こだわり住職のよもやま話

2013年

やっぱ餅撒きでしょう

2013年08月23日

大施餓鬼会.jpg

以前みのもんたさんの番組(秘密の県民ショー)で、山口県民は餅撒きが大好きだって紹介されていましたが、確かにそうかもしれませんね。山寺は今月3日に1年ぶりの行事(大施餓鬼会)を開催したのですが、本堂の落成披露と抱き合わせということで盛大に撒きました。新本堂は240年ぶりの建て替えでした。 だから本来なら稚児行列なども出る『落慶法要』と呼ぶ特別な催しを開催するのがまっとうなんですが、いかんせん貧乏寺では予算が確保出来ません。それで 「お祝い気分を盛り上げるバザー(かき氷等)と山口県民の大好きな餅撒きだけは盛大にやろうじゃないか」となったのです。

施餓鬼会もちまき.jpg

当日はお天気も良くて餅撒きには絶好でした。大量の紅白餅を用意しましたが、菓子やあんパンさらにはインスタントラーメンなんてのも沢山混じっていますから、「これってヘルメット被ってないとヤバイんじゃないの?」と思えるような光景でした。まあ、限られた予算での行事でしたから、これ以外には記念品とお祝い膳の配布ぐらいで大したことは出来ませんでしたが、皆さんいずれも大きなお土産袋(大量のお餅と記念品等)を手にして頂けたからでしょうか、結構喜んでもらえたみたいでした。

これってプチ贅沢かも?

2013年07月20日

江戸期の漆器.jpg

旧本堂を解体する際に堂内の袋戸からいろんな物が出てきました。その中に大昔の漆器が多数あったのですが、古い物は天保年間調達の墨書もありました。こういうのを目にすると一瞬お宝に思えたりしますが、これらはあくまでも実用品ですから期待してもだめでしょう。「じゃあ、お斎に使ったら?」なんてのもあるかもしれませんね。でもこの古い漆器を補修して再び使用するなんて考えるのは、よほど余裕のある寺のすることでしょう。本気で使うとなると後々の維持管理が大変ですから。保管する場所もきっちり確保しないといけません。我が山寺の現状を考えるとやっぱ処分するしかないんです。

大昔の御膳盆.jpg

しかし全て廃棄では少々忍びないので何点か残すことにはしました。それが今回の写真です。お斎の料理をのせる御膳台で足の高さが異なる二種類がありました。足が低いものは大量に残っていて、まだ未使用のものもありました。おそらくお参りのみなさんのお斎で使用していたのでしょう。これはこれで、お盆代わりに使えますから多少残しておくのもいいんじゃないでしょうか。

私の昼食.jpg

こちらは実に立派な高足の御膳台です。たぶん客人やお坊さんのお食事用でしょうね。時代劇などで目にしたことはありますが、その昔実際に使用していた本物がまだ残っていたんですね。せっかくですから自分のお昼ご飯で使ってみることにしました。本日はスーパーで調達したお弁当です。よく見たら「メタボが気になる方におすすめノンフライ弁当」とあって、お値段はズバリ398円と超リーズナブルです。シャケが無かったらおかずは豆腐ハンバーグと根菜の煮物に豆と佃煮&たくあん漬けと見事に精進弁当です。いやー実にささやかではありませんか。でもこうやって大昔の少々大袈裟な御膳台に載せてみたら、ちょっぴり豪華に見えたりするから不思議です。こういうのをプチ贅沢っていうのかもしれませんね。(笑ってください)

ありがたいことに、山寺の法要では婦人会のみなさんが交代でお斎を調理して下さいます。さすがに一品ずつ全て器に盛りつけてとはゆきませんが、近頃では口にする機会も限られる手作りの精進料理です。お参りにこられるみなさんも口々に「お斎を頂くのが一番の楽しみです」と言われます。今日でもお寺にお参りした際の食事は大きなたのしみなんですね。それにしても大量に出てきた漆器類を眺めていると、つくづく昔は大変な手間暇をかけて食事の準備をしていたんだと感心します。今以上にお斎は重要なアイテムだったんでしょう。そして、お寺にお参りするということが、ある意味とても特別で重要なことだったことが実感できます。

営業再開間近です

2013年07月05日

新本堂外陣

新本堂の工事もほぼ完了し、ここ最近の私は庫裏に押し込んでいた仏像や仏具を移動させる日々を過ごしています。旧本堂が解体される際は夏休みで帰省中の息子と二人で移動させましたが、いざ新しい本堂に戻すとなると今度は想像以上に大変な作業になりました。なんてったっていずれも長年のホコリや汚れで「めっちや汚い」のです。おまけに傷みも激しい。御本尊はとりあえずプロにお掃除(おみぬぐいと言うらしい)をして頂きましたが、その他もろもろは予算が無いので全て現状のままです。本尊以外の仏像や高祖(善導大師)宗祖(法然上人)のお人形さん(彩色木像)なども、とてもそのまま戻せるような状態ではありませんでした。ごちゃごちゃ沢山あるさまざまな仏具等も同様です。早い話し「きちんと掃除と修理をしてから戻さないとマズイよね」です。そういわけでこの作業にとても時間がかかりました。ホント大変でした。めんどくさいったらありしません。正直なところ「もう二度としたくないわー」です。(相変わらず不届きな坊さんであります)

それから、時間がかかった原因の一つに、可能な限り自分一人で移動させたほうが無難だという事情もありました。例えば総代に手伝ってもらう手もあったとは思いますが、万が一移動の際に破損させたら誰も責任とれません。安易に依頼するのは避けるべきでしょう。この手の仏具って異常なくらい高価なんです。

光明寺内陣

例えば山寺のインチキ前机(写真中央、金襴の布で隠れて正面からは解らないが予算が無いのでとりあえず家具屋に作ってもらった丈夫な台です)の両サイドに乗っかってるキンキラの常花(木製の彫刻に金箔が施してあるハスの花)ですが、当初新調することを目論んでいましたが、値段を見てびっくり仰天あっけなく断念しました。なんと100万円くらいしちゃうんです。現状のものは特別古いものではないのですが、残念ながらかなり傷んでいて壊れている箇所もあります。ハッキリ言って随分小汚かったです。不謹慎な発言ですが、これがそんなにするなんて普通は思わんでしょう。結局、少々壊れていようが金箔がはがれていようが、可能な限りの掃除と補修を自分で(お金かけられないから)やってまた据えるしかないのです。そんなあんばいでしたから時間がかかるのは当然でした。他人から見たらすでに本堂はほぼ完成しているし、内部もパッと見には「もう終わりでしょう?」って感じられる状態だと思います。ところがどっこい、まだ天上からは何んにもぶら下がってませんし(これがとても金がかかる)、まだまだ不都合な点も多々あるんです。こればっかりは当事者でないとわからん話しであります。

続・備えあれば憂い無しですか

2013年07月03日

2号調整池.jpg

本日はお昼前からどしゃ降りでした。大雨警報・洪水注意報が発令され竜巻注意報も出ました。まるで台風の直撃でも受けたような激しさでしたから少々あわてました。先ほどようやくおさまったので今回は山寺の大雨対策がらみで書いてみます。以前-備えあれば憂い無しですか?-ってタイトルで書いてますが、再びこのタイトルを使ってみました。

さて、山寺は3年前の梅雨末期に歴史的な豪雨に見舞われてひどい目にあっています。 残念なことに大日堂を失うという苦い経験もしました。それでその後いろいろ大雨の対策をやって来ましたが、昨年秋に本堂の建て替えが始まって以降、寺での行事が休止となることをこれ幸いに、私は度々土建屋のおっさん状態になって過ごしていました。バックホーであっちこっち掘り返しては雨水対策に励んだのですが、それら一連の工事の中でも最も大がかり(見た目ですが)だったのは調整池の拡張工事と増設です。3年前に当初の調整池が完成した時、総代の藤井 昭さんが蓮華(ハス)を植えてくださったことがきっかけで、前々から「どうせならもっと見応えのあるハス池(調整池)にしちゃおうかねー」などと考えていました。それと広い休耕田の草刈りに毎年苦労していましたから、ハス池を思いっきり広げたら「その分草刈りの範囲も減って一石二鳥じゃないですか」というわけです。我ながらとってもいいアイデアではないでしょうか。(自画自賛)

工事は5月の末頃からマイペースでやりました。まずは新規となる2号池の造成です。草ぼうぼうの休耕田をどんどん掘って結構な広さの池を無事完成することが出来ました。上の写真がそうです。(右側には拡張した1号池が見えます)例によって昭さんちのレンコン畑から苗を少々移植してもらったので、あとは成長を見守るだけです。楽しみですね。

さて、調整池(ハス池)の増設が上手く出来たので調子に乗った私は(いつもそうだって妻が言う)既存のハス池も大幅拡張することにしました。なんてったってスペースは充分にありますからね。草刈りの大変さを考えたら、そらもう思い切り広げるしかないでしょう。下の写真が3年前に完成したときの状態です。背後には古い本堂と被災する直前の大日堂が写っています。今となっては実に懐かしい写真です。

調整池の工事

上の調整池をここまで拡張しました。追加した2号池よりもさらに一回り大きくなっています。すでに蓮華が根付いていた池ですから、ほっといても拡張した部分に広がってくれるでしょう。しめしめであります。

拡張後の1号調整池.jpg

 

 

 

 

いい仕事してますねー

2013年06月20日

はせがわ美術工芸の工房に入院していた宮殿と須弥壇そして大欄間が遂に帰ってきました。およそ8ケ月預けっぱなしでした。本堂建て替えの間は保管も兼ねてましたから仕方ないのですが、ずいぶん長くなりました。「きっと立派になって帰って来るんだろうね」とは思っていましたが、想像以上の仕上がりだったので驚きました。本日はその時の様子を報告します。

復原修理完了№1.jpg

トラックから最初に降ろされたのは、補修するお金が無いから預けていただけの大日如来さんの宮殿です。

復原修理完了№5.jpg

須弥壇の搬入です。強烈に重いので驚きます。復元修理に出す際に手伝って、その重さに唖然とした記憶はいまも鮮明です。

復原修理完了№6.jpg

山寺の須弥壇は宮殿を上回る300年ものですが、まだまだ問題なく使える状態でした。とても密度が高く堅い材で制作されていたんですね。

復原修理完了№4.jpg

宮殿の屋根です。全員がよってたかってそろりそろりと移動させます。

復原修理完了№3.jpg

三尊宮殿の搬入はとてもシビアです。手の置き所には細心の注意が必要です。金箔部分を不用意に触るとアウトですからね。 

復原修理完了№10.jpg

宮殿の真上に彫刻入りの虹梁が渡っているので高さがぎりぎりでした。それで先に屋根を持ち上げて宮殿本体を正面から滑り込ませるという離れ技で設置しました。いやー大変でした。

復原修理完了№11.jpg

300年前の須弥壇に240年前の三尊宮殿が乗りました。そこまで古いものだなんて、説明されなければもうわかりませんけど。

復原修理完了№2.jpg

もう一方の大物、大欄間は仮枠が取り付けられて厳重に固定してありました。移送中の損傷を防ぐ為にこうやって運ぶんですね。

右大欄間.jpg

右側の大欄間取り付けです。彩色部分に汗を落とすとシミが出来てアウトになりますから要注意です。

中央大欄間.jpg

中央大欄間の据付です。不安定な脚立に登っての作業です。見てるだけなのに緊張しました。

大欄間の設置.jpg

大欄間にはさまざまなパーツが着いていますが、わかりやすいのは、ほら貝・琵琶・琴の三点でしょう。リアルな彩色がしてありますからね。一方、少々わかりにくいのが奇妙な鳥たちです。これらはいずれも阿弥陀経に出てくる鳥で「六鳥」と呼ばれます。

右大欄間

右側の欄間に配置されている天女みたいな顔の鳥は迦陵頻伽(かりょうびんが・妙音鳥ともよぶ)です。左下の双頭の鳥は共命鳥(ぐみょうちょう)で、右下は琴です。

左大欄間

左の欄間の鳥は孔雀です。右下には舎利=百舌鳥(モズ・九官鳥という説もある)がいて、左はホラ貝です。

中央大欄間

中央の鳥は白鵠(びゃくこう・白鳥または天鵞ともいう)です。すぐ上には琵琶があります。右下の鳥は鸚鵡(オウム)です。

据えられた欄間をじっくり眺めていると見事な仕上がりに感動します。山寺にとっては英断でしたがやってよかったです。たしかに費用はかかりました。でもそれに見合うだけの仕事を、はせがわ美術工芸の職人さん達はやってくれています。中島誠之助先生の決めセリフじゃないですが、思わず「いい仕事してますねー」ってつぶやいてしまいました。

病気ではないのですが

2013年06月18日

平成25年6月16日.jpg

ひさしぶりの更新です。山寺のサイトは二ケ月間沈黙したままでした。あまりにも未更新が長くなったので、いろんな人から「病気にでもなっていたの?」なんて訪ねられたりしました。恥ずかしながら私はいたって元気だったのですが、本堂の建て替えがいよいよ仕上げの段階になって来たのでとても忙しかったのであります。(まだ完全に完了したわけではありませんが)そういう訳でブログ更新はずーっとほったらかしでした。申しわけありませんでした。

そもそもゴールデンウイーク以降は毎年恒例の草刈りや樹木の剪定に追われて忙しいのですが、今年は本堂建て替えに伴う関連作業(特に本堂周囲の整備工事)が重なりました。週末の法務(年回忌法要等)を除けば、平日はほぼ毎日のようにスコップや草刈り機を片手にゴソゴソやったり、常雄さんから頂いたバックホー(建設機械)に乗って土砂と格闘していました。それもこれも貧乏寺が本堂の建て替えなんて大それたことにチャレンジしたからそういうことになるのです。かき集めた浄財はほとんど建物の建築費に突っ込むしかなく、建物周囲の整備に回す余裕なんてありません。いわゆる外構工事予算はゼロベースです。(情けない・・・)本来ならそういう工事も業者さんにして頂くものなんでしょうが、山寺の場合は限りなく自前でなんとかするしかなかったのであります。

さて、そういう事情があってこの二ヶ月で私はずふいぶん日焼けしました。この年になると紫外線を浴び続けるのはお肌にとっても良くないのですが、そんなこと言ってられませんので女性物みたいなでっかいひさしの帽子をかぶって頑張りました。(笑っていいですよ)それから毎日のように土建屋のオヤジ状態になっていたせいか体重が随分落ちました。前々から膝のことを考えると絶対減量しないとまずいと思っていましたから実にありがたいことです。思えばある意味実に健康的な日々を送っていたんですね。

次回よりこの二ヶ月間のことを順次紹介して行きたいと思います。直近の大きな出来事として、はせがわ美術工芸さんから三尊宮殿と須弥壇そして大欄間がピカピカになって帰って来たので、まずはそのことを報告したいと思います。ちなみに現在の山寺の様子を掲載しておきます。

すごい存在感です(鬼瓦)

2013年04月06日

頂上に据えられた鬼瓦.jpg

山寺の屋根瓦工事がいよいよ終盤に入りました。頂上に取り付ける鬼瓦の組み上げが終了したので、大型のクレーンで吊り上げられてついに据えつけられました。下から見上げるとそれほどでもないのですが、近くで眺めると存在感はすごいです。胸の高さくらいあるので「へー、こんなに大きいんですかー」が素直な感想でした。「なんだ、そんなことかい」って言われそうなんですが、私の中では想像以上に大きなものでしたら、とても贅沢なことをやってる気分になっちゃいました。(幸せなやつです)

組み上がった本堂の鬼瓦.jpg

 

今年のソメイヨシノは・・・

2013年04月03日

H25の寂しいソメイヨシノ.jpg

今年の桜(ソメイヨシノ)はとても早い開花でしたが、様子がおかしいのはそれだけではありませんでした。美祢市では花の絶対量があまりにも少なくてみんな驚いています。「こんなに不作の年は記憶にないぞー」って、古老もこぼしています。光明寺境内のヨシノもずいぶん寂しい状態です。いったいどうしたんでしょうね。たしか桜は花が終わった後の夏の間に翌年のつぼみが形成され、冬の低温にさらされた後に気温の上昇とともに眠りから目覚めて開花するのだって聞きました。そうすると今年の絶不調は昨夏の気候が影響したのでしょうか。近年は温暖化で秋に勘違いして狂い咲きする桜が多くなったのは事実ですが、今年は花芽の絶対量があまりにも少ないのです。毎年美祢市の桜まつりメイン会場となる市内中心部の桜並木も、例年に比べると相当見劣りしています。掲載の写真は山寺へ向かう県道沿いにある近所のソメイヨシノで毎年見事に咲き誇る桜でした。ところが今春はご覧の通り実に寂しいものです。これですでに満開の状態なのですから信じられません。

H25山寺のしだれ桜.jpg

ソメイヨシノがここまでダメだと他の品種も似たようなものです。山寺のシダレザクラも(江戸彼岸です)今年はパッとしません。花の絶対量が少ないのでポリューム感に欠けて冴えません。(写真だとまあまあに見えますが、頂上部分はポツポツしか花がついていません)遅れて開花する本堂背後の山桜(けっこうな大木です)も、おそらく期待出来ないのではないでしょうか。なんとも寂しい春です。今からこんなこと言ってると笑われるでしょうが、これはもう来年に期待するしかないのかもしれませんね。(前回の記事で今年の異変にかこつけて、葉桜見物の宴会も風流で良いではないですか・・・なんて言ってたのに、本日は、やっぱ花が少ないのは寂しいですね・・・なんてぼやいてます。なんともいい加減な坊さんで申し訳ありません。)

今年は早すぎでしょう

2013年03月26日

3月26日のしだれ桜.jpg

今年は冬が厳しかったからでしょうか。そしてその後急に温かくなった影響なのか、全国的に桜の目覚めが実に早い。山寺の周囲でも、すでにソメイヨシノがかなり咲いています。境内にあるしだれ桜の老木も、すでにちらほら開花しています。桜が開花し始めると、なぜか心がそわそわウキウキして来るのは私も含めて日本人の特性なんでしょうが、周囲では「今年は少々早すぎて、まだ心の準備ができてませんワー」なんて話しを耳にします。そういう方って、ご多分に漏れず花見(正しくは屋外でのどんちゃん騒ぎ)をとっても楽しみにしているんですが、さすがにこう早いと焦っちゃうんでしょうね。山寺がある美祢市は毎年4月の第1土曜に「桜祭り」を開催していますが、この調子だと花は完全に散ってしまっているかもしれません。せっかくのお祭りが少々盛り上がりに欠けるかもしれませんが、こればっかりは自然相手の行事だからしかたありません。やっぱ、あるがままを受け入れるしかないんでしょう。考えようによっては、葉桜見物の宴会も風流で良いかもしれません。そう考えたら、そんなにがっかりする事もないかもしれませんね。

ずいぶん形になってきました

2013年02月28日

本堂サッシ戸.jpg

ついに周囲のガラス戸が入りました。お寺用のガラス引き戸(仏閣サッシ)が入ると、想像してた以上に「いい感じ」です。内部の工事も着々と進行中で、今は外陣側天上の組み上げ作業が目を引きます。ご覧の通り、いっちょ前に格子天井が完成しつつあります。いわゆる「格天井」っていうヤツなんですが、山寺にとってはある意味望外の贅沢です。なぜなら、こういう仕上げの天井はかなりお高くつくからです。予算を考えると「無理かもしれないな」と思ってました。ところがどっこい、久谷建築の社長さん曰く「うちは格天井の格子を加工する専用の機械を持ってますから限られた予算でも可能ですよ。これはうちがとりわけ自慢できるところでね、内陣はさらに格式の高い折り上げの格天井できっちり仕上げますからまかしといて下さい。」と言われたのです。

外陣天井工事.jpg

それを聞いた時の私の喜びようったら、そりゃーもう、おもちゃを買ってもらう約束を取り付けた子供みたいでしたね。「嬉しいなー。折り上げの格天井だなんて、お金持ちのお寺さんが建てる豪華な本堂みたいじゃん。うちみたいな小寺が実現できるなんて望外の幸せやなー」と思ったものです。こうやって現実に形が見えてくると「あー社長さんが言ってた通りだ。本当に立派な格子天井になるんだー」と感慨にふけっている今日この頃です。

折り上げ格天井.jpg

 

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