こだわり住職のよもやま話

2013年11月

十夜会が終了しました

2013年11月26日

24日に今年最後の寺法要となる十夜会が開催されました。当日のメインイベントは本山派遣講師によるお説教です。それで前座(?)となる十夜会のおつとめは、帰省中だった息子と日没礼賛を少々早読みでやりました。息子の学校が推薦入試で五連休となり「することないから帰ろうかなー?」と連絡してきたので、これ幸いと呼び戻しました。ありがたいことに、小山家まりんの供養を皮切りに、安部家の法事、十夜会の準備と当日のおつとめと、実に効率良くお坊さんのお仕事を実践させることができました。彼にとっては充実した五日間(迷惑?)だったことでしょう。

平成25年十夜会勤行.jpg

今回のお説教は福岡県岡垣町の真福寺住職 高原正明師のお話です。もう10年前の話になりますが、実は高原さんのお母上と私は本山でお坊さんの資格を頂戴するための厳しい修行(加行)を一緒に過ごした同行人でした。通常は若い人が受ける加行を一念発起して宗門の最高齢記録を更新された方で、おそらく今でもその記録は破られていないのではないでしょうか。当時、同行人仲間の男性陣では私が一番歳をくってたのですが、高原さんのお母上がいらっしゃったので男としてと弱音など吐けない状況でありました。実に懐かしい思い出です。そういうご縁を頂いたおかげで、この私も最後までなんとか耐え抜くことができました。高原さんのお母上には今も大変感謝しております。

H25十夜会お説教

さて、そのスーパーウーマンの息子さんである正明師は学校の先生をされています。さすがに職業柄、人前で難しい話しを優しく解説してみせるのはお手のものです。今回はPCとプロジェクターを用いて視覚にも訴えるお説教です。実に解りやすくて良かったですね。私もサラリーマン時代にプレゼンで少々やっていましたので、その効用は充分承知しています。ただしお道具が必要ですからどこでもとはいきませんし、設置とかも結構面倒です。高原さんは自前を持ち歩いてお説教をされているのですが、山寺にも一式備えてあるので事前にセッティングしておくことが出来ました。たまにしか使わないプロジェクターが役に立っちゃいました。よかった。本来優秀な説教師でしたらそんなお道具なんて不要なんでしょうが、あったらあったで、これが実に効果的なんです。「やっぱこれだわなー」と、一人納得した次第です。

真福寺住職 高原正明師

 

小山家愛犬まりん転生安楽国

2013年11月22日

生類供養塔.jpg

一昨日、釣友の小山氏が家族一同(四人と一匹)で山寺へやってきました。 実は小山家の愛犬が死去したので、供養の為に私を訪ねてくれたのです。ワンちゃんの名は「まりん」でした。なるほど、いかにも釣りキチの小山氏が可愛がっていた愛犬らしい名です。その子は棺代わりの箱の中で沢山の花につつまれていました。白い毛並みにピンクのリボンがよく似合っていて、まさにぬいぐるみの様な綺麗なワンちゃんでした。

到着した小山氏は、私の前ではいつものように陽気に振る舞っていました。しかし、きっと随分落ち込んだはずです。ましてや、彼の奥さんはさぞかし涙を流されたことでしょう。私は開口一番「(こんな遠くまで)よく(まりんちゃんを)連れてきて下さいました」と、ご家族の前で申し上げていました。事実、北九州からこんな田舎まで高速で来てくれたのです。きっちり供養して差し上げねばなりません。今回偶然にも息子が帰省していたので立ち会わせることが出来ました。彼はすでに葬儀を何度か経験していますが、ワンちゃんのケースは初めてになります。江戸期から牛馬等の生類供養を行って来たこの寺の歴史を認識させ、それを実践する貴重な機会に恵まれたのです。ありがたいことです。

まりんの供養は、まず大日如来の御宝前で読経一式とご家族による焼香をして頂きました。その後、古式にのっとり山寺の墓地の一画に設けた動物専用の場所へ移動して埋葬しました。いわゆる土葬です。その際に重要なのは、ご家族の手で土をかぶせて頂くことです。あえて申せば、お葬式は別れの儀式であり残った者が悲しみをこらえて心の始末をつける儀式です。ですから、最後の工程はぜひとも残った者達が自らの手で実行して頂きたいのです。そうすることが、死を受け入れ心のけじめをつけることになるのですから。

まりんのお墓は、しばらくは埋葬した場所にある土まんじゅうになります。しかし、いずれは土中の遺骨を回収して山寺の生類供養塔に改葬することになります。そして、それ以降は、こちらの供養塔が、まりんの正式なお墓になります。長らく日本人はこういう方法(土葬)で故人とのお別れと墓石建立をしてきました。江戸期の一般庶民の個人墓はたいていそうです。古い墓地を観察すれば、それは察しがつきます。所狭しと並ぶ個々の墓石の下に、それぞれの棺桶を埋葬する大きな穴を掘れたはずはないのですから。故人の亡骸は別の箇所に一度埋葬し、後にあらためて墓石を建立していったのです。ですから、古い時代の墓石の下から、まるまる全身のお骨が出て来るなんてことは通常ありません。

それにしても、こういうやり方の供養は田舎の山寺だからこそ可能なことです。すでにお骨の状態であれば、直ちに生類供養塔へ納骨することが出来ます。一般的にはそれが普通ですし一挙に決着がつきます。それはそれで悪いことではありません。しかし、古式にのっとった今回のようなやり方も、これはこれで捨てがたいものがあります。かなり面倒なのは事実ですが、一度きりのことですから、施主に賛同して頂けるならなるべく丁寧に葬ってあげたいものです。いずれ改葬の際には、小山氏と二人でスコップを片手に彼女を供養塔へ移してあげることになるでしょう。

平成25年11月18日寂 小山家愛犬 俗名まりんの冥福を祈ります。

日本人の美徳はどこへ

2013年11月06日

吾唯知足のつくばい.jpg

 

メニューの不当表示に関する最近の報道を見ていると、ついついぼやきたくなります。有名ホテルチェーンのレストランでのメニュー表示問題を皮切りに、とうとう日本有数の老舗百貨店でも同様の嘘が発覚しました。「いいかげんにせいよ」って言いたくなります。そしてなんだかとても哀しくもなりました。思えば東日本大震災の際に日本人の誠実さは海外から高く称賛されたものです。もし諸外国で同じことが起きたなら、助け合いどころかたちまち略奪の横行で手の付けられない状態になっていても不思議ではないのに....と。日本人は驚くほど忍耐強く冷静であり、そして他人を思いやる優しさで醜い争いなど起こさなかった....等と、海外の記者がさかんに伝えていたことはまだ記憶に新しいところです。この他人を思いやる心や誠実さこそ日本人の美徳でした。なのに、このていたらくです。生まれてこのかた全く嘘をついたことが無い人なんていないでしょうが、だけど今回の報道を見ていると心中穏やかではいられません。

本来日本人は人を欺く嘘を平気でつく国民ではありません。そんな誇るべき国民性から生まれるメイドインジャパンは、今でも世界で最も信頼されるブランドのはずです。なのに次々と出てくるのは、どうも個人の問題というよりも組織のありかたに原因があるように思えてなりません。謝罪会見に出てくる責任者らしき人々は一様に「これは偽装ではなく誤表示である」とか「管理ミスであり故意ではない」などと言い訳がましいことに終始します。「申し訳ありません。我々は嘘をついてました」とは絶対に言わない。いや、言えないのである。おそらく、当の本人も内心では嘘をついていて申し訳ないと思っているに違いありません。だけど、それを許さないのが組織のおきてです。人は組織(企業)に属しちゃうと「悪いのは俺じゃない。組織の繁栄のためにそうせざるおえなかったんだ....」と考えるようになる生き物なんです。

消費者も冷静になる必要があるかもしません。一連の偽装表示がまかり通ったのは、我々が高級(高額)な材料の使用→価値が高い(美味しい)と、無条件に信じて不当な対価を気前よく支払ったからです。豊になった我々日本人の安易なブランド指向がこういう事態を招いているのでしょう。人を疑えとはいいませんが、結局は自分の責任で対価に見合うだけの価値があるか否かを冷静に見極める必要があるのです。実に難しい判断が常に求められる世になりました。まったくもって大変な時代です。

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