こだわり住職のよもやま話

2013年

有ると無いでは大違い

2013年12月27日

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平成25年も残すところあと四日と少々です。振り返れば今年もいろんなことがありました。春は桜の開花が早くて驚かされました。その後は台風が大当たりの年になって各地で水害が多発、竜巻も沢山発生しました。秋の到来はとても遅くて、結局いきなり冬がやって来ました。山寺はお盆前に新しい本堂が完成し、お披露目を兼ねた大施餓鬼会が1年ぶりの寺法要でした。11月には補修で御本尊がお留守の状態で十夜会を行いました。その後はいつものように大イチョウの葉っぱの片付けに追われましたが、ここ一ケ月はいたって静かなものです。さて、本日は久しぶりに大きな出来事がありましたので報告します。

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実はかねてより念願の荘厳具が納入されました。檀家の安部照義氏からのご寄進です。まことに有りがたいことです。本日は寺の歴史に残る重要な一日となりました。なぜなら、こういう大物は半永久的に残る(残すべき)重要なアイテムだからです。山寺は新本堂が一応完成し、いっちょ前に格子の天井になりました。しかしその天井からぶら下がっているのは、もともとあった吊り灯籠一対のみです。これはこれですっきりしているし(?)悪いことじゃ無いんでしょうが、よそ様のお寺を拝見した後に我が山寺の姿を見ちゃうと、本来一番目立つはずのものが無いんですからやっぱ寂しかった。それはおそらく内陣天井を飾る最も重要な荘厳具です。「どうにかしたいなー、どうにかしたいんだがなー」と思い続けていたのが、遂にやって来たのです。だからその嬉しさは格別でした。

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さて、その重要な荘厳具ってやつですが、ご覧の通りキンキラの七夕飾りみたいなでっかい飾りであります。正式には憧幡(どうばん)と呼ばれます。内陣の天上からぶら下がるそれは、お寺によっては床に届きそうなくらい大きなものだったりするので、そりゃー目立つものです。だからこれが有ると無いでは大違いです。一応この私も仏教者ですから、欲から(なるべく)離れるように努力している(つもり?)のですが、こればっかりは「欲しいなー、欲しいなー」って、ずっと思っていました。山寺の坊さんの夢がまた一つ叶いました。

十夜会が終了しました

2013年11月26日

24日に今年最後の寺法要となる十夜会が開催されました。当日のメインイベントは本山派遣講師によるお説教です。それで前座(?)となる十夜会のおつとめは、帰省中だった息子と日没礼賛を少々早読みでやりました。息子の学校が推薦入試で五連休となり「することないから帰ろうかなー?」と連絡してきたので、これ幸いと呼び戻しました。ありがたいことに、小山家まりんの供養を皮切りに、安部家の法事、十夜会の準備と当日のおつとめと、実に効率良くお坊さんのお仕事を実践させることができました。彼にとっては充実した五日間(迷惑?)だったことでしょう。

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今回のお説教は福岡県岡垣町の真福寺住職 高原正明師のお話です。もう10年前の話になりますが、実は高原さんのお母上と私は本山でお坊さんの資格を頂戴するための厳しい修行(加行)を一緒に過ごした同行人でした。通常は若い人が受ける加行を一念発起して宗門の最高齢記録を更新された方で、おそらく今でもその記録は破られていないのではないでしょうか。当時、同行人仲間の男性陣では私が一番歳をくってたのですが、高原さんのお母上がいらっしゃったので男としてと弱音など吐けない状況でありました。実に懐かしい思い出です。そういうご縁を頂いたおかげで、この私も最後までなんとか耐え抜くことができました。高原さんのお母上には今も大変感謝しております。

H25十夜会お説教

さて、そのスーパーウーマンの息子さんである正明師は学校の先生をされています。さすがに職業柄、人前で難しい話しを優しく解説してみせるのはお手のものです。今回はPCとプロジェクターを用いて視覚にも訴えるお説教です。実に解りやすくて良かったですね。私もサラリーマン時代にプレゼンで少々やっていましたので、その効用は充分承知しています。ただしお道具が必要ですからどこでもとはいきませんし、設置とかも結構面倒です。高原さんは自前を持ち歩いてお説教をされているのですが、山寺にも一式備えてあるので事前にセッティングしておくことが出来ました。たまにしか使わないプロジェクターが役に立っちゃいました。よかった。本来優秀な説教師でしたらそんなお道具なんて不要なんでしょうが、あったらあったで、これが実に効果的なんです。「やっぱこれだわなー」と、一人納得した次第です。

真福寺住職 高原正明師

 

小山家愛犬まりん転生安楽国

2013年11月22日

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一昨日、釣友の小山氏が家族一同(四人と一匹)で山寺へやってきました。 実は小山家の愛犬が死去したので、供養の為に私を訪ねてくれたのです。ワンちゃんの名は「まりん」でした。なるほど、いかにも釣りキチの小山氏が可愛がっていた愛犬らしい名です。その子は棺代わりの箱の中で沢山の花につつまれていました。白い毛並みにピンクのリボンがよく似合っていて、まさにぬいぐるみの様な綺麗なワンちゃんでした。

到着した小山氏は、私の前ではいつものように陽気に振る舞っていました。しかし、きっと随分落ち込んだはずです。ましてや、彼の奥さんはさぞかし涙を流されたことでしょう。私は開口一番「(こんな遠くまで)よく(まりんちゃんを)連れてきて下さいました」と、ご家族の前で申し上げていました。事実、北九州からこんな田舎まで高速で来てくれたのです。きっちり供養して差し上げねばなりません。今回偶然にも息子が帰省していたので立ち会わせることが出来ました。彼はすでに葬儀を何度か経験していますが、ワンちゃんのケースは初めてになります。江戸期から牛馬等の生類供養を行って来たこの寺の歴史を認識させ、それを実践する貴重な機会に恵まれたのです。ありがたいことです。

まりんの供養は、まず大日如来の御宝前で読経一式とご家族による焼香をして頂きました。その後、古式にのっとり山寺の墓地の一画に設けた動物専用の場所へ移動して埋葬しました。いわゆる土葬です。その際に重要なのは、ご家族の手で土をかぶせて頂くことです。あえて申せば、お葬式は別れの儀式であり残った者が悲しみをこらえて心の始末をつける儀式です。ですから、最後の工程はぜひとも残った者達が自らの手で実行して頂きたいのです。そうすることが、死を受け入れ心のけじめをつけることになるのですから。

まりんのお墓は、しばらくは埋葬した場所にある土まんじゅうになります。しかし、いずれは土中の遺骨を回収して山寺の生類供養塔に改葬することになります。そして、それ以降は、こちらの供養塔が、まりんの正式なお墓になります。長らく日本人はこういう方法(土葬)で故人とのお別れと墓石建立をしてきました。江戸期の一般庶民の個人墓はたいていそうです。古い墓地を観察すれば、それは察しがつきます。所狭しと並ぶ個々の墓石の下に、それぞれの棺桶を埋葬する大きな穴を掘れたはずはないのですから。故人の亡骸は別の箇所に一度埋葬し、後にあらためて墓石を建立していったのです。ですから、古い時代の墓石の下から、まるまる全身のお骨が出て来るなんてことは通常ありません。

それにしても、こういうやり方の供養は田舎の山寺だからこそ可能なことです。すでにお骨の状態であれば、直ちに生類供養塔へ納骨することが出来ます。一般的にはそれが普通ですし一挙に決着がつきます。それはそれで悪いことではありません。しかし、古式にのっとった今回のようなやり方も、これはこれで捨てがたいものがあります。かなり面倒なのは事実ですが、一度きりのことですから、施主に賛同して頂けるならなるべく丁寧に葬ってあげたいものです。いずれ改葬の際には、小山氏と二人でスコップを片手に彼女を供養塔へ移してあげることになるでしょう。

平成25年11月18日寂 小山家愛犬 俗名まりんの冥福を祈ります。

日本人の美徳はどこへ

2013年11月06日

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メニューの不当表示に関する最近の報道を見ていると、ついついぼやきたくなります。有名ホテルチェーンのレストランでのメニュー表示問題を皮切りに、とうとう日本有数の老舗百貨店でも同様の嘘が発覚しました。「いいかげんにせいよ」って言いたくなります。そしてなんだかとても哀しくもなりました。思えば東日本大震災の際に日本人の誠実さは海外から高く称賛されたものです。もし諸外国で同じことが起きたなら、助け合いどころかたちまち略奪の横行で手の付けられない状態になっていても不思議ではないのに....と。日本人は驚くほど忍耐強く冷静であり、そして他人を思いやる優しさで醜い争いなど起こさなかった....等と、海外の記者がさかんに伝えていたことはまだ記憶に新しいところです。この他人を思いやる心や誠実さこそ日本人の美徳でした。なのに、このていたらくです。生まれてこのかた全く嘘をついたことが無い人なんていないでしょうが、だけど今回の報道を見ていると心中穏やかではいられません。

本来日本人は人を欺く嘘を平気でつく国民ではありません。そんな誇るべき国民性から生まれるメイドインジャパンは、今でも世界で最も信頼されるブランドのはずです。なのに次々と出てくるのは、どうも個人の問題というよりも組織のありかたに原因があるように思えてなりません。謝罪会見に出てくる責任者らしき人々は一様に「これは偽装ではなく誤表示である」とか「管理ミスであり故意ではない」などと言い訳がましいことに終始します。「申し訳ありません。我々は嘘をついてました」とは絶対に言わない。いや、言えないのである。おそらく、当の本人も内心では嘘をついていて申し訳ないと思っているに違いありません。だけど、それを許さないのが組織のおきてです。人は組織(企業)に属しちゃうと「悪いのは俺じゃない。組織の繁栄のためにそうせざるおえなかったんだ....」と考えるようになる生き物なんです。

消費者も冷静になる必要があるかもしません。一連の偽装表示がまかり通ったのは、我々が高級(高額)な材料の使用→価値が高い(美味しい)と、無条件に信じて不当な対価を気前よく支払ったからです。豊になった我々日本人の安易なブランド指向がこういう事態を招いているのでしょう。人を疑えとはいいませんが、結局は自分の責任で対価に見合うだけの価値があるか否かを冷静に見極める必要があるのです。実に難しい判断が常に求められる世になりました。まったくもって大変な時代です。

灯篭に灯が入りました

2013年10月23日

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ずっとぶら下がっているだけだった吊り灯篭が本日点灯するようになりました。いろいろ都合もあって工事は延び延びになっていました。ようやくというか、やっとというか、無事通電完了で灯が入りました。この吊り灯篭ってやつですが、本堂内陣の荘厳としては超定番のアイテムです。御本尊をほんのり照らすために天井から下げるのですが、これが有ると無いでは内陣の雰囲気は随分違って来ます。だから外せないんですね。吊り燈籠自体はびっくりするほど高価なものではありません。だけど点灯させると山寺の内陣がすっかり違って見えてくるから「あら不思議」です。どうです?良い感じでしょう。必要も無いのについついスイッチを入れたくなりそうです。

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ところで本日の電気工事ですが、作業の様子を見ているとハラハラドキドキでしたね。なんてったって天井が思いっきり高いですから足場にしている脚立の高さも半端じゃありません。あの頂上に登ってゴソゴソやるんてすからね。口石さんは(写真の電気工事士さん)それが仕事だから慣れっこなんでしょうが、見るからにヤバイ光景です。私なんて見事な高所恐怖症ですから、あんなとこには登りたくありません。しかしです。よく考えてみれば天井に埋め込まれた照明器具の蛍光管はいつかは取り替える時が来ます。そして、その際には、おそらく自分でやることになるのです。だって、その都度電気屋さんを呼んで交換なんてまどろっこしい事はしないでしょうからね。そう考えると、ますますドキドキして来ます。

惚れること

2013年10月16日

シルバー川柳2

老眼がずいぶん進みました。私のようにど近眼だった者が中高年になると実に面倒です。遠くも近くもピントが合わないのですから不便極まりない。PCの文字はとても見ずらいし手書きの際には自分の書く文字もあやしくなります。おかげさまで(?)最近は読書がすこぶる面倒になりました。妻がお勧めの本を図書館からどんどん借りてきてくれるのですが、これが度々渋滞します。返却期限が迫ってあわてることになる。若い頃はこれでもかなり速読だったんですが。

さて、すっかり読書量が落ちた私ですが、本日は「こりゃおもしろいわー」と思った本を紹介します。タイトルは『シルバー川柳 誕生日ローソク吹いて立ちくらみ』と、その続編で『シルバー川柳2「アーンして」むかしラブラブいま介護』です。社団法人全国有料老人ホーム協会とポプラ社編集部がコラボで出版している川柳集です。小説と違って前から順番に読み進む必要がありません。読者層を考慮してあるのでしよう、文字はとても大きくてほとんど眺めるに近いような装丁です。(老眼の私にはありがたい)掲載作品はいずれも思わず笑えちゃいそうで実はそうでない。そう、含蓄に富んだ作品ばかりなんです。

巻末には次の様にあります。『本書は、超高齢社会ニッポンの縮図でもあり、メッセージ集でもあります。・・・中略・・・年を重ねることは、誰もが進む道をゆくということ。山あり谷あり、楽しいことばかりではないデコボコ道だけれど、年を重ねたなりに見えてくる景色もあります。・・・・』

気に入った川柳を一点上げておきます。言われてみれば、つくづく漢字は深いなーと思った作品です。

『老いの恋 惚(ほ)れる 惚(ぼ)けるも 同じ文字』 

10月とは思えませんね

2013年10月12日

昨日の関東地方はびっくり仰天の暑さでした。山口はそこまでではなかったのですが、それにしても今年も10月とは思えない気温の高さです。近年の状況を考えるともう異常気象とは呼べないのかもしれません。山寺の植物たちもすっかり調子が狂っています。本日境内で目にした光景を並べてみました。

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柿がたわわに実る秋だというのにアジサイとツツジが咲いています本来なら違う季節のはずですが、これからはこれが普通になって行くのかもしれませんね。

お寺用の大きな風鈴?

2013年09月20日

光明寺の風鐸

山寺の新本堂はコスト削減の見本みたいな建物ですが、それでも内心ちょっとした贅沢かな?と思えるところもあります。例えば屋根の隅にぶら下がっている青銅製の小さな鐘(?)がそうです。取り付け後に初めて目にした妻が「お父さんこれってお寺用の大きな風鈴なん?」とおっしゃったやつであります。ご覧の通り本堂の屋根に取り付けられる飾りの一つですが、正式には風鐸と呼びます。辞書によると『ふう‐たく【風鐸】(1)仏堂や塔の軒の四隅などに吊り下げる青銅製鐘形の風鈴。(2)風鈴(ふうりん)に同じ。広辞苑 第六版 (C)2008  株式会社岩波書店』とあります。だから妻の言葉はある意味正解でした。

私的にはコストパフォーマンスが素晴らしいので良いお買い物だったと自画自賛しています。風が吹くとカランーカランーと何とも言えぬ優雅な音を響かせてくれるのが素晴らしい。おまけにこうやって写真にすると質素な本堂はほんの一部しか写りません。山寺が実に雰囲気の良いお寺(まるでどっかの名刹みたい)に思えたりするのです。(人は勝手に想像をどんどん膨らませる事が出来ますからネ)そういう意味でもちょっぴり贅沢な気分に浸らせてくれる有りがたい風鈴です。

これも自然の恵み?

2013年09月14日

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ひさしぶりに霊場の山を回ってみると沢山のキノコを目にする事が出来ました。この手のもの(秋の味覚の一つ?)に詳しい方によると、中にはかなり美味しいやつもあるらしいのですが、素人が安易に手を出すのはヤバイです。当然私は見るだけですが、それでもさまざまな色と形があるので撮影してみました。この白いキノコはフワフワのとんがり帽子を付けたメルヘンチックなやつで傘の大きさはソフトボール大でした。

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ぱっと見はまるでシイタケですが、やっぱ違うんでしょうね。

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優しい感じのする真っ白なキノコです。もしかしたら美味しいかも?

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こいつは見るからにヤバそうなキノコでした。毒があるかもね。

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これはイノシシの浴場(泥浴び場)です。霊場の森は彼らのえさ場(ドングリ・竹の子・ミミズや昆虫等)ですから、こんな風に泥浴びの跡や竹の子を掘り返した穴があっちこっちに見られます。

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最後に本日の本堂前です。こちらには人間さまにとっての自然の恵み(?)が徐々に出現しつつあります。(本音をいうと自然の惠みどころか毎年恒例の厄介者です。昨今では拾ってくれる人も少なくなったので後片付けで苦労します)今後しばらくの間、本堂前はギンナン爆弾警報が発令されたままとなりますので我々人間は安易に近づくことが出来ません。それにしても誰か拾いに来てくれませんかねー。

 

日本語は難しい

2013年08月28日

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仏具の総合カタログを眺めていると意外なこと(?)に気づきます。大抵の仏具には基本的に同じ物でも仕上げの違いで異なる価格が表示してあります。それでその違いをよく見ると、奉仕品・普通品・上等品・別上品・極上品・高級品・特誂品なんて言葉が使われていて、この上下関係が少々気になるのです。例えば本堂の中心に据えられる高額商品の筆頭ともいえる三尊宮殿の場合だと、お安い方から極上品→高級品→特誂品のランク付けになっていました。特誂品が一番お高いのは何となく解ります。まさに特別誂えなんでしょうからね・・・。問題は極上品と高級品の上下関係です。日本語としては正しいのかもしれませんが国語力の無い私にとっては極上のほうがなんとなく上に思えてしかたありませんでした。

これが上等→高級→別誂なら納得します。しかし『極上品』といわれたら『そりゃ高級品より上じゃろー』と思ってしまうのは私の感覚がおかしいのでしょうか?この『高級品』という言葉ですが、私にとっては手垢のついた実に安っぽい言葉に思えちゃいます。世間には高級○○という名の安物が山のようにありますからね。本当に上質で贅沢な品にあえてランク付けの言葉を添えるとしたら、私は絶対に『高級品』とは呼びたくありません。これって私のひがみ根性でしょうか?(本当の高級品には縁が無い私ですから・・・)それにしても日本語は難しいですね。

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