こだわり住職のよもやま話

2011年

よい年をお迎え下さい

2011年12月26日

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「人生とは出会いと別れの連続である」などとよく言いますが、年末が近づくと、あらためてこの言葉を意識することになります。毎年、師走に入ると本堂に張り出す年回表の作成にとりかかるのですが、葬儀の際の情景や故人との思い出が次々と蘇ってきて、ついつい手は止まってしまいます。たいした件数でもないのに、完了までには意外と時間がかかります。これが毎年のパターンなのですが、そういう事って、みなさんにもあるのではないでしょうか。例えば年末になると、その年に亡くなられた著名人を次々と取り上げる番組を目にする機会が多くなりますよね。「そうだったよなー、あの人も今年だったよなー」などと、さまざまな思いを抱かれ、そして出会いと別れを意識されたのではないでしょうか。

つい先日もそういう番組を目にする機会がありました。時間があれば大抵見ているサンデー・モーニングです。今年亡くなられた著名人が次々に紹介されていました。それを見ていた妻が、そばでぽつりと言うのです。「お父さんとも、いつかはお別れなのよね」です。思わず「そうだね、その時までは仲良くしていようね」などと、私たちはまるで長年連れ添っているおしどり夫婦みたいな会話をしていました。後から思えば、かなり照れくさいセリフだったのですが、その時は素直に口に出ました。縁あって僧職についたこの私ですが、妻の一言は仏法の説く「諸行無常」を強く意識させるものです。だからドラマの主人公みたいな優しいセリフを口にすることができたのかもしれませんね。昨日は東日本大震災の特集番組が長時間放送されていました。多くの方がご覧になって、出会いと別れを意識され、さまざまな思いを抱かれたことでしょう。

ところで、今年の一字は「絆」でした。なるほど見事な選択だったと思います。3・11の大災害を経験した私たちにとっては、まさに命の絆、家族の絆、周囲の人々との絆を、深く考えさせられた年だったと思います。昨日の番組も、この「絆」という言葉を意識させる内容でした。そして、多くの人々が、平成24年の年賀状に「今年がよい年でありますように」と書くことが、昨年までとは随分違う意味の言葉に感じられたことと思います。

山寺の住職は毎年大晦日の深夜に「天下和順之文」を称えるおつとめを行います。例年通りなのですが、今年はこの文に込められている願いを、とりわけ意識することになりました。みなさまどうぞよいお年をお迎え下さい。 

天下和順之文   「 天下和順、日月清明、風雨以時、災厲不起、国豊民安、兵戈無用、崇徳興仁、務修禮譲 」

世界は平和で正しくあれ、歳月は清く朗らかであれ、天候は順調であれ、災害や疫病の起こらないようにあれ、国は豊であり人々は安らかであれ、兵器を用いることがないようにあれ、良い行いを崇(あが)め慈しみの心を持ち、真心をもって思いやりにつとめよ

今年も殺生坊主で終ります

2011年12月20日

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サラリーマン時代からの釣友である福田哲彦氏から、今年も「釣り忘年会」のご案内を頂戴しました。来る24日に私は寒風が吹きつける長門の磯でたぶん竿を握りしめていることでしょう。この行事については、2010年2月1日記事と2011年3月2日記事にも書いておりますが、あえて言わせてもらうなら、懲りない面々が脈々と伝えている貴重な文化活動(?)であり、いわば伝統行事です。一応釣り大会ということにはなっておりますが、はっきり言って、まともなお魚はまず釣れません(笑い)。おまけに超寒い。ですから、釣りの行事と言うよりは、これはもう見事な寒行です。磯に立っていると、かつて本山でさせて頂いた厳しい修行の記憶が浮かんで来て少々妙な気分になります。

さて、そんな大変な行事なのですが、「今年最後のご挨拶ですから」などと、証拠にもなく磯へ出向くわけです。昨年などは釣りの最中に吹雪いて来て、すごいことになりました。構えている竿にどんどん雪が積もるのですから開いた口がふさがりません。(大笑いです)今年もその可能性は大です。そういう行事が何十年も続いているのですから、ある意味大したもんだと思います。磯から撤収したら、まずは湯本温泉で冷え切った身体を温めて、その後は待望の忘年会へ突入となります。きっと今年も面白い話しが沢山聞けることでしょう。やっぱり、今年も私は見事な殺生坊主で大晦日を迎えるようです。

映像だから伝わること

2011年11月25日

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お釈迦様が「人生は苦なり」と喝破されたように、この世は苦しみに満ちた世界です。でも、嬉しいことや楽しいことだって、少なからずあるのが人生です。今、とても不幸だと思える状況だったとしても、それが永遠に続くわけではありません。この世は諸行無常なのですから、どんなに辛いことや苦しいことだって、いつかは終わりが来ます。だからこそ、「今頂いている命を大切にして、精一杯生き抜こうではありませんか」と語り続けることが、仏教者の使命です。そして、苦に満ちたこの世界に「希望の光」を灯し続けることが、僧呂である私にとって、大切なお役目なのだと自覚しています。しかし、私自身も煩悩にまみれ苦脳し続けている愚かな人間です。「そんな立派なこと、よう出来ません」の思いが、常について回ります。ましてや、親鸞聖人の人生を知れば知るほど、「あの方だって生涯苦しんでいたのだから、私が煩悩にまみれて、四苦八苦しているのは当たり前でしょう」などと、開き直るのであります。レベルが違い過ぎるから、引き合いに出すのは大変失礼な話しです。でも、そう考えると肩の荷が下りたような気がして、救われた気分になれるのは事実です。

冒頭からめずらしく真面目なことを書いております。きっと、東日本大震災の被災地で青空説法をされる、瀬戸内寂聴さんの番組(NHK)を見たせいです。被災者のみなさんに思いを寄せながら書き出したら、なんだか意味不明の独り言になりました(いつもそうだって声が聞こえる)。寂聴さんの説法が素晴らしいのは当然ですが、それに聞き入る人々の姿に、心を揺さぶられました。どうしようもない喪失感と、一生忘れられない深い悲しみを必死で受け止めている人々の姿にです。涙を流しながら説法に耳を傾けている人々を見ていると、「自分も頑張らないと申し訳ないな」の思いが込み上げてきます。そして、「私も私なりに出来ることをしなくちゃ」と、誓わずにはいられません。映像の力を意識させる良い番組でした。

今年で見納めです

2011年11月04日

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本堂前の大銀杏がいよいよ色づき始めました。私が一番好きな季節の到来です。毎年限られた期間だけですが、鮮やかな黄色と少々赤茶けて古びた本堂の大屋根、そして燃え始めたモミジの組み合わせが、結構絵になる景観を見せてくれます。平生は訪れる人も限られる実に静かな田舎寺ですが、来週あたりからは、カメラを片手にこの山寺を訪れる人々の姿を目にすることになるでしょう。

ところで、この本堂は来年のお盆明けから建て替え工事に入る予定になっています。ですから、この景観はいわば今年が見納めとなります。「最後の秋なんだから、ちゃんと記録に残しておかなくちゃ」と思う今日この頃です。

現在の本堂が建てられたのは約240年前の傳空順阿上人祖吟大和尚の代です。驚くことに、ほぼ建築当時の姿で今日を迎えています。障子と雨戸だった外周はさすがにガラス戸となり、茅葺きの屋根にはトタンが覆われていますが、それ以外は昔のまんまです。国宝や重要文化財でしたら、それなりに補修を続けて維持管理をしますから納得です。しかし、調べて見るとこの寺は補修がほとんど行われておらず、純粋に240年前の構造物でした。日本建築の耐久性には改めて驚かされます。普通ならとっくの昔に建て替えられている建物でしょう。田舎の小寺でここまで古い状態で残っているのは珍しいと思います。境内に残る石垣や大日堂広場へ登る石段、そして古い灯籠など、今残っている主要な遺物も軒並み傳空さんの時代に整備されたものです。何の因果か私の代で建て替えることになりました。嬉しいような哀しいような実に複雑な心境です(失言ですね)。それというのも、多くの人々はこの山寺を訪れると必ずこう言われます。「この建物を後代に残したいものですね」であります。確かにおっしゃる通りです。見方によっては貴重な建物です。私も出来ることならそうしたかった。国宝級の建物で行われるような、大がかりな解体修理を行えばそれも可能でしょう。しかしそれにはとてつもない資金が必要です。理想と現実には大きなギャップがありました。それでも、すでに限界に近い本堂の建て替えがなんとか実現する運びとなったことには、素直に喜びたいと思います。新しい本堂はずいぶん質素な建物にはなりますが、近年存亡の危機さえあったことを思えば誠にありがたいことです。光明寺を次の世代に残すことが出来るのですから。 

山寺は野生の王国です

2011年11月02日

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昨年もそうでしたが、今年は一段と派手でした。わずか一晩で、本堂前の芝生を手始めに、あちらこちらに畑が出現しました。近年すっかりおなじみになったイノシシ達のご乱行です。彼らは日が暮れると背後の草場山から降りてきて、ごらんの通りのやりたい放題です。別に飼っているわけじゃないのですが、どうやら山寺の境内がすこぶるお気に入りのようです。今年は秋の実りが超不作でした。地元のブランド品である厚保クリも、過去に例が無いほど収穫量が落ち込みました。おそらく、その影響を相当受けると思われる彼らにとって、エサ不足は深刻です。それで、夜な夜なミミズや昆虫を求めて境内のあらゆるところを片っ端から掘り返すのでしょう。エサを置いとけば被害を防げるかかもしれません。でも、そんなことをしたらほとんどペットになってしまいますし、たぶん事態はますます悪化するでしょう。ずっと見張っているわけにもゆきませんから困ったことです。

まったくもって迷惑な連中ですが、もともと山寺は野生の王国ですから、この状態も致し方ありません。本堂の屋根裏には昔からコウモリが住んでいて、お供えの果物や生花(菊の花びらが好物)が度々被害に遭います。イタチ科のテンが、天井裏でごそごそ音を立てることもしょっちゅうですし、境内の石垣にある隙間にはヘビが沢山住み着いています(アオダイショウです)。今春には近年すっかりめずらしくなったキツネ(子キツネ、しかも複数)の姿も見かけました。タヌキは毎度おなじみですし、シカやサルも最近はよく出没します。野生動物をこれほど間近で観察できるのですから、ここは寺というよりも、ほとんど動物園に近いかもしれませんね。

山本家とのご縁に思う

2011年10月16日

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一昨日、「まだか、まだか」と待ち望んでいた、永代供養墓の墓誌札(戒名札)が届きました。これでようやく一件落着のはずでした。でも、娑婆世界とは、およそ己の思うようにはならないものです。結局、最後の最後まで、すんなりとは終わりませんでした。一方、望外の果報に恵まれている自分を、あらためて意識させられることにもなりました。まさに「この世は摩訶不思議なり」であります。

はじまりは永代供養墓の墓誌増設について打ち合わせをしていた時でした。墓誌札(戒名札) の設置スペースが不足してきたので、同じものをもう一基設置することになりました。既設の墓誌は、戒名等が刻まれる石の札が両面にセット出来ます。後の文字入れがしやすいように、板札は容易に取り外すことが出来ます。細部は手作業で修正を繰り返して組み上げられており、いわゆる一点ものに近い墓誌です。これと同じものをつくればよいのですが、残念ながら図面が残っていません。それで、既設の墓誌を採寸して図面を起こすことになりました。その作業を関係者とあれこれやっていましたら、あろうことか札の一部が倒れてあっけなく壊れてしまいました。申し訳ないことに5枚の戒名札が見事に真っ二つです。だから大至急で手配をしました。今回届いた墓誌札には、その作り直したものが含まれていました。

待望の品が到着したので早速装着です。ところが「あれー、サイズが合わんぞ」です。届いた札は横幅が微妙に大きかったのです。順番に差し込んでいくと最後の1本がどうしても納まりません。ほとんど誤差みたいなわずかなサイズオーバーですが、入らないものは入らないのだからどうしようもありません。「困ったな、ちょっとだけ削って納まるようにするしかないか。あーまためんどくさい事になったなー」です。翌日、最後の1本分が空いたままで妙に不自然な墓誌を眺めていると、「見た目が悪いから早くどうにかしたいのー。そうや、札の配置を入れ換えたらいけるかも?」と思いつきます。御影石の札板ですから必ず個体差があるはずです。組み合わせによっては納まるかもしれません。それで、「めんどうだが、やってみるか」ということになりました。確かに良いアイデアではあります。たただし、その作業の過程で、また破損させでもしたら目も当てられません。だから気合いを入れてやらないとあきません。まあ人間、一度痛い目に遭うと次からは考えます。それなりに準備して慎重に事を運ぶので、大抵大丈夫なものです。そんな調子で、あれこれ組み合わせを試していたら、幸い見事に納まるパターンが見つかりました。少々授業料は高くつきましたが、ようやく決着です。

さて、山寺の永代供養墓には一般的な個人単位の永代供養もありますが、現在の主体は家単位での供養です。内部の納骨区画は骨壺を家単位で納められるように(4~5箇分は必要です)広くしてあります。ですから、各家の累代墓の移転先となりうる大型の共同墓です。例えるならば分譲マンションのような墓だともいえます。ここに入居された家が万が一絶家になられた場合には、自動的に永代供養となりますから、いわば保険つきです。そういうタイプのお墓ですから、全体の大きさの割には入居できる家の件数は限られます。ある意味非常にもったいない使い方であり、贅沢な使い方といえるかもしれません。普通こんなことはしないでょう。しかし山寺周辺の地域性(大田舎である)を考えると、意外にもニーズはあったのです。

当地では、非常に不便な山中に墓地を設けている家が少なくありません。だから皆さんお墓を降ろしたいのです。だけどこれが難題です。資金的な負担も重くのしかかります。仮にお墓を降ろしたら降ろしたで、今度はそのお墓を誰が守って行くかが問題になります。普通は子や孫に託すことになるのでしょうが、ここは典型的な過疎地です。この点に不安が残る家が少なくありません。そうなると最後の砦として山寺の永代供養墓も悪くない選択になるのです。

私はこの永代墓の建立費用がそうそう回収できるとは思ってもいませんでした。しかし、いざフタを開けてみると予想外に早く埋まって行きます。気がつけば、もうスペースはほとんど残っていません。そして、これまでに入居された関係者の永代使用料で建設費用は回収出来てしまいました。まさに望外の果報を頂戴したのです。

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話しはまだ続きます。今回入荷の墓誌札には、つい最近契約をして下さった山本家の銘板もありました。こちらのお宅の札は家紋の代わりに梵字(阿弥陀如来)を入れて作ってみました。山本家は檀家さんではありません。そして、まだお葬式を出していない家です。だから山寺とは縁のないお宅でした。今回入居に至られたきっかけは、奥さん(睦美さん)が持参された仏具等の供養を仏壇屋さんの紹介で私がさせて頂いたことが始まりです。それは昨年のことでした。本堂での読経後に、奥さんは光明寺の永代供養墓をご覧になって帰られていました。その時に頂いたご縁は途絶えることなく、ついに機は熟したのでしょう。突然ご連絡を頂き、間髪も入れずにご夫婦でやってこられました。目的はご主人(勝正さん)に山寺の永代供養墓を見て頂くことでした。奥さんは訪問するなり「どう?話してたとおりでしょう、これなら安心じゃない、いいでしょう?」と言われます。ご主人の返答は「御前がそう言うなら、おれはいいよ」でした。「そう、よかったわ、じゃー決まりね」である。こうして山本家の入居はあっけなく決定となりました。

正直こっちが驚きました。いきなり「二人でここに入るわ」です。聞けば以前から自分たちの終の住処について、いろいろ考えておられたそうです。そして、「さんざん寄り道をした末に光明寺の永代供養墓にたどり着いた」とのお話でした。そう言われると光栄ですし、なんだか照れくさいような、こそばゆいような面持ちでした。その後は「さっそく永代使用料を払わなくっちゃいけないわね」と、すっかり奥さんのペースで話しはどんどん進みました。「えっ、ホントにもう決定なんですか?そりゃ、お墓を建てるよりは安いですけど、あわててお支払いにならなくても良いんですが」などと、アホなセリフを申し上げた。すると「あら、もう決めたんだからすぐお支払いするわよ」である。結局、大急ぎで永代墓の契約書を作成することになった。それにしても、なんて決断の早いご婦人でしょう。実に思い切りが良いのである。だめ押しは「私って、そういう性格だから」です。参りました。

ついでに書いちゃいますが、奥さんは、ご自分を「うるさいババアでしょ」なんて言われます。しかし、なんのなんの実に会話の楽しい方です。好奇心旺盛でどうやら私と似たところもある方です。いろんな宗派に興味があって、あれこれよく勉強もされておられる。梅原 猛先生の著作もよく読まれているようだし、先般NHKの衛星放送で再放送されていた、五木寛之さんの特集番組もしっかり観ておられた。私と行動パターンが同じです。だから話しがあうのである。ただし、そんなご婦人ですから実にあっけらかんとしていて、本音でズバズバ言われます。「私たちのめんどうをしっかり観てもらわなくちゃいけなんいだから、(吉村さん)病気しちゃダメですよ。健康のためにタバコは絶対止めて下さい(かなり命令調)」です。実に痛いところを突かれました。奥さんのこの言葉は、私に僧侶としての自覚と責任感を容赦なく問いただしました。おっしゃる通り、喫煙は真剣に考えないといけません。これでも私、住職ですから皆さんに対して責任があります。

蓮華が間に合いました

2011年09月27日

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今朝、山寺に出勤すると調整池の片隅に白いものが揺れていました。まさかと思いながらも歩み寄ると、真っ白な蓮華が咲いていました。今年の開花はとうてい無理だと思っていましたから思いがけない吉報です。まるで、お彼岸にあわせて咲いてくれたみたいです。「初物だからさっそく御本尊にお供えしようかな」と思いつつしばらく眺めていましたが、やがてその考えは失せました。開花したのはたった一輪です。他につぼみは見当たりませんから今年はもう咲かないかもしれません。そう思うと刈り取るのは少々かわいそうに思えて来て結局そのままにしました。

思えば昭さんが苗を植えて下さったのは今年の春遅くでした。ここは赤土底の調整池ですから蓮華の成長には適しません。当然成長は遅く、お盆前でもまだ小さな葉がぽつぽつと見られる程度でした。とても今年のうちに開花するとは思えませんでした。それが突然花をつけたのですから不思議というかなんというか。誠にありがたいことです。来年はきっと沢山咲いてくれるでしょうから、仏前に供えるお楽しみはそれまでとっておくことにします。

良いお薬を頂戴しました

2011年09月22日

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先日、高速で京都まで往復しました。夏休みの終わりが近づいてきた息子がアパートへ戻るためです。ついでにいつもお世話になっている法衣店(お坊さんの衣装屋)へ立ち寄りましたので、その時のことを書いてみます。場所は下京区油小路四条南入の角地で、店名は「湯浅与兵衞商店」といいます。いかにも「老舗」って感じの店名ですが、実際こちらには長い歴史があって、いわゆる「本山御用達店」の一つです。私が使っている袈裟や衣などもここで調達しています。ご存じの方もおられるでしょうが、お坊さんの衣装というものは宗派によってバラバラです。それぞれ独自に発展してきた歴史があるので、各宗派の伝統や内部の細かいルールなどに合せなければなりません。ですから自分が所属する宗派組織(本山)と長年密接な関係を築いている御用達店で入手するのが普通です。私の場合はそれが「湯浅与兵衞商店」さんであり、西山の坊さんをやってるかぎりこの関係は続くことになります。

ところで湯浅さんの店頭には「法衣・御袈裟」と、取り扱い商品を掲載した看板があるのですが、(写真にも写っています)でも、ぱっと見では何のお店だかよく解らんように思えます。実にあっさりとした、見ようによっては何とも商売気のない(?)店構えと言えるかもしれません。でもこれで正解なんです。前記の通り、お客さんは基本的に固定客のみ(特定宗派のお寺さん)です。飛び込みの客なんてありえない商売ですからね。(こういうのをいらん心配という)

さて、今年の私は何度も京都を訪れる機会があったのですが、いつも慌ただしくて、結局昨年の春以降はこちらに立ち寄る機会がありませんでした。ひさしぶりに訪れて必要なものを一通り注文した私は、前々から考えていたある勝手なお願いを実行しました。それはここでしか出来ない特別な「目薬」を出して頂くことです。最近ますます老眼がひどくなっていますから、ここいらでとびっきりの良薬を頂戴しようと考えて、図々しくもリクエストをしました。

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その目薬とは、お葬式の時などに我々が着用する最も重要な衣装(要するに最も高価な衣装)である七条袈裟との対面です。今回拝ませて頂いたのは、そりゃーすごいヤツです。湯浅さんのカタログを見ると、「御寺院様の寺宝袈裟として自信を持って推薦申し上げます」と但し書き(すごいセリフです)がついている七条袈裟です。写真でその雰囲気をお伝えすることなど到底不可能ですが、これぞまさしく最高ランクの逸品です。目の前に出されるとその凄さがよく解ります。銀食器のような渋い光沢感と、しっとりした手触り感が実に印象的でした。超豪華な逸品(値段を聞いたら唖然とします)なのですが、決してこれ見よがしのギラギラ感はありませんでした。しかしその重厚感は見る者を圧倒します。これが本物の質感なんですね。いやー素晴らしい目の保養をさせて頂きました。(手触り感も)まさに見事な良薬でありました。湯浅さん本当にありがとうございました。

ギンナン爆弾炸裂

2011年09月17日

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一昨日より大銀杏のギンナンが本格的に落下し始めました。風が吹く度に派手な音をたてています。こうなると本堂前はうっかり歩けません。ギンナン爆弾の直撃を受けかねないからです。運悪く命中でもしたら、そりゃー悲惨です。強烈な臭いが染みついて後が大変です。それでも、毎年わざわざ遠くから拾いにこられる方が結構おられます。ギンナンといえば、私は茶碗蒸しを真っ先に思い浮かべますが、左党の方には絶好のおつまみらしい。自分はほとんど飲みませんから、よく解らない世界ですが、意外と人気があるようです。山寺の住職にしてみれば、素手で触るとかぶれて大変だし、おまけに強烈な臭い。後片付けが超大変な厄介者です。誰かが拾って行ってくれるなら本当に大助かりです。

大量に落ちてるギンナン.jpg

毎年この季節になると「さあみなさん、じゃんじゃん拾っていって下さいよ」と、スコップと竹ぼうきを目立つ位置に置くようにしています。実際、角スコップでバサバサすくえるほどの量ですからね。

浄土宗のお数珠について

2011年09月14日

山寺の宗派(西山浄土宗)が用いるお数珠には次の五種類があります。①日課数珠②法然数珠③修法数珠④荘厳数珠(道具数珠)そして⑤百万遍数珠です。

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日課数珠は浄土宗独特のお念珠で、仏具店等で「浄土宗用の数珠を下さい」と言えば、通常はこれになります。僧俗を問わず常用する数珠であり、最もポピュラーな数珠といえます。菩提寺が浄土宗系の檀信徒さんは、基本的にこの数珠を備えて頂くのが良いでしょう。大きな顆を連にした男性用(男性向き)は通常二十七顆の連と二十顆の連で構成された三万遍数珠です。小さめの顆を連にした女性用(女性向き)は四十顆と二十七顆の蓮で構成される六万遍数珠が一般的です。

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法然数珠は法然上人が常用されていた数珠なのでそう呼ばれています。今日伝わる法然上人の絵姿等を観察すると、必ずこのお数珠を持っておられます。

荘厳数珠と修法数珠.jpg

修法数珠は修業中や開眼法要(お仏壇やお墓を新調したときに行う法要)などで使用される数珠です。荘厳数珠(道具数珠)は、お葬式などの正装(荘厳衣)で臨む重要な法要で使用する立派な数珠です。写真左側の荘厳数珠は星月菩提樹の玉で制作された数珠ですが、水晶玉でつくられることも多くあります。

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百万遍数珠は多人数が車座になって行う百万遍数珠くり用の巨大な数珠です。冒頭で述べたように浄土宗の定番数珠といえば日課数珠ですが以下に補足説明をしておきます。

日課念珠には二十七顆と二十顆の二つの連からなる三万遍数珠と、四十顆と二十七顆の連からなる六万遍数珠があります。いずれも二つの輪が交差してつながっており、他宗派の数珠とは明らかに形状が異なっています。ですから一目で浄土宗用であることが解ります。日課数珠がこんな変わった形状をしているのにはそれなりの理由があります。「お念仏」すなわち「南無阿弥陀仏」を称える際に、その回数を数えるカウンターの役目も併せ持っているからです。要するにソロバンの様な機能を備えたお数珠なんです。法然上人のお弟子さんであった阿波介が考案したといわれています。左手の親指と人差し指で挟んだ顆数が多いほうの連(二十七顆又は四十顆)を、一声称えるごとに内側へくるのです。そうやって一周(二十七回又は四十回)したら、人差し指と中指の間に挟んだもう一つの連の顆(二十顆又は二十七顆)を、一つ手前にくります。この操作を繰り返して顆の少ない方の連が一周(27×20=540回又は40×27=1,080回)すれば、金属のカンにぶら下がる十顆の弟子珠(この顆はソロバンの玉様になっている)を一粒移動させます。十顆の弟子珠がすべて移動すると5,400回又は10,800回称えたことになります。ここまで来たら金属のカンにぶらさがるもう一つの弟子珠(こちらは六顆で通常の丸形)を一つ移動させます。以上の手順を繰り返して六顆の弟子珠を全てくり終われば(この間に十顆の弟子珠は三往復する)称えたお念仏は32,400回又は64,800回となります。慣れればこの操作は手元を見なくても可能です。よって多少誤差があったとしても、日課三万遍又は六万遍を念じた(南無阿弥陀仏を称えた)ことになります。どうですうまく出来ているでしょう。なお、二つの連のうち顆の数が少ないほうの連は、顆と顆の間に小珠(念仏の際に顆としてカウントしない)が入っており、金属製のカンと弟子珠がぶら下がっています。

日課数珠を繰る

さて、山寺の住職がうんちくを披露しておりますが 実のところ本人は日課念仏をきっちり称えた実績(要するに一日に三万遍)がありません。実に説得力に欠ける解説で申し訳ありません。でも一挙に三万遍のお念仏はなかなかできることではないですからね。

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