こだわり住職のよもやま話

2013年

立つ鳥跡を濁さず

2013年01月21日

藤井家累代墓.jpg

藤井家のお引っ越し(墓石移転)がようやく完了しました。あとは再開眼供養を行うだけです。今後の藤井家は乗用車でお参りが可能になります。めんどうな草刈りも不要になりました。お墓に関してはもう何の心配も無いでしょう。よかったですね。工事は予想外に長引きましたが、今となっては良き思い出です。お正月を挟んだことが長引いた要因の一つではありますが、墓石店の機械(特殊な移動式クレーン)が故障して一時中断になったのは想定外でしたね。大がかりな修理をしないと続行不可能でしたから越年はしかたありません。まさか墓石店社長のうっかりミス(オイル切れでエンジンが焼き付いた)で機械がダメになるなんて、誰が想像できたでしょう。まあそのかわりといってはなんですが、結果的には時間をかけてとりわけ丁寧な仕事になりました。それと旧墓所の後始末がきっちり出来たから文句なしです。ここまで片づけてあったらそりゃ立派です。まさに「立つ鳥跡を濁さず」であります。(後始末は想像以上に手間がかかりるものです。だから田舎の共同墓地では大雑把に解体して残骸の一部はそのまま放置のケースが結構あります)

そもそも昭さん宅の墓所(地区の共同墓地にあった)は広すぎました。あの山奥の斜面に擁壁を築いて、とても贅沢な区画を設けていました。今時の霊園墓地なら10基くらいは楽に建立できるスペースです。おまけに専用の通路(コンクリート階段)の長いこと。田舎の山奥だし、まあ土地は好きなほどあるんだから、やたらと敷地が広いのは許しましょう。だけどその敷地内には墓石のベースとなる立派なコンクリートの台がありました。この台の中心部は扉付きの納骨室です。要するに大がかりな舞台墓になっていました。この舞台も実に広いのですからやっかいです。こういう田舎の墓所が、まさに「石材店泣かせのお墓」っていうやつです。いざ解体撤去となると大変な工事になるのですから。

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さてその移転工事ですが、いつもなら「あつたく」でずが、今回はわけあって他社さんになりました。実は昭さんのご親戚が墓石店でした。移転する墓石は、そのご親戚が墓石店を開業して最初に建立した記念碑的な墓石でした。だからこちらに依頼するのが筋であります。ただし、結果的には親戚の墓石店の直接工事ではなくて、その下請けさんが工事を担当することになりました。(この業界ではよくあることです)今回、昭さんが提示された見積額は見事な「激安バーゲン価格」です。まさに「親族価格」ってやつです。「よかったねー昭さん。これってホントにお値打ちだから、やっぱ親戚は大切にせにゃいけんねー」なんて言ったものです。ただし、藤井家旧墓所の現状を考えると「ホントにこの価格でええんやろうか?」って思ったのも事実です。これまで、檀家さんが「あつたく」でお墓を建立する際には、毎回私が代理人として値段交渉をしていました。私の幼なじみが立ち上げた会社ですから遠慮しません。だから相場は充分承知してます。昭さん宅の移転工事が激安なのは良く解ります。ただし見積によるとあのコンクリートの舞台もきっちり撤去することになっていましたから、(それは大変よいことです)実際に工事を担当される下請けさんは少々気の毒です。あの墓所を完全に更地に戻すとなると大変な手間です。見積もりが見積もりですから下請けさんの受け取る工賃も激安です。「なんだか申し訳ないなー」と思ってしまうのです。

藤井家墓所解体

実際、解体が始まると大変でした。その頑丈なことと言ったら。あきれるほどでした。それは墓石の移動撤去が完了し、いよいよコンクリート舞台の解体が始まった二日目でした。気になっていたので早朝に様子を見に行きました。すると作業はぜんぜん進んでいません。しかも施主の昭さんが一生懸命ハツリ作業を手伝っているのです。思わず私は「あーやっぱりねー」でした。聞けば「昨日からコンクリートを砕き始めたけど、めちくちゃ丈夫だから割れん」でした。それで昭さん、今朝はどこから調達してきたのか、大型の電動ピック(知り合いから借りたらしい)と発電機(こっちは自前)を持ち込んで応援しているのです。笑っちゃいます。実に昭さんらしいじゃないですか。そういう事情ですからさっそく私も手伝うことになりました。都合3台の大型電動ピックでたたき続けて、全て砕き終えたのは夕方です。いやー、ずいぶん鍛えられました。

さて、話しはこれで終わりではありません。新たな問題が出てきました。なんとかコンクリのハツリは終えたので「あー、やれやれ」ですが、「じゃーこの大量のコンクリート破片をどう始末するの?」ってことです。本来なら全て持ち出して処分するのがまっとうなんですが、これ以上の処置を下請けの石材店さんにやってもらうのはまことに忍びないではありませんか。そもそもあの見積額で、そこまでやるのはいくらなんでも気の毒です。だからこういう場合、予算との絡みもあって往々にして解体した残骸はそのまま現場に放置となってしまうのですが、昭さんはそんなことはしたくありませんし、私もそんなことして欲しくありません。となると、自分たちでなんとか処置するしかありません。幸い田舎の山奥ですから敷地内に穴を掘って埋める手が使えます(もう二度と、この場所に墓が建立されることはないでしょうから)。ただし、これだけ大量だとスコップ片手に二人で穴掘りは大変です。とてもじゃないですが、互いにこれ以上の人海戦術は遠慮したいわけです。それで、「昭さん、機械入れましよう。僕がやるから手伝って下さい。二人でやれば2万円でおつりがくるから。それだったら安いものでしょう?」「えっ、住職やってくれる?だったら喜んでお願いするよ」となったのであります。その場でキロクの藤井さん(リース屋の支店長)に電話を入れて予約をしました。光明寺には寄贈されたバックホーがありますが、大きすぎて持ち込むことが難しいので一回り小さい機械を手配しました。

I藤井家旧墓所.jpg

コンクリ片の後始末は翌週に実施しました。ひさしぶりに光明寺からオーダーが入ったバックホーがトレーラーでやって来ました。墓地の入口の県道で降ろしてもらったら、後は狭い山道を自走で持ち込んで行きます。昭さんには立木をチェンソーで倒してもらって重機の進入路を確保してもらいました。今回はこの搬入作業が、いわば一番めんどうな工程でした。機械さえ持ち込んでしまえれば後はもう終わったも同然です。実際、午前中であっけなく完了でした。やっぱ重機を入れたら早いです。最初から持ち込むことを前提にしていたら、コンクリートの解体もあんなに苦労することはなかったでしょうが、こればっかりはやってみないと分かんないから仕方ないですね。

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