こだわり住職のよもやま話

2020年02月

またご縁を頂きました

2020年02月04日

光明寺の本堂には現在9体の仏像(如来・菩薩・明王)と2体の大師像が所狭しと並んでいます。本堂の中心に据えられている三尊宮殿には阿彌陀如来とその脇侍(観音菩薩と勢至菩薩)が納められており、その左右には善導大師と法然上人がおられます。

光明寺内陣

浄土宗の寺院ではこれが基本の配置ですが、山寺はさらにその外側、向かって右の脇壇に真言時代の御本尊だった大日如来と2体の明王像が奉られております。反対側にも阿彌陀如来座像・十一面観音菩薩立像・薬師如来立像がおられます。大して広くもない本堂ですから、今ではまるで仏像の展示場かと見まがう状態です。

大日如来

真言時代の御本尊(大日如来)は平安末期に村内の別の場所から移転されたものです。現光明寺の御本尊阿彌陀如来も、江戸初頭に他寺より移されたものです。不謹慎な発言ですが、要するに真言時代の光明寺も現在の光明寺も、御本尊は縁あってこちらに来て頂いた仏様、いわば外来の預かり物?頂き物?であります。

本尊阿彌陀如来と脇侍

御本尊の左右に控える観音菩薩と勢至菩薩は、阿彌陀如来がこちらに移転した後に設置された仏像と思われます。両大師像は元禄4年(1691年)塞空鐵翁上人による建立です。(裏面に墨書)よってこの4体は「頂き物」では無いようです。いずれにしてもこれらはすでに何百年も当山に鎮座されている古参です。その歴史の重さは何物にも代えられません。

さて、本日話題に取り上げたかったのは、これらの古参仏像ではありません。私の代になってから山寺に鎮座することになった、いわば新参の仏様達についてです。大日如来の両脇に控えている明王像や、下の写真右側の阿彌陀如来座像などがまさにそうです。他にも庫裏や境内の弘法大師堂などに沢山おられます。いずれも縁あって近年別の場所から来られた頂き物の仏像です。いつのまにやら気づけば結構な数になっています。

そして、昨年末には写真中央におられる十一面観音菩薩と左隣の薬師如来も加わることになりました。こちらの仏様は閉鎖される真言系寺院からお引き受けすることになった仏像です。この観音菩薩を現地で拝見した際にはそりゃ驚きました。高さ約6尺の堂々たるサイズで彫りも彩色も見事です。私がその時感じたことを正直に書きますが「これって、うちの御本尊さんよりも立派な仏像じゃないですか。これはすごいお宝(仏像)ですよ」が率直な感想でした。

薬師如来・十一面観音菩薩・阿彌陀如来

もちろん仏像は信仰の対象ですから、それがどれほど立派であるか(別の言い方をすれば高額な品か)などと、必要以上にこだわるのは愚かな事です。その仏の縁起や歴史的な背景こそが重要なのです。しかし多分死ぬまで頭の中は「在家の人」の私です。「これだけ見事な仏像が光明寺に来て下さったら、後々の人々にも拝んで頂ける寺宝となるのは間違いなしだ」と少々興奮を覚えました。まるで宝くじにでも当たったような気分です。これを「ご縁」といわずしてなんといえるでしょうか。有りがたいことです。本当に有りがたいことであります。

そういう事情なのでもう少し言わせて下さい。山寺はこの度縁あって頂き物が増えました。それもとびっきりです。厚かましいのは重々承知で「またもらっちゃいましたー」と随喜しておりますだって、こんな高価なものを買えるわけないですからね。

※実はこの2体以外にも、お引き受けした仏像や仏具等が大量にあって、まだ完全には片付いていません。年末の約二週間、それらの運搬・清掃・設置・保管場所の確保などで、私はひたすら引っ越し屋に徹することになりました。とても忙しい師走でした。ようやく落ち着いたのでこの件を書きましたが、頂いた者としてその責任の重さをますます感じている今日この頃です。

 

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