こだわり住職のよもやま話

2017年12月12日

やさしい仏教講座(第14回)

2017年12月12日

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○大乗仏教の説く「本当の幸せの方程式」

この世は苦に満ちた世界であり、この「苦」が幸せになれない原因であるとした小乗仏教に対して、大乗仏教はもっと根源的なものがあるとして、渇愛(トリシュナー)こそが不幸の原因だと教えます。前回も書きましたが、私たちは此岸の幸せの方程式にのっとって生きているので、決して満たされることのない欲望(渇愛)によって不幸になるのです。なぜなら渇愛は充足されればされるほど膨らんで大きくなる性質のものだからです。私たちが煩悩と呼んでいるのが、実はこの渇愛であり、この欲望をいかにコントロールするか?ということが、此岸で幸せになるためのポイントです。

具体的には、大乗仏教は此岸を生きる私たちが幸になるために「少欲知足」ということを説きます。欲を少なくし足りるを知るという意味の言葉で、これを示したのが大乗仏教の説く本当の幸せの方程式です。

 

此岸の幸せの方程式(幸せ=充足÷欲望)

    ↓

本当の幸せの方程式(幸せ=知足÷少欲)

 

此岸の方程式と比べると、本当の幸せの方程式は欲望が少欲に、充足が知足に変わっています。ここが幸せになるための重要な部分です。例えば、新車が欲しい、家が欲しい、もっと給料が欲しい、素敵な服が欲しい、旅行に行きたい、美味しいものを沢山食べたい・・・などと、仮に7つの願い(欲望)があるとします。しかし叶えられるのはせいぜい4つ、いや現実には半分以下の3つだとしましょう。そこで、願いを2つ少なくしてみます。すると願いのうち半分以上が叶えられることになります。 どちらが幸せが大きいかは明白です。少欲の実践とはこういうことです。

少欲を実践するためには知足の心があってこそです。「知足」とは「私はもうこれで充分です、こと足りました」と知ることです。次から次から欲望を膨らませるのではなく、もういいいです、私にはもう充分です、という「足を知る」心をもつことです。現代社会はものが溢れ、新しいものが次々と生み出されて、私たちは欲望をかきたてられます。それらに躍らされない心が「知足」なのです。

 

 

 

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