こだわり住職のよもやま話

2011年

この木なんの木?

2011年05月12日

兼六園の灯籠.jpg

本日は前回記事の続編です。永平寺の参拝後に安養寺さんを見送った我々は、次に金沢の兼六園へ移動しました。さすがに日本三名園のひとつです。見事なものでした。ここで一番よく知られている場所といえば、たぶん徽軫(ことじ)灯籠が据えてある池の畔でしょう。写真やテレビでよく目にする代表的な景観ですからね。私は初めて訪れたというのに、なぜか妙に懐かしいような、ほっとするような、少々不思議な感覚でした。「あー、ここ、ここ、お約束の場所だー」とつぶやきながら、思わず一枚パチリでした。園内は桜が満開でした。紅葉の季節の方が写真的には良いのでしょうが、桜の花びらが湖面に浮いているこの時期も、なかなかどうして素晴らしいではないですか。兼六園には毎年11月になると雪吊りが始まる黒松の大木群や花弁の数が異常に多いことで知られる「兼六園の菊桜」など、立派な樹木が沢山あります。しかし、私が一番気になったのは表示も何も無いただの古木でした。

兼六園の気になる木.jpg

その大木はまだ新葉が出始めたばかりでした。芽吹いている個所がずいぶん高い位置なので識別が困難で、もしかしたら紅葉かもと思えたからです。そうだとしたら、めったにお目にかかれない大木です。日立製作所のCMソングで「このー木なんの木、気になる木」って有名なのがありますが、まさにその気分です。場所は金沢医療センターの目の前、兼六坂上交差点のところから園内に入場するとすぐ右手の奥にトイレが有ります。その斜め向かいあたりでした。今なら葉が茂っていて容易に確認できるでしょう。それにしても気になったなー。

住職って24時間体制ですから

2011年05月06日

永平寺法堂.jpg

4月20日から二泊三日で行われた本山参りから帰った翌日、私は組寺の安養寺さんのところへ葬儀のお手伝いに参りました。そのいきさつを今回は書きます。ちょっとした事件でしたからね。

それは団体参拝二日目の朝でした。参拝旅行の観光がスタートする初日です。我々は朝一番で訪れた永平寺の長い回廊を移動中でした。その最中に安養寺住職(若﨑哲英師)の携帯へ緊急連絡が入りました。そう、お葬式です。タイミング悪すぎです。(悪いなんていっちゃダメですよね。)申し訳ありません。でも実際「こりゃ困ったなー」でした。だって我々は福井県の永平寺にいるのですからね。今春私は連チャンで京都から引き返すという奇跡的な(?)巡り合わせに遭遇しましたが、今度は安養寺さんの番(?)であります。さてどうするかですが、住職は迷うことなく王道を選択されました。「すぐ山口まで帰るぞ」です。やはりこれしかないですよね。

永平寺の参拝後は次の目的地である金沢の兼六園へ移動するため、福井インターから高速へ乗ることになっていました。それで、そのインター入口で安養寺住職を「ご法務がんばってください」とお見送りしたのであります。その後、住職はタクシーで福井駅へ向かい山口まで鉄路で帰られました。その日の夕方に枕経のおつとめをされ、翌22日通夜、23日が葬儀でした。永平寺から福井インターへ向かうバスの中で「23日あいてたら葬儀の手伝いたのむわ」とオファーがありました。山寺は暇ですから直ちに了解です。そういうわけで私は参拝旅行から帰った翌日に出向いたのですが、まさか持病(腰痛)が再発して四苦八苦するなんて、その時は知るよしもなかったのであります。前回の記事に書いたとおり白帯グルグル巻きの裏技(?)でなんとかご迷惑を掛けないで済みましたが、まさに冷や汗ものでした。

ところで蛇足ですが、山寺の葬儀は安養寺さんのやり方とほとんど同じです。引導文も住職が使用されているもののパクリです。初めて葬儀のお手伝いに伺った時に、とうとうと述べられる引導のセリフが実に格調高くて感動しました。それですかさずお願いして教えを請いたのです。以来ずっと私は大袈裟な疏(筆書き風の印刷した文書)を毎回用意して、実に恭しく(?)読み上げさせて頂いております。その点、安養寺住職は完全に暗記されていますから事前の準備などまったく不用です。うらやましいったらありゃしません。

根雪が残る永平寺.jpg

さて、絶妙なタイミング(?)で安養寺さんへ葬儀の連絡が入った永平寺は、ごらんの通り雪がしっかり残っていました。「やっぱ、こっちはちがうわねー」であります。4月下旬でこの状態です。山口では考えられないことです。境内に張り巡らされた回廊のありがたさを思い知らされます。これが無かったら冬は移動なんてとても出来ませんからね。こういう風景を目にすると、ぜひ本格的な雪の季節に訪れてみたくなります。一面銀世界の永平寺こそが最も永平寺らしいと思うからです。

それにしても坊さんて因果なお仕事ですね。(また問題発言である)どうしても24時間体制にならざるを得ないのです。いちばん辛いのは、めったなことでは旅行に行けないことかもしれません。そして、そういう時にかぎって緊急事態が発生するのです。

今年もしっかりまきました

2011年05月01日

平成23年大日祭転読修行

4月29日、大日祭り・花祭りが盛会に終了しました。例によって今年もお餅と菓子を派手にバラまきました。大日祭りと花祭りが同時開催となり、締めくくりの一大イベントもすっかりおなじみです。それで、お参りされるみなさんも心得たものです。見れば手に手に大きな袋やカゴをしっかり持参ではありませんか。思わず笑っちゃいそうでした。うーん素晴らしい。実に素晴らしい。見事な心がけであります。ここまで準備万端の姿を目にすると少々プレッシャーでもあります。だって、とっても期待されているのがひしひしと伝わってきますからねー。来年もがんばらないといけませんね。

花祭り勤行

ところで今回の法要ですが、私は事前の準備で大変な思いをしました。この件で少々ボヤかせて下さい。前回の記事でもふれていますが、今年は直前に法然上人800年御遠忌の団体参拝が行われました。その旅行に同行した私は、帰ってくるなり持病の腰痛が再発してひどい目に遭いました(今も痛みます)団体参拝から帰ったら、ただちに大日祭り・花祭りの準備をしなくてはいけません。それなのに自分は腰痛で思うように動けません。たよりの妻は仕事があるのであてになりません。これには弱りました。幸い山寺に法事の予定は入っていませんでしたが、4月9日記事に書いた通り、先月末にお葬式が続いたので、23日と26日に中陰参りの予定が入っていました。それともう二件お仕事があった。

もちまき

ひとつは団体参拝から帰ってきた翌日でした。急遽、組寺のお葬式のお手伝いに行くことになったのです。(この件については、後日詳しく書きます)私は旅行から帰った夜から腰痛が一挙に悪化し、歩くのも辛い状態でした。さあ困りました。いまさら病院へ駆け込む時間はありません。それで白衣を着用する際に使用する博多帯を、コルセット代わりにして何とかしのぎました(今もやってます)私の腰は綿で織られた丈夫な白帯でキリキリと締め上げられました。すると贅肉が帯の上にしっかりはみ出るわけですね。(あー見事に妻と同じ体型である)つくづく「体重を落とさないとまずいなー」と痛感しました。

もうひとつのお仕事は、翌24日(日曜)の役員による境内の清掃作業でした。みなさんが奉仕作業にやってきて下さるのに、住職が腰痛で欠席では申し訳がたちません。それで無理して作業をしたのですが、これが決定的なダメ押しとなりました。翌日は終日床から起き上がることさえ出来ません。29日は目前です。結局、まるで妊婦さんのように白帯をぐるぐる巻き付けて、痛む腰をかばいながら法要の準備をなんとか終えたのは前日の夜遅くでした。「あーホントに疲れたー」です。やはり日頃の行いが悪いのかもしれません。(實空俊德心から懺悔いたします)

今回ひどい目にあったので少々利口になりました。大日祭りでは12箱(600巻)もある大般若経の転読修行を行います。この経箱を移動させて会場の準備をするのですが、重いので腰にこたえます。それで来年のことも考えて今回セッティングした会場をそのまま残す事にしました。よく考えたらそのままでもさして支障はないのであります。

この世には三人いるらしいのですが

2011年04月26日

800年御遠忌の本山御影堂.jpg

20日の早朝より三日間、本山御忌会(法然上人800年御遠忌法要)の団体参拝へ同行しました。70名あまりで法要に出席し、その後は福井・石川・岐阜と各地の観光名所をめぐる二泊三日のちょっぴり贅沢な旅をさせて頂きました。今回の参拝旅行を振り返る記事を書こうと思うのですが、詳しいことは次回にします。実は持病の腰痛が悪化して、昨日よりPCの前に座っているのも苦痛なのです。とりあえず総括として個人的な感想を少々書いておきます。思うに今年の団体参拝は実に充実していました。山口と大阪間は行きも帰りも新幹線ですが、後はずっと2台のバスで移動しました。本山での法要の後、我々は初日の宿泊先である山中温泉(石川県加賀市)を目指して素早く移動しました。翌日はまず永平寺へ参拝し、昼食の後に金沢の兼六園を見学しました。その後は世界遺産白川郷を訪ねてから、二日目の宿泊先である高山市内へと入りました。三日目は早朝より高山市内の観光を行い、さらに円空仏の千光寺を訪れてから昼食をいただきました。その後は一路新大阪駅を目指して高速を走りました。バスでの移動距離が長くて少々強行軍ではありましたが、実に良い旅でした。

旅行といえば、なんといってもお宿とお食事が重要ですが、(私くらいの年齢になると温泉も重要であるが)三日間に渡っていずれも申し分ありませんでした。今回のプランはJTBの下関営業所さんが手配してくれました。すでに書いた通り内容は充実していましたし、宿と食事そして温泉も文句無しです。さすがに大手の旅行代理店だけのことはあります。それと印象に残ったのが大阪ヤサカ観光バスのベテランガイドさん。素晴らしい知識でした。長時間にわたり実に落ち着いたトーンで解説しつづけられ、要所では泣かせる話も織り交ぜて見事なガイドでした。よくあれだけのことを正確に覚えておられる。恐れ入りました。ここまで詳しいバスガイドさんは、そうそういないでしょう。

さて、最後に個人的に一番印象深かった方について触れておきます。それは今回の添乗員であったJTB下関営業所の平田さんである。まだお若いのだが、良い仕事をしてくれました。それと、その彼女だが、私の娘にそっくりなので驚きました。(我が娘より少々お姉さんではありますが)「この世にはそっくりな人が三人いる」なんて言葉がありますが、その容姿というか見た目の雰囲気はもちろんのこと、掛けてたメガネのデザイン(メガネ屋のCMに登場してたベッキーちゃんが掛けてるやつ風)も同じでした。彼女は(我が娘も)色白で小顔です。最近の若い人たちに多いのだけど、アゴがとっても小さいのです。(堅い物食べない影響かも)それでもって、その小さなアゴの下がちょぴりプヨプヨしてるのである。おもわずなでたくなります(これってセクハラだよなー)。メガネで隠れがちだけど、実は大きな瞳です。ほほえむと口角がキュッと上がるのでひときは好印象です。だいぶ前になるけど、アフラックのCM(アヒルが出てくる保険会社)に出演していた宮崎あおいさんと同じです。宴会の時にお酌をして頂きましたが、娘がしてくれているみたいでひどく感激です。なぜなら、私は娘にお酌して頂いたことはありません。今後もそんな機会は無いかもしれませんので、ひときはありがたかったのであります。(実に個人的な感慨で申しわけありません。)

相続は仏教語でした

2011年04月25日

ロウソク.jpg

ここ最近、新幹線で京都へ出かけることが続きました。移動中の時間は退屈ですから、私は必ず雑誌や単行本を手にしてから乗車します。先日京都から帰る際に読んだ本は、おもわず「これは良い本に出会えたな」と思いました。私たち日本人は仏教語を日常的によく使っています。しかし、それが仏教由来の言葉だと知らずに使っていたり、仏教本来の意味とは違う使い方をしていることが意外と多いものです。その本は、そんな数々の仏教語をやさしく解説してくれています。実に気軽に読める仏教入門書でもあります。本願寺出版社・辻本敬順著・くらしの仏教語豆辞典(上・下)という書籍ですが、わすが600円です。実にお値打ちです。とても良い本ですから、その中から一つご紹介したいと思います。

お題は「相続」です。相続と聞くと、筆者も書かれているように、我々は「遺産相続」なんて言葉をつい連想しますが、実は「相続」とは、いろいろなお経の中で出てくる言葉であり、元々は仏教語だったのです。不勉強な私は「あっ、そうなんだー」でありました。以下内容を一部引用させて頂きます。

・・・仏教では、すべての現象は諸行無常で、変化して一瞬一瞬生滅すると説きますが、その流れは継続するといいます。今、ここにローソクの火があります。その火それ自体は、一瞬に燃えつきて滅し、その直後に別の火が燃えて、それが絶え間なく連続するから、一つの火として燃えているように見える、というわけです。つまり非連続の連続。これが相続で、「倶舎論」などいろいろな仏典に出て来る仏教語です。その仏教語が現代使われているように、引き続き起こること、受け継ぐことの意味となって、一般にも用いられるようになりました。・・・(一部抜粋)このように辻本敬順師(著者)は解説されています。うーん、実に解りやすいですね。おまけに結びの一文が素晴らしい。

・・・相続といっても、財産や名誉を相続することばかりに、うつつを抜かさないでくださいよ。お念仏相続という、大切な相続もあるのですから。

いやー、おっしゃる通りであります。恥ずかしながらこの私も仏教者の端くれです。お念仏の相続を肝に銘じなければなりません。よい勉強をさせて頂きました。

日頃の行いが良いのか悪いのか

2011年04月09日

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発端はこの春から京都で暮らすことになった息子のアパートへ、山口から車で荷物を運び込んだ夜のことでした。先月28日の午前1時31分、私は携帯のコール音で飛び起きることになりました。ディスプレイに表示された発信者名は責任総代の安部哲男さんです。時間が時間ですから察しはつきました。たぶんお葬式です。案の定たった今お父様が亡くなられたので病院から連絡しているとのことでした。さて困りました。今から直ちに山口まで帰るのはもう無理です。本日はすでにくたくたですから、とりあえず朝まで眠らないと運転などとても出来ません。しかも、車で引き返すとなると7時間近く考えないといけないので、朝出発しても枕経は結局夕方になります。それで少々考えた後にひらめいたのは「朝一の新幹線しかないな」でした。ネットでさっそく時刻表を検索すると、新大阪発の一番列車、6時発の「みずほ」と広島から「こだま」を使えば、なんと8時26分に厚狭駅に到着できます。妻に迎えに来てもらい、枕経の支度を調えて9時半頃には安部家に到着出来ました。

つくづく新幹線はありがたいです。ただし車は本山の駐車場に放置したままです。息子の住まいの準備も中途半端のままで放り出しています。それで葬儀が終わった翌31日に、私は再び朝一番の新幹線で京都へ向かいました。到着後本山に停めたままの車をとりに行き(これがすこぶるめんどうです)息子の生活道具を調達するためにホームセンターへ向かいました。すると再び事件です。

それはまもなく目的の店舗へ到着というタイミングでした。携帯が鳴りました。発信者は檀家さんです。法事の予約かなと思いつつ電話を取ると、あろうことか、またお葬式です。午前10時31分でした。さすがに驚きました。ふたたび新幹線で引き返すしかありません。そのお葬式を4月2日に無事済ませてほっとしたのもつかの間、5日には再び上洛しました。サラリーマン時代に大変お世話になった加藤取締役のお宅(名古屋市内)へ5日に伺う予定が入っていました。それと毎年恒例の同行人会が今年は7日の午後になっていました。この2件と中途半端になっている息子のアパートの件を一挙に片づけるために、5日の朝一番でまず名古屋へ行きました。加藤さんと奥様のお二人に生前戒名の授与式を行い、名古屋市内の立派な料亭で昼食を頂いた後に息子のアパートへ戻りました。6日は終日ホームセンター等で息子の生活に必要なものを調達し、翌7日は毎年恒例となった同行人会行事として、本山でのおつとめに一同で参加した後、河原町の飲食店で深夜まで話し込みました。そして8日早朝には本山の駐車場へ長らく放置したままだった車をとりに行き、雨模様の中をけっこうなペースで山口まで高速で帰りました。その日は午後3時から組寺の集会があるので急いで帰らなければならなかったのです。

こんな調子でここ最近は実に過密な日々を送りました。思うに、これって田舎の坊さんがすることじゃないような気がします。いつから我が山寺はこんなに忙しい寺になったんでしょう?日頃の行いが悪いからでしょうか?いやいや日頃の行いが良いから貴重な経験をさせて頂けたのだと思うべきでしょうね。今月は20日~22日にも本山御忌会の団体参拝で上洛することになります。今春の私はまるで出張づくしの営業マンみたいです。

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本日はひさしぶりに山寺に出勤です。この2~3日で境内の桜が一挙に開花していました。光明寺のしだれ桜もすでに7~8分咲きです。今年は寒かったので開花が昨年より一週間遅くなりましたが、今日以降しばらく雨が降らないでくれたら長く楽しめてありがたいのですが。さてどうなるでしょうか。

東日本大震災物故者之精霊増長菩提

2011年03月20日

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昨日は大震災で亡くなられた方々のために行われた中尊寺の法要が報道されていました。我が山寺も15日の彼岸会で、ご参詣の皆さんと共にお念仏を称えて犠牲者の冥福をお祈りしました。今年の彼岸会が急遽追悼式を兼ねた法要になるなんて。私はふと小泉さんが言ってた「人生には三つのサカがある」という言葉を思い出しました。人の生涯には登りサカの時があれば下りサカの時もあります。そして、突然おとずれる三つ目のサカもある。そのサカは「マサカ」と呼ばれて来たのだと。

これほどまでの大災害を誰が予想したでしょうか。どれだけの人々が涙したことでしょう。それでも事態は現在も進行中です。私たちはこの現実を受け入れるしかありません。そしてこれからも生きていかねばなりません。過酷な被災地で懸命に戦う人々の姿に感銘を覚えます。国内はもとより海外からも支援や温かい励ましが多数寄せられています。およそこの世で人間ほど残酷で罪深い生き物は無いかもしれません。しかしこれほど崇高で素晴らしい存在であるのもまた人間です。いまこそ日本人の、そして人類の真価が問われています。

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山寺の彼岸会は勤行に引き続き、西迎寺住職 山下俊茂師より、お説教の冒頭で本山ご法主のおことばをお伝え頂きました。そのおことばには「他力念仏の真意を胸に、ありがとうにつつまれてを心に、世の人々に光明を与えん」とありました。いま多くの人々がたとえようのない哀しみに沈み、命の重さに深く思いをめぐらせていることでしょう。そんな状況の中で被災者のみなさんに救いをもたらすのは、数え切れない多くの人々の思いと具体的な行動です。そして、そこから生まれる感謝の思い、ありがとうの心が、明日への希望につながるのだと信じております。

今私たちに出来ること

2011年03月17日

東日本大震災で一番心に響いた画像集より.jpg

「津波を利用して我欲を洗い流す必要がある。日本人の心のあかをね。やっぱり天罰だと思う」と発言した石原東京都知事に対して、非難の声が多数上がったのは当然でしょう。歯に衣着せぬ発言こそが石原氏の「らしさ」であることは誰もが認めるところですが、間違いなく戦後最大の災害であり今も拡大中である重大局面での発言です。「我欲を洗い流す必要がある」の言葉は、ご本人の信条を強く反映させたものであることは想像できますが、「津波を利用して」だとか「天罰」などという言葉は少々無神経でした。石原氏は発言が問題視されてよく話題になりますが、そんな時の都知事の姿は、私には思い込みが強烈に激しくて他人の意見にまったく耳をかさないがんこ老人にしか見えません。私もいずれそんな老人になって周囲に迷惑をかけるのかもしれません。ですから若輩者があれこれ意見するのは実におこがましいのですが、しかし氏は東京都知事です。その責任と影響力を考えると一国民として一言申し上げずにはおられません。ご本人は国内のありとあらゆる冨と権力を吸い寄せて、まさに我欲の象徴である東京の知事として三期君臨されておられる。「なんだかんだ言われながら、さーっと姿を消すのがいいじゃない。鞍馬天狗みたいに」と引退を示唆したり、「立候補は無い、120%無い」などと言いながら、やっぱり立候補だという。当然勝算は充分おありなのでしょう。今後も石原氏が我欲の都市「東京」の采配をされるのかもしれません。しかし、そうであれば、それゆえに、長年東京の舵取りをしてきたご自身の責任を感じ、あるいはこの国の未来を憂えるあまり、思わずあのような言葉が出てしまったのだと思いたいものです。

(坊さん)らしくないことを書きました。「我欲」という言葉を都知事が取り上げられたので、ついつい敏感に反応してしまいました。あの発言は本意が正しく伝わっていないであろう事は充分理解出来ます。しかし、大きな影響力を有する石原氏なのですから、言葉やタイミングを誤れば多くの人々の心を傷つけます。「政治家は言葉がすべて」などと言われますが、今の政治家を見ていると言葉の軽すぎる方が実に多いように思えて仕方ありません。大局的な見地から発言すれば、今回の石原氏のように精神的あるいは哲学的な考察や意見もあるでしょう。確かに私たちは知事の言うところの「我欲」に対して真摯に反省をしなければならないと思います。しかし一般庶民にとっては今はそんなことよりも、食料や燃料、電気や放射能の事が心配です。被災地では多くの人々が生命の危機にさらされながら必死で戦っています。必要なものは毛布・衣類・燃料・電池・ライト・ラジオ・水・食料・ミルク・衛生用品・医薬品などと数え上げるときりがありません。今はこんな雑多な物資が、生きる為に何よりも貴重であり被災者の生命線です。我々は東京電力の対応の鈍さに苛立ち政府の危機管理能力の低さに不満を募らせながらも、それでもこの国で生きて行かねばなりません。戦後最大の非常事態を迎えた私たちにとって、今出来ることとはなんでしょうか。それぞれがそれぞれの立場でしっかり考えて、具体的に行動するしかありません。

いよいよ春ですね

2011年03月02日

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本日は良いお天気でしたが風か強い一日でした。山寺へ出勤する道すがら大量に漂う杉花粉を何度も目にしました。最初は煙かと思ったほどです。あまりにも強烈なので思わず車を止めて写真を撮りました。すごい量です。私は全然平気ですが、アレルギーのある方は大変ですね。これもいわば春の風物詩なのかも。山寺の周囲は今は梅が咲き誇っています。その次に控える椿はまだまだです。昨年は3月10日に大雪が降りましたが、雪の中で光明寺の椿はしっかり咲いていました。でも今年はまだ一輪も開花していません。この様子だと桜も遅くなりそうですね。昨春の桜は開花後に雨が降らなかったので随分長く楽しめました。とりわけ短命な光明寺のしだれ桜と、そのしだれよりさらに開花が遅い大日堂広場の山桜が同時に咲き誇ったのですから幸運でした。ごらんの通り両者を写真に残すことが出来ました。さて今年はどうでしょうね。

春の光明寺.jpg

WEBを検索すると県内の古木や大木等の写真が掲載されているサイトが出てきます。それらをのぞくと、山寺のしだれ桜や大イチョウもあります。中でも宇部市の優二さんが開設されている「山口県の旅」https://yamaguchitabi.com/mine3.0.html と、萩市のいしさんが開設されている「山口県の樹木達」http://ishike2007.web.fc2.com/03west/02mine/021mine/01_03_01_01_03.htmは、とても見応えがあります。ご両人ともあっちこっち撮り歩いて多数写真を掲載されています。ここまできたらもうライフワークです。景勝地や大樹等のデーターベースとしてもすでに貴重なサイトです。今後もどんどん充実することを期待しています。

人それぞれの心象風景

2011年02月26日

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先日、山寺を時々訪れては写真を撮られている方から一枚の作品を頂きました。その御仁は山陽小野田市住吉にお住まいの中務英成さんです。今秋には八十三才になられるとのことで、中務さんは作品を手にこう切り出されました。「私は長年こちらのお寺の写真を撮らさせて頂いておりますが、昨秋に撮影した一枚がとても気に入っています。ご迷惑かもしれませんが、ご住職にぜひ見て頂きたくて持参しました」。作品のタイトルは「冬構え」となっておりました。山寺の本堂前を切り取ったその写真は「自分の今の心境そのものです」とおっしゃられた。画面の右下には実は一体の小さな石仏があります。すぐ目の前には西日に照らされた銀杏の影が横切っており、その向こうには観音菩薩様がおられます。「西日が作り出した影が私には三途の川に見えました。手前の小さな石仏が此岸に生きる今の自分です。私の人生も残りわずかとなりましたが、三途の川の前でたたずむ石仏に己の心のありようを重ねてみたのです...」と淡々と話されたのです。

実に印象深い言葉でした。なるほど大銀杏の長い影はまさに三途の川です。手前は我々が生きる娑婆世界(此岸)であり、その影の向こうに目をやると、まさに仏がおられる彼岸ではありませんか。深遠な仏教観が見事に込められております。私にとっては見慣れた風景でしたが、その方の深い思索につくづく感銘を受けた次第です。

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