チヅヨさんとしだれ桜の思い出
2015年04月27日
博多在住の手柴チヅヨさんが4月15日にお浄土に還られました。本人生前からのお約束通り、故人の葬儀はごく身内だけで執り行いましたが、坊さん(私)のおつとめは、枕経、通夜、葬儀(出棺式・告別式)のお経一式を博多の葬儀場できっちり上げさせて頂きました。その後、油山の麓にある福岡市の大きな火葬場へ同行し、収骨の立ち会いも致しました。この火葬場を訪れるのは5年ぶりです。昨今都会では珍しい事でしょうが、田舎では菩提寺の住職が火葬場へ同行するのは当然ですから、しつこく付き合わせて頂いた。そして、唯一のご家族、娘の淳美さんが葬儀直後に入院することが決まっていましたから、お骨は私がお預かりして山寺へ一緒に帰って頂きました。本日は二七日の読経を行いました。ご主人のお墓は山寺の墓地にあります。満中陰の際には再び関係者が山寺に集まり、法要と納骨をする予定になっています。
チヅヨさんは百歳になられていました。昨秋毎年恒例のお墓参りでお会いしたのが最後になりましたが、その際に「来年はもう無理だと思うから、私の葬儀は方丈さんよろしくおたのみしますよ」と言われていた情景が今も蘇ってきます。故人はお針子仕事を生業としてこられた方でしたから、いつも和服姿の人でした。最後にお会いした際には、お弟子さんからプレゼントされた草履がよく似合っていました。
手柴さんにはいろんな話を聞かせて頂きましたが、とりわけ印象に残っているのは本人若かりしころの思い出話でした。「私が子供の頃には光明寺の境内でよく遊んだもんでね。おてんばだったから、たびたびあのしだれ桜に登ってしかられたもんじゃ。近所の男の子がよう登らんのに、わたしゃ平気やったからなー」です。光明寺のしだれ桜の樹齢は不明ですが、百歳になられる手柴さんが子供のころによじ登っていたいたということは、見た目以上にこの桜は古木なんだと少々驚いたものです。
今年のしだれ桜は花つきが絶不調で、写真を撮りに来られた方々には残念な春でした。周囲のソメイヨシノも花つきが非常に悪くて同様でした。もしかしたら今年は裏年(?)だったのかもしれません。