがいていました。それに気づいたご本人はヒョイと両手で包み込むようにトンボを捕らえて大事そうに本堂の階段まで運んだ後、手のひらをそっと広げて飛び去る姿をゆったりと見送くったのです。その光景は、まるで映画「火垂の墓」で清太がてのひらに包んだホタルを妹・節子の前で放つ場面にそっくりでした。その一部始終を目にした私は少々の驚きと、その後にわき出てきたなんともいえない嬉しさで、村嶋氏が去った後もしばらく余韻に浸りました。命を大切にする優しい心に触れた一時でした。私など典型的な破戒坊主ですから「村嶋氏の方がはるかに仏性がおありではないか」と少々恥ずかしく感じた出来事でした。

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