こだわり住職のよもやま話

2014年

秋篠寺を訪ねて

2014年06月18日

4月7日にアップした記事の通り、私は毎年欠かさず同行人会(坊さんの同期会)に出席していますが、今年はかねてから一度行ってみたいと思っていたメンバーの一人、堀内君とこのお寺を訪問することが出来ました。本日はその時のことを書いてみます。基本的に同行人メンバーのお寺は立派なところばかりなんですが、なかでも彼の寺はとびっきりです。そのお寺は近鉄大和西大寺駅(奈良県)の近所にある秋篠寺という名刹で、山寺の坊さんからみると「まことに羨ましいったらありゃしない」お寺です。

国宝秋篠寺本堂.jpg

秋篠寺をグーグルマップの航空写真で探すと、奈良競輪場のすぐ西隣でスタジアムを上回る広い森の中にあることが解ります。まるで大きなお宮さんの鎮守の杜みたいですが、これが秋篠寺境内の大部分を占める重要な森です。

秋篠寺境内の森.jpg

そもそもお寺の所在地からして古都奈良ですから、勝手に期待値を吊り上げて訪問した私でしたが、ご覧の通り素晴らしい環境でした。寺の周囲は住宅街ですが、境内に一歩足を踏み入れると清らかな空気に包まれて、まさに心が洗われる空間です。

秋篠寺の苔庭.jpg

苔に覆われた境内の森を散策すると鮮やかな緑が目にしみます。南門の近くにはかつて東西両塔が建っていた場所に巨大な礎石が残っています。

秋篠寺古い礎石.jpg

ここは基本的に観光寺院です。本堂は国宝だし(すごいわー)重文の仏像群(三尊像・地蔵菩薩立像・帝釈天立像・技芸天立像)や十二神将さらには秘仏の大元帥明王などもあるのですから、古都奈良の古寺名刹として申し分ない格式と内容を備えています。寺めぐりのTV番組に取り上げられたりもするすごいお寺です。だけど「人が多すぎてなんだか落ち着かないね」は、まだ少ないらしく、広い森に囲まれた格別の静けさを堪能できます。これこそが秋篠寺最大の魅力なのではないでしょうか。住職(堀内君)も言ってたように「この静けさが失われたら秋篠寺じゃ無くなるからね」は、ここを訪れたら理解して頂けると思います。

秋篠寺大元帥明王堂.jpg

彼はこうも言ってました。「最近は少々人が多くなったなー。これ以上観光客が大挙するような寺にはなりたく無いんだけどね・・・」です。お客さんがじゃんじゃんやって来てくれた方がお寺も潤って良いでしょうに。「観光ガイド等に掲載されるのは出来るだけ遠慮するようにしてるんだけどねー」なんて言うんですよ。なかなか言えるセリフではないです。もし私が彼の立場だったら、たちまち欲にまみれて「さあー皆さんどんどんいらっしゃいませー」になってるような気がします。いやはや偏屈というか欲が無いというか・・・・いかにも彼らしい。まあ、そんなところが私は好きなんですけどね。

秋篠寺境内.jpg

残念ながら当日は雨模様で良い写真は撮れませんでした。いつかまたじっくり訪れたいものです。

追加工事始まる(本堂)

2014年06月05日

向拝虹梁取り付け.jpg

本日から本堂の追加工事が始まりました。この工程が終了すれば240年ぶりとなる建てかえ工事は一応完了です。ところで山寺はすでに昨年のお盆前、8月3日の施餓鬼会で新本堂の完成披露をちゃっかり済ませています。しかも「とりあえず完成しましたのでご報告を兼ねて」なんて調子の行事でした。本来は落慶法要という特別な行事を開催するのがまっとうなんですが、小寺ではなんと言っても先立つものがありません。それで通常の行事にひっかけて超緊縮予算でやっちゃいました。それでも、山口県民の大好きな餅撒きだけは盛大にやりましたから、皆さんには随分喜んで頂けました。こういうのを「結果オーライ」っていうんでしょうね。

海老虹梁設置.jpg

思えばあれからもう十ケ月です。ようやく追加工事の運びとなったのは、工事を開始する時点では最終的にどれくらい浄財が集まるか解りませんから、用心のため少々変則的な設計にしてもらっていたからです。通常お寺の正面階段上部には豪華な彫刻等が施されたひさしが設けられます。専門用語で「向拝」(こうはい又はごはい)と呼ばれる特別な屋根組で、いわば本堂の顔みたいな部分です。立派なお寺になるとそりゃ見事な造作が施してあります。だから、やっぱ重要な意匠なんです。ただし、この部分だけでも大変な費用がかかります。どの程度のものにするかだとか、そもそも付ける付けないとか、これがあると無いでは予算は大違いです。そういう事情があって、山寺は後回しにしていたんです。「お金が足りるかどうか解らんし、とりあえず向拝無しで建てといて余裕があったら追加しようかね」ってあんばいでした。これが完成しましたら山寺もかなりまっとうな姿のお寺になれるでしょう。本当に楽しみです。

いずれは池泉回遊式庭園かも

2014年05月22日

山寺の水田跡地に大雨対策の調整池を最初に掘ったのは4年前のことでした。その後追加の池を掘ったり、最初にこしらえた調整池を拡張したりと、毎年のようにいじっていましたが、今年も例によって結構やっちゃいました。さすがにここまで形が整って来ると達成感もひとしおです。油断するとたちまち草ボウボウになる空き地でしたから、「草刈りが大変だし、どんどん池にしちまえばいいじゃん」なんて単純な思いつきを具現化したら、結果こうなっちゃいました(笑い)。おかげさまで草刈りの面積はほぼ半減です。だからこの思いつきは成功だったといっていいでしょう。ただし、人間いったんやりはじめると欲が出てくるものです。「池を造るんだったらお寺なんだし、やっぱ蓮池にするのがいいよねー」とまずなりました。やがて「どうせなら寺に付随する土地としてそれなりの形にしたいよねー」となって来ます。そして最終的な目標(?)は、いわゆる「池泉回遊式庭園に」となるんですよね。「どっかの立派なお寺さんみたいに、いずれは池を中心にした日本庭園風にできたらいいよね」なんて考えるようになるのは、やはり凡夫のたどる道であります。

H26調整池の工事

さて、一時はセイタカアワダチ草で埋め尽くされていたこの土地ですが、現在登記上の所有者は先代住職(妻の父)です。しかし元々は寺領であり、山寺の経済的な基盤を補佐する重要な水田でした。(昔はお米が現金と同等に扱われていましたから)ではどうして今は坊さん個人の名義になっているのかといえば、それは戦後の農地解放政策によります。GHQの指導の下、地主や寺社の農地は国が強制的に安値で買い上げた後、実際に耕作していた小作人に売り渡されました。その際、地方の小寺等では限られた寺領を維持するために、寺総代等が協議して当時の住職の個人名義で買い戻すことが多かったらしく、山寺もまさにこのケースだったんです。だから耕作放棄の末に管理に苦慮している現状をかんがみれば、除外申請を行って(農地のままだと寺の名義にできない)まずは寺に戻すのが筋というものでありましょう。そしてその後は、境内地として積極的に活用することを考えるのが至極まっとうだと思うのです。

現状では一応農地(何十年も耕作放棄状態の水田跡地)ですから、収穫するつもりなんて全く無いくせに書類上は「レンコン畑」となっています。だからこれ以上やっちゃうと(樹木等を植えて本格的な庭園にすると)農業委員会から叱られます。本当は今すぐにでもまっとうな庭園にして行きたいところなんですが、無許可であんまりのことは出来ません。だから今は周囲に少々の樹木(桜やもみじです)とアジサイを遠慮がちに植えている程度で我慢しています。今後は除外申請(農地から外す申請)を出して、無事手続きが完了したら本格的に整備を進めることになります。「いずれは池泉回遊式庭園に」だなんて随分大それた計画ですが、次の住職に(息子の代かな?)引き渡す頃までには、なんとかそれなりの形にしたいものです。

紅葉の苗

おそらく4~5年先の話しになるとは思いますが、この場所にはもみじを主体に植えて行くつもりです。実は今年からもみじ苗の育成を本格的に始めました。寺の背後には江戸期に植栽されたと思われるもみじの古木がけっこうあります。毎年今の時期になるともみじの赤ちゃんがそこら中に誕生します。それで、この子達をせっせと育てて植栽用の苗を大量に確保し、一気にもみじで埋め尽くそうって魂胆です。いずれは池泉回遊式庭園風(?)の紅葉公園に仕上げるのが、山寺の坊さんの将来の夢です。気の長い話しですが、小寺が何かやろうと思えばそれくらい長いスパンでやっていくしかありませんからね。

菓子やお餅が雨あられ

2014年05月02日

4月29日、恒例の大日祭・花祭が無事終了しました。新しい本堂では初の開催です。ちょうど2年ぶりですからずいぶんお待たせしました。その「お詫び」って訳ではありませんが、恒例の餅まき(菓子まき)は気合いを入れて盛大にやらせていただきました。まさに「菓子やお餅が雨あられ」です。やっぱ、山口県民が大好きな餅まきは面白いですね。今年はコストコ(アメリカからやって来た業務向けの大容量単位販売が専門の大型スーパー)でチョコやガムなどを調達して「これでもか」って量を混ぜました。だから子供達も大喜びでした。

H26花祭り勤行.jpg

ここ数年で、光明寺の大日祭・花祭は盛大な餅まきがすっかり定着しました。お参りの人数も年を追うごとに増加中です。おかげさまで、皆さんが納めて下さる奉納金やお賽銭の総額も伸びています。結果それを原資にお餅やお菓子をたっぷり準備することが可能になりました。お寺も助かってますし、お参りのみなさんにも喜んで頂けます。実にありがたいことであります。

H26大日祭・花祭のもち撒き

さて、そんな良いことづくしの大日祭・花祭なんですが、実は少々心配なこともあります。それは新本堂が以前より一回り小さくなったので手狭に感じられることと、お斎の会場がすでに満席状態なんですね。今年でさえすでに押すな押すなの状態でしたから、数年後にはすごいことになるかもしれません。(そうなったらなったで、実はとても嬉しいのではありますが・・・・)

残念でした・・・(桜)

2014年04月14日

今春は期待していたのですが、満開を迎えるタイミングと春の嵐が見事に揃っちゃいました。京都から帰ってきた5日は美祢市の桜祭りでしたが、冷たい雨と強風で会場は閑古鳥が鳴いています。こればっかりはどうしようもないのですが、本当に恨めしいお天気でした。山寺のしだれ桜もずいぶん散っていました。「あーあ、やっぱりね」であります。今年も満開の状態は拝めませんでした。

平成24年春

それでも、ほどなく本堂背後の山桜も開花したので、両者揃い踏みの景観をちょっぴり眺めることは出来ました。手前のしだれ桜はすでにずいぶん散っています。一方山桜はまだ咲き始めたばかりです。少々見応えに欠けますが、今年はこの程度が精一杯でした。こうなったら鬼が笑おうがなんと言われようが、また来年に期待するしかありませんね。いつまでたっても無い物ねだりしたくなるのが凡夫ですから。

H26春・大日堂の石段.jpg

ところで背後の山桜ですが、その後も風雨の日が多くて、結局こちらも満開を拝むことは出来ませんでした。ただしほんの一瞬ではありますが、散ってしまった花びらが美しい景観を見せてくれました。これはこれで感謝しないといけませんね。

 

本山でこけちゃいました

2014年04月07日

4日に毎年恒例の同行人会に出席してき来ました。ここ最近は会う度に「結婚しました」とか、「もう二人目が生まれちゃいました」なんて話しで賑わうのですが、今年も少々驚かされました。4年ぶりに絶対音感の木谷さんに会ったのですが、(4年前の木谷さんの記事)あらびっくり、しっかり結婚していて、すでに息子が誕生してるっていうじゃないですか。我々が本山で修行の日々を送ったのは10年前ですから、そりゃそうなんでしょうが、月日の流れとは早いものです。「今なにやってんの?」って訪ねたら、「ピアノ演奏が売りの飲食店をやってる」っていいます。そのお店は和歌山市新雑賀町44番地フジサワビルの2Fにあって、「ぴあのバー あんてぃーく」といい、彼がバーテンとピアニストを兼務しているそうです。なんともおしゃれな仕事をやっていたんですね。それから「嫁さんてどんな人?」って訪ねたら、奥さんはシンガーソングライターで「宝子」って名で活動しているんだと。さっそく検索してみたら、あるある、宝子さんのオフシャルページを開けば、彼の嫁さんの歌声がバッチリ聞けちゃうじゃありませんか。互いにピアニストですから、ホテルとかで夫婦共演のディナーショーなどもやっていて、なんだか絵に描いたような人生送ってるんですよ。よかったねー。さっそく宝子さんのCDを調達しちゃいました。

平成26年4月4日夕の水行.jpg

さて、今年も我々は例年通り、宗門の将来を担う若い修行僧たちが頑張っている姿を見届けると、御影堂での夕方のおつとめにも参加しました。その際に、私はちょっとしたハプニングをやらかしてしまいました。情けない話しなんですが、おつとめが終了して立ち上がる際に見事にこけちゃったんです。すってんコロリン、見事なこけっぷりです。10年前のあの修業中でさえこんな経験はなかったのにね。実は半年位前から、左膝が常に亜脱臼の状態になっています。(いよいよ手術しないとアカンかも)それでうまく力が入らない事が時々あるのですが、そのことをすっかり忘れていました。1年ぶりです、座布団無しで本山御影堂の堅い畳みの上で長時間の正座をするのは。なのに、いきなり立ち上がったもんだから・・・つくづく修行が足りてません。

記念植樹のそばで.jpg

今回は10周年ということで、我々は本山女人坂の頂上付近にもみじの記念植樹をしました。上の写真がそうですが、無事に育ってくれることを祈ります。それと今年は同行の堀内君とこの立派なお寺(奈良)も事前に訪れることが出来ました。前々から一度は訪問したいと思っていましたから、ようやく念願がかないました。この件については後日書きたいと思います。

今年の桜は期待できそうです

2014年04月01日

H26年4月1日朝・美祢市中心部.jpg

今年は平年並みの開花になりました。昨年は異常に早く花の絶対量が少なくて少々残念でした。でも今年は期待出来そうです。今朝(4/1)自宅近くの河川敷(美祢市役所そばの厚狭川)の様子を見に行くと、見事に咲いていました。週末には満開になるでしょうから、今週末に開催される美祢市の桜祭りはきっと沢山の人出で賑わうことでしょう。

H26年4月1日美祢市桜祭り会場.jpg

市役所周辺の桜並木には先週からちょうちんが点灯しています。ひさしぶりに今年は夜桜見物に出かけてみようかなと思います。

H26年4月1日昼下がりの光明寺.jpg

寺のしだれ桜も随分咲いています。こうなるとあとはお天気次第ですね。このしだれ桜は実に短命です。雨に打たれるとあっという間に散ってしまうので満開の状態は滅多に拝めませんが、さて今年はどうでしょう。

昨日は忙しかったですか?

2014年04月01日

家計簿.jpg

 

たとえ3パーセントといえども、やはり大きいですよね。今後確実に我々の生活を圧迫してくるのは間違いないのですから。消費税が上がって本当に良くなる人って誰なんでしょう?そりゃ確かに、この国の社会保障制度の将来を考えたら今のままじゃお金がぜんぜん足りなくなるのは見えています。でもね、東日本大震災の復興予算の使い方を見ていると「きっとまた関係ないことに横流ししていい加減な使い方するんだろうなー」って、疑いの眼で眺めているのは私だけでしょうか。結局、庶民はささやかな防衛策と知りつつも、あわてて買いだめに走り回るしかないのです。かくゆうこの私も、近々に必要となるお買い物を昨日中にすっかり済ませることになっちゃいました。

「あがいたって所詮どうしようもないのだから・・・」と、典型的なひねくれ者の私が、一転世間並みのささやかな買いだめ(むだ使い?)に参加することになったのは、昨日自宅近くのホームセンターにふらりと立ち寄ったのがきっかけでした。まだ開店したばかりだというのに駐車場はすでに満車状態なのでびっく仰天です。「えー、祭でもやってるん?」と勘違いしそうです。そして「あっそうか、これって消費税のせいかー」と理解すると、あらためて「皆さんやっぱ考えているんだなー」と納得した次第です。それにしても平日の朝、まだ8時を少々回った時間帯だというのに、こんな田舎街のホームセンターでこのありさまです。「この小さな街にこんなに人がいたっけ」と笑っちゃいそうでした。

この光景を目の当たりにすると、さすがに知らん顔ではいられなくなるのが凡夫であります。この私もとうとうスイッチが入ってしまいました。世のお父さん方だと平日はお仕事で忙しいですから、最終日のまとめ買い競争なんてそうそう参加できるはずもありません。しかし、幸か不幸か山寺の坊さんは半分遊び人みたいなもので平日だと結構おひまであります。それでついつい、私もお買い物競争に混ぜてもらったのですが、哀しいかなそれがよかったのかどうか今ひとつ確信が持てないのが辛いところです。昨日の妻は帰宅がずいぶん遅くなりました。案の定、仕事帰りにハシゴしてなんだかんだと大量の戦利品(?)をお持ち帰りになられました。「恵美ちゃん、これって当分買い物いらんのとちがうん?」と、思わず口にしていました。

早くも三年です

2014年03月11日

月日の経過は早いもので、あの震災からもう三年です。3月11日が近づくと報道番組等で盛んに取り上げられますから、今更ながら未曾有の大災害であったことを確認することになります。多くの人々が、どうしようもない喪失感を乗り越えて、今日という日を迎えられておられます。「災害は忘れた頃にやってくる」は事実かもしれませんが、これからも時の流れに逆らって記憶に止めていたいものです。

平成26年彼岸会勤行

山寺は昨日彼岸会を開催しました。ささやかな供養ではありますが、亡くなられた方々のご冥福をお祈りして皆様とお念仏を称えさせて頂きました。

平成26年彼岸会お説教

彼岸会は毎年お説教を聞いて頂くのがメインになります。今年の講師は愛知県常滑市 洞雲寺 磯部順基師です。実に格調高く洗練されたご法話で、正にお説教の王道でした。遠路はるばるこんな田舎にお越し頂きました。誠に有り難うございました。 

 

お日待ち念仏講の数珠くり

2014年02月11日

山寺は毎年1月20日の御忌会(宗祖法然上人の忌日法要)と2月3日節分の法要(星祭・節分会)で百万遍数珠くりをします。寺法要としては​この二回が大数珠の出番ですが、実はこれ以外にも百万遍数珠が活躍する伝統行事があります。それは地元の大日地区で続けられている「お日待ち念仏講」という催しで、毎年立春の日に、お宮さんと光明寺の坊さんが並んでおつとめ(お宮はなんて言うんだろう?お祭りかな)をします。行事が始まると、お宮さんは祝詞をあげ私は読経をします。それが終わると、みなさんで大数珠くりをやってから宴会に突入するというのが習わしです。もうなれちゃいましたけど、当初は少々戸惑いました。お宮さんと坊さんが、それぞれの作法で同時進行です。だから、やっぱ珍しいですよね。NHKや地元の有線テレビ、ローカルの新聞社なんてのが取材に来たりもします。今年も県の関係者(何の関係者だっけ?)だとかが取材に来ていました。本日はこの少々変わった伝統行事について書いてみます。

庚申飾りの制作.jpg

「お日待ち」は「庚申待ち」とも呼ばれていて、Wikipediaによると次のように紹介されています。-日本の民間信仰で、庚申の日に神仏を祀って徹夜をする行事である。宵庚申、おさる待ちなどともいう。庚申待は通常、村単位など集団で行われ、その集り(講)のことを庚申講(こうしんこう)、庚申会(こうしんえ)、お日待ちなどという。仏教では庚申の本尊を青面金剛および帝釈天に、神道では猿田彦神としている。これは、庚申の「申」が猿田彦の猿と結び付けられたものと考えられる。また、猿が庚申の使いとされ、庚申塔には「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られることが多かった。山王信仰(三猿信仰)もここから生まれたとされている。日本には古くから伝わっていたものと考えられており、平安時代から行われ、当初は公家や僧侶がやっていて、すごろくや詩歌管弦を楽しんでいた。『枕草子』にも庚申待の話が登場する。

現在までに伝わる庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である。本来の庚申信仰は、神仏習合の流れの中で、猿を共通項にした新たな信仰へと変化していることが伺われる。つまり、神なり仏なりを供養することで禍から逃れ、現世利益を得ようとするものである。やがては宮中でも、庚申の本尊を祀るという形へと変化が見られるようになった。仏教式の庚申信仰が一般に流布した江戸時代は、庚申信仰史上最も多彩かつ盛んな時期となったが、大正時代以降は急速にその信仰が失われることになった。しかし、親睦会などに名前を変えて今でも庚申待を行っている地方もある。(一部抜粋)とあります。

私見ですが、今日、お日待ち(庚申待ち)といえば、お宮さんを招いて行うのが普通のように感じます。私の実家の地区でも、写真の宮司さんを招いて、毎年この時期にお日待ちを開催しています。(今も親が参加しています)それで、私も僧侶になるまでは、お日待ち(庚申待ち)とは、「お宮さんだけの行事でしょ」と、ずーっと思っていました。ところが、実は仏教が深くかかわった神仏習合の民間信仰だったんです。「へえーそうなんだー」と、大変お勉強になった次第です。

お宮さんの準備

ところで、浄土教においては、このお日待ちに類似した行事として「念仏講」という民間信仰も生れました。同じくWikipediaによると、-念仏講とは、日本の仏教において、在家信者が念仏を唱える講中を指す言葉である。多く、浄土教系寺院において行われるが、葬儀の際や村の行事など、多くの民俗行事と密接に関係している。毎月の定められた日に行われる念仏は月並みと呼ばれ、多く、地蔵菩薩・観音菩薩・不動明王などを祀る縁日に行われる。その他、虫送り・風送りや、疫除け・雨乞い等の際にも行われる。今日では、以上のような念仏講は、村落内の老人たちによる寄り合いとしての役割を果たしており、その宗教的役割のほか、老人の娯楽の場ともなっている。(一部抜粋)とあります。

このように「お日待ち」と「念仏講」は、その目的や運営形態がごく近い関係にあったのです。それで、山寺の地元では、いつのころからかは不明ですが、両者がいわば「習合」して今日に伝わっているようなんです。

お日待ち念仏講会場.jpg

これは余談ですが、お日待ち念仏講でご一緒するお宮さん(地元の神功皇后神社さん)と私は、毎年別地区の行事でも共演(?)をしています。近くにある観音堂(光明寺の末庵跡地です)の隣に、戦後、地元の小学校にあった奉安殿(戦前、天皇と皇后の写真と教育勅語を納めていた建物)が移されたことが始まりのようです。秋の彼岸には地区の皆さんが集まって行事が行われ、その際に、私は観音堂の前で読経を行い宮司さんは奉安殿の前で祝詞をあげられます。大数珠くりはありませんが、大日地区のお日待ち念仏講と同様の形態です。お社とお堂が並んで鎮座している場所は他にもあり、山寺の周辺では明治政府の神仏分離令以降も両者は仲良く共存しています。

こういうことって、西洋宗教(一神教)の人達から見れば奇異な行動なんでしょうが、もともと多神教民族であった日本人にとっては、さほど不自然なことではなかったのです。日本に伝来した仏教は、仏教以外の信仰や日本古来の神々たちと争う事はしませんでした。そして、それらを受け入れ、取り込む(習合)ことで、この国に深く浸透していったんですね。

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